ホテル グランティア あおしま太陽閣、磯料理 あらき、青島地区の展望、野島地区と巾着島の展望 (青島、巾着島 (きんちゃくしま)、なつかしの青島橘ホテル、野島の漁港、小内海駅、青島、宮崎仏舎利 (ぶっしゃりとう)、なつかしの青島観光ホテル、青島バイパス)  (宮崎県 宮崎市 青島西 1丁目 16-2、宮崎市 野島)







<標高、位置>  「ホテル グランティア あおしま太陽閣」は
標高 約20 m
 北緯31度48分12秒  東経131度27分43秒

<標高、位置>  「青島」は
標高 5.8 m
 北緯31度48分15秒  東経131度28分27秒

<標高、位置>  「磯料理 あらき」は
標高 約10 m
 北緯31度44分13秒  東経131度27分53秒

<標高、位置>  「巾着島 (きんちゃくしま)」は
標高 74.0 m
 北緯31度44分19秒  東経131度28分23秒


 「ホテル グランティア あおしま太陽閣」は宮崎県 宮崎市 青島西 1丁目16-2 にあります。

 「磯料理 あらき」は宮崎県 宮崎市 大字内海 字野島 6447-4 にあります。

 「巾着島灯台 (きんちゃくしまとうだい)」は宮崎県 宮崎市 大字内海 字島 6057番地2 にあります。
巾着島 (きんちゃくしま)は宮崎県 宮崎市 大字内海 字島 にあります。 陸とつながっています。 歩いて巾着島に行くことができます。 石段を登って中腹の海側にある巾着島灯台のところに行くこともできます。 巾着島灯台の初点 (初めて点灯することです。)は昭和39年3月30日です。 巾着島は標高 74.0 m です。 巾着 (きんちゃく)とは布や革 (かわ)などで作り、口をひもでくくり、中にお金などを入れて携帯する袋のことです。 形が巾着に似た島なので巾着島と呼 (よ)ばれます。


写真A: 宮崎県 宮崎市 青島西 1丁目16-2 にある「ホテル グランティア あおしま太陽閣」です。 ハニワが見えます。 右遠くの山の上に小さく白い青島の仏舎利塔 (ぶっしゃりとう、宮崎仏舎利塔)が見えています。



写真B: 駐車場とあおしま太陽閣です。



写真C: 小山とワシントン椰子 (やし)、旗を立てるポールもあります。



写真D: 幟 (のぼり)、ワシントン椰子 (やし)、ココス椰子 (やし)もあります。



写真E: 「天然温泉 健康ランド 華の湯」の幟 (のぼり)があります。 山の手前に青島バイパス (国道220号線)が見えます。



写真F: 「あおしま太陽閣 (たいようかく)」です。 標高 約20 m のところにあります。 外灯が見えます。



写真G: あおしま太陽閣の玄関です。



写真H: 駐車場です。



写真I: 左はテニスコートです。 遠くの山の中腹に青島バイパスが通っています。



写真J: テニスコートがあります。



写真K: 右端に青島観光ホテルが見えます。 左寄りに青島橘ホテルも見えています。



写真L: 「ホテル グランティア あおしま太陽閣」です。



写真M: 左寄りに青島観光ホテルが見えます。 青島観光ホテルは1959年(昭和34年)に開業、70年代の新婚旅行ブームのときにも栄えました。 宿泊客数は90年代前半の約7万人を最高にその後減少し、2012年度は2万人以下になりました。 2013年4月16日に閉館しました。 閉館後の施設活用などは決まっていません。
中央の山の上に白い青島の仏舎利塔 ((ぶっしゃりとう、宮崎仏舎利塔)が見えます。 城山公園の山の上に白っぽい仏舎利塔 (ぶっしゃりとう)があります。 そこには伊東48城の1つ「紫波洲崎城」が昔にありました。
「紫波洲崎城」の説明板から、
 日向灘に突出した丘陵端部に立地する。 北西側から西側眼下に突波川河口、青島漁港、折生迫集落が広がり、北側に青島、東側では日向灘を一望できる断崖絶壁の天然の要害上に築造されている。 その特異な立地条件より、海 (港)を治めた城と推定される。
 現在、仏舎利塔がある平面L字形の平坦面 (標高 65 m)が当時の主郭 (しゅかく)と推定され、主郭を中心に北西側 (現在、展望台がある箇所 (かしょ))、南西側に曲輪 (くるわ)が築かれており、南西側曲輪との間は、深い空堀 (からぼり)で区切られている。
 本城は戦国時代を通して伊東 氏、島津 氏の争奪の舞台となった。 永禄年間 (1558-1570年)には伊東48城 (塁)のひとつに数えられ、川崎上総府が城主であった。 天正5年 (1577年)以降は島津 氏 領となり、宮崎地頭で上井覚兼の父、上井薫兼が在城した。 天正15年の豊臣秀吉の九州平定後は、再び伊東 氏 領となり元和元年 (1615年)の一国一城令により廃城となった。

