あじさい公園 (アジサイの花、花ショウブ、彼岸花)、松尾城跡(三股城跡) (松尾城址、JR 山之口駅、山之口郵便局、都城市の展望、霧島連山の展望、都城盆地の展望、HSS-2B 対潜哨戒機 ヘリコプター、鰐塚山(わにつかやま))
(宮崎県 都城市 山之口町 花木)
<標高、位置> あじさい公園(三股城跡(松尾城跡))は
標高 216.8 m
北緯31度46分20秒 東経131度09分22秒
<標高、位置> JR九州 山之口駅は
標高 約160 m
北緯31度46分57秒 東経131度09分10秒
<標高、位置> 山之口郵便局は
標高 約160 m
北緯31度46分57秒 東経131度09分11秒
三股城跡(みまたじょうあと)は松尾城跡とも呼(よ)ばれ「あじさい公園」にあります。 住所は宮崎県 都城市 山之口町 花木 字百地 (あじさい公園)にあります。 「三股城(松尾城)」は山城です。 築城は建武年間(1334~1338年)でその頃は肝属(きもつき)兼重が城主でした。 延文年間(1356年~1361年)に畠山義顕が居城、そのあとは和田・高木が居城していましたが、島津に殺害されて、樺山(かばやま)安芸守が城主になりました。 明応4年(1495年)に伊東のものになり、伊東の八外城(伊東八外城)のひとつとして川崎甲斐守、村山が城主となりましたが、島津の分家である北郷(ほんごう)によって落城させられ、島津の分家である北郷が城主になりました。
<参考>伊東八外城は日和城(ひわんじょう)を中心本城として山之口城、松尾城(三股城)、梶山城、勝岡城、小山城、野々美谷城、下ノ城を支城としていました。
島津家薩摩藩(77万石)は、1615年の一国一城令で、鶴丸城だけ残して他の城は壊(こわ)しました。 代わりに外城(とじょう)と呼(よ)ばれる麓(ふもと)を置きました。 地頭仮屋(あるいは御仮屋)と呼ばれる在地役所を中心にして、そのまわりに石垣(いしがき)、イヌマキの生垣の郷士(ごうし)屋敷の集落を造りました(郷士は普段は農業を行ない、有事の時には戦う武士です。 私領地では郷士ではなく家中士と呼ばれました。)。 地頭や私領主は鹿児島城下に住みました。 各地の行政執行は麓3役といわれる郷士年寄、組頭、横目が行いました。 「野町」と呼ばれる町人町は麓のそばに造られました。 今でも「麓」の地名、馬術教練を行う「馬場」という地名が残っています。 薩摩藩の外城は島津宗家直轄の地頭所が90ヵ所、島津一門や重臣の私領地が21ヵ所ありました。 薩摩藩はキリスト教、一向宗(浄土真宗)を禁止しました。 租税(そぜい)は8公2民(普通は4公6民)と重税でした。
薩摩藩の日向国(ほぼ宮崎県)の「郷」は、馬関田郷、吉田郷、加久藤郷、飯野郷、小林郷、野尻郷、高岡郷、穆佐郷(むかさごう)、倉岡郷、高原郷、高崎郷、高城郷、都城郷、須木郷、綾郷、山之口郷、勝岡郷、庄内郷、松山郷、志布志郷、大崎郷がありました。 計21郷でした。 すべて諸県郡に属します。 これとは別に、佐土原島津藩が宮崎市 佐土原町にありました。 佐土原島津藩は薩摩藩とは別に江戸への参勤交代を行なっていました。
「山之口あじさい公園」の説明板から、
総面積: 6.9 ヘクタール (2万1040坪)、開設: 平成6(1994年)年6月3日、21種類、2万5000本のあじさいが植栽(平成7年6月現在)してあり、あじさい日本一の郷(さと)を目指(めざ)して現在も植栽を続けています。
JR九州 「山之口駅」は日豊本線にある駅で、宮崎県 都城市 山之口町 花木にあります。
「山之口駅」はJR九州の日豊本線の駅です。 駅は木造の地上駅でホームは1面2線です。 開業は1914年(大正3年)8月15日です。 自動券売機がある無人駅です。
「山之口郵便局」は宮崎県 都城市 山之口町 花木 2035-15 にあります。 JR 山之口駅のそばにあります。
写真A: 宮崎県 都城市 山之口町の県道47号線です。 先に行くと「あじさい公園(三股城跡(松尾城跡))」があります。 右の建物は山之口中学校です。 ここを左に行くと南方神社があります。 手前に行くと山之口総合支所があります。
写真B: 左寄りの山の上にあじさい公園の模擬城が見えています。 昔、そこに三股城(松尾城)がありました。 南を見た景色です。
写真C: 中央の山の上にあじさい公園の三股城跡(松尾城跡)があります。