「伊東48城」は都於郡城主あるいは佐土原城主だった伊東義祐のときに完成しました。 城と城の間隔は約数km~10 kmぐらいです。 これで日向の大部分を領地にしていたときの、支配体制を固めました。 伊東四十八城とは、 門川城、日知屋城塩見城、 高千穂城、 入下城、 水清谷城、 田代城、 坪谷城、 山陰城、 神門城、 雄八重城、 石城、 都於郡城佐土原城、高城、 財部城 、富田城、 穂北城、 三納城、 平野城、 那珂城、 八代城、 本庄城、 守永城、 石塚城、 宮崎城、 倉岡城、 曽井城、 綾城、 穆佐城、 飯田城、 本脇城、 高岡城(内山城、後の天ヶ城のことです。)、 染野城、 紙屋城、 野久尾城、 飫肥城、 戸崎城、 野尻城、 三山城、 高原城、 清武城、 田野城、 紫波洲崎城、 瀬平城、 酒谷城、 目井城、 須木城 です。
(太字は主要な城です。) 伊東48城を訪(たず)ねてみるとなかなか楽しいものです。 これとは別に「伊東八外城」は日和城(ひわんじょう)を中心本城として山之口城、松尾城(三股城)、梶山城、勝岡城、小山城、野々美谷城、下ノ城を支城としていました。



写真N: 今は取り壊 (こわ)された大きなホテルが見えます。 このホテルは廃墟となった「青島橘ホテル」です。 青島橘ホテルは、当時宮崎が全国からの新婚旅行客でにぎわっていた1967年(昭和42年)に建設されました。 その後、外国への新婚旅行が一般的になり、宮崎への客は激減しました。 このホテルは1990年12月に閉鎖し、長年廃墟状態になっていました。 しかし、2010年6月に旧 橘ホテルの解体工事が終わり、2012年5月現在ではホテル跡地の再利用については何も決定されていません。 空き地のままになっています。



写真O: ホテル グランティア あおしま太陽閣の入り口です。 「健康ランド 華の湯」と書いてあります。



写真P: あおしま太陽閣から南を見たものです。 テニスコート、公園、右に青島バイパス (国道220号線)が見えます。 左寄りの山の上に白い青島の仏舎利塔 (ぶっしゃりとう、宮崎仏舎利塔)、その左に青島観光ホテルが見えます。



写真Q: 左端に青島橘ホテル、右寄りに青島観光ホテル、山の上に白い青島の仏舎利塔 (宮崎仏舎利塔)が見えます。 あおしま太陽閣からの展望です。



写真R: 日向灘 (太平洋)が見えます。 右に青島橘ホテルが見えます。 あおしま太陽閣からの眺望 (ちょうぼう)です。



写真S: 屋根の上にパームビーチ ホテルが見えます。 その左遠くに宮崎県総合運動公園の「木の花ドーム」が見えています。



写真T: 青島と青島の灯台 (照明)、鬼の洗濯岩 (せんたくいわ)が見えます。 その右に青島グランドホテル、右端に今は無くなった青島橘ホテル (あおしまたちばなほてる)が見えています。 海岸に黒松林もあります。 あおしま太陽閣から見た景色です。



写真U: 中央と右寄りに今は無くなった青島橘ホテル、その左に青島グランドホテルが見えます。 青島グランドホテルの左に青島が見えています。 あおしま太陽閣から見たものです。



写真V: 中央に青島観光ホテル、山の左端にホテル青島サンクマール、山の上に白い青島の仏舎利塔 (宮崎仏舎利塔)が見えます。 手前の公園に遊具、ビロウ樹、休憩所 (きゅうけいしょ)があります。 青島港 (青島漁港)も見えます。



写真W: 右に青島バイパス (国道220号線)が見えています。 山を切り開いて国道220号線を造ってあります。 左下に公園の建物がいくつか見えます。 あおしま太陽閣からの景色です。



写真X: 宮崎県総合運動公園の「木の花ドーム」が見えます。 その右に総合運動公園の建物、ナイター照明などが見えます。 右端はパームビーチ ホテルです。 あおしま太陽閣から見たものです。



写真Y: あおしま太陽閣から見たパームビーチ ホテルです。



写真Z: あおしま太陽閣のレストランです。



写真AA: あおしま太陽閣での食事です。



写真AB: あおしま太陽閣の食堂です。



写真AC: 「ホテル グランティア あおしま太陽閣」の説明書です。



写真AD: あおしま太陽閣付近の地図です。



写真AE: ホテル グランティア あおしま太陽閣のレストランです。 見晴らしの良いところにあります。



写真AF: 「→2F 健康ランド 華の湯」と書いてあります。



写真AG: ホテルの中です。



写真AH: 宮崎県 宮崎市 大字内海 字野島です。 奥に巾着島 (きんちゃくしま)、巾着島の手前に野島漁港の防波堤、照明が見えます。 近くにJR 日南線の小内海駅、「内海のヤッコソウ発生地」、「内海のアコウ (木です。)」があります。 内海のアコウは国指定天然記念物 (昭和16年10月3日指定)は野島神社とその近くにあります。
巾着 (きんちゃく)とは布や革 (かわ)などで作り、口をひもでくくり、中にお金などを入れて携帯する袋のことです。 形が巾着に似た島なので巾着島と呼 (よ)ばれます。



写真AI: 「磯料理 あらき」、「お気軽にどうぞ、磯料理、伊勢海老、サザエ、アワビ」、「営業中」の看板 (かんばん)があります。



写真AJ: 看板 (かんばん)があります。



写真AK: この坂を登ります。



写真AL: 「磯料理 あらき」です。 右をJR 日南線が通っています。 トンネルもあります。 敷地内に南洋杉 (ナンヨウスギ)があります。 沖縄などの杉と思われます。
「磯料理 あらき」は宮崎県 宮崎市 大字内海 字野島 6447-4 にあります。



写真AM: 日向灘 (太平洋)も見えます。 海と「あらき」の間に国道220号線が通っています。



写真AN: 「磯料理 あらき」の入り口です。 狸 (たぬき)の像に「商い中」と書いてあります。 立派な木が玄関の柱になっています。 花も咲いています。



写真AO: 玄関からも海が見えます。



写真AP: 部屋の中です。 左手は海です。



写真AQ: 立派な床柱 (とこばしら)、壺 (つぼ)、掛け軸 (じく)などがあります。



写真AR: 屏風 (びょうぶ)、テーブル、ガラス付き障子 (しょうじ)も見えます。 右に海が見えます。



写真AS: 勲章 (くんしょう)、賞状、写真などが上に掛 (か)けてあります。



写真AT: 箸 (はし)入れです。



写真AU: 「磯料理 (いそりょうり) 食堂 あらき、宮崎市 野島」と書いてあります。



写真AV: 「磯料理 あらき」です。



写真AW: 食事をしました。



写真AX: 巾着島 (きんちゃくじま)が見えます。 巾着 (きんちゃく)とは布や革 (かわ)などで作り、口をひもでくくり、中にお金などを入れて携帯する袋のことです。 形が巾着に似た島なので巾着島と呼 (よ)ばれます。 野島漁港の防波堤、野島の集落、国道220号線が見えます。 手前の海面に岩礁 (がんしょう)の頭がいくつか見えます。 「磯料理 あらき」から見たものです。



写真AY: 「磯料理 あらき」から見た景色です。 海岸沿 (ぞ)いに国道220号線が通っています。 右に見える岬 (みさき)付近に大園植物センターがあります。 大園は地名の字 (あざ)です。 大園植物センター 株式会社は宮崎県 宮崎市 大字内海 字大園 7516 にあります。



写真AZ: 巾着島 (きんちゃくじま)などの風景を楽しめます。
「巾着島灯台 (きんちゃくしまとうだい)」は宮崎県 宮崎市 大字内海 字島 6057番地2 にあります。
巾着島 (きんちゃくしま)は宮崎県 宮崎市 大字内海 字島 にあります。 陸とつながっています。 歩いて巾着島に行くことができます。 石段を登って中腹の海側にある巾着島灯台のところに行くこともできます。 巾着島灯台の初点 (初めて点灯することです。)は昭和39年3月30日です。 巾着島は標高 74.0 m です。 巾着 (きんちゃく)とは布や革 (かわ)などで作り、口をひもでくくり、中にお金などを入れて携帯する袋のことです。 形が巾着に似た島なので巾着島と呼 (よ)ばれます。



写真BA: 木製のテーブル、柱時計、写真などの額 (がく)、 誘蛾灯 (ゆうがとう、飛んできた虫を電気ショックで殺すもの。)、ポスター、ぬいぐるみ、などがあります。 玄関のそばです。



写真BB: 芸術的な木の造形物もあります。 航空写真の額 (がく)があります。



写真BC: 玄関から見た廊下 (ろうか)などです。



写真BD: 国道220号線からの入り口です。 芭蕉 (ばしょう)、ワシントン椰子 (やし)もあります。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)