写真D: 北から見たあじさい公園の三股城跡(松尾城跡)です。
三股城跡(みまたじょうあと)は松尾城跡とも呼(よ)ばれ「あじさい公園」にあります。 住所は宮崎県 都城市 山之口町 花木 字百地 (あじさい公園)にあります。 「三股城(松尾城)」は山城です。 築城は建武年間(1334~1338年)でその頃は肝属(きもつき)兼重が城主でした。 延文年間(1356年~1361年)に畠山義顕が居城、そのあとは和田・高木が居城していましたが、島津に殺害されて、樺山(かばやま)安芸守が城主になりました。 明応4年(1495年)に伊東のものになり、伊東の八外城(伊東八外城)のひとつとして川崎甲斐守、村山が城主となりましたが、島津の分家である北郷(ほんごう)によって落城させられ、島津の分家である北郷が城主になりました。
<参考>伊東八外城は日和城(ひわんじょう)を中心本城として山之口城、松尾城(三股城)、梶山城、勝岡城、小山城、野々美谷城、下ノ城を支城としていました。
写真E: 県道47号線です。 「←あじさい公園 300 m」の標識があります。 この十字路を東に入ってあじさい公園に行きます。 先に行くと北諸県郡 三股町に行きます。
写真F: 「←あじさい公園 300 m」、「南方神社 あげ馬の里」の標識があります。
写真G: 県道47号線です。 北を見たもの。 先に山之口総合支所、人形の館などがあります。
写真H: 西を見たもの。 右は山之口中学校のグラウンドです。
写真I: 東を見たもの。 あじさい公園へはこの道を進みます。
写真J: ここを右に曲ってあじさい公園に行きます。 「→あじさい公園 200 m」の標識があります。
写真K: 「→あじさい公園 200 m」の標識があります。
写真L: ここを先に進みます。
写真M: あじさいの木が植えてあります。 「園内徐行」の看板(かんばん)があります。
写真N: この道を進んであじさい公園に行きます。
写真O: 右手にヘリコプターが見えて来ました。 海上自衛隊で使われていたヘリコプターが展示してあります。
写真P: ヘリコプターの上方の山頂にお城が見えています。 あじさい公園にある城です。
三股城跡(みまたじょうあと)は松尾城跡とも呼(よ)ばれ「あじさい公園」にあります。 住所は宮崎県 都城市 山之口町 花木 字百地 (あじさい公園)にあります。 「三股城(松尾城)」は山城です。 築城は建武年間(1334~1338年)でその頃は肝属(きもつき)兼重が城主でした。 延文年間(1356年~1361年)に畠山義顕が居城、そのあとは和田・高木が居城していましたが、島津に殺害されて、樺山(かばやま)安芸守が城主になりました。 明応4年(1495年)に伊東のものになり、伊東の八外城(伊東八外城)のひとつとして川崎甲斐守、村山が城主となりましたが、島津の分家である北郷(ほんごう)によって落城させられ、島津の分家である北郷が城主になりました。 伊東八外城は日和城(ひわんじょう)を中心本城として山之口城、松尾城(三股城)、梶山城、勝岡城、小山城、野々美谷城、下ノ城を支城としていました。
写真Q: あじさい公園への道です。
写真R: ヘリコプターが展示してあります。
HSS-2B (対潜哨戒機)
(要目) 最大速度 巡航 約 238 km/h、発動機 T 58 1H1 10M2 1500馬力x2基、機体 巾 約18.90 (ローターの直径)、長さ 22.29 (ローター含む)、高さ 約5.21 m、離陸重量 約9299 kg、乗員 4 名、製造会社名 三菱重工業株式会社、昭和 54 年 初号機は昭和54年12月~昭和55年12月実用になり保有機数 62機
写真S: 日の丸、海上自衛隊 89とヘリコプターの機体に書いてあります。
写真T: ここからも山頂に城が見えます。
写真U: ヘリコプターの近くから見たあじさい公園の城(三股城跡(松尾城跡))です。 標高 217 mのところに城はあります。
三股城跡(みまたじょうあと)は松尾城跡とも呼(よ)ばれ宮崎県 都城市 山之口町 花木 字百地 (あじさい公園)にあります。
写真V: 広場においてある海上自衛隊のヘリコプターです。
写真W: 4枚のプロペラがあります。
写真X: 「海上自衛隊 89」と書いてあります。
写真Y: 「HSS-2B (対潜哨戒機)
(要目) 最大速度 巡航 約 238 km/h、発動機 T 58 1H1 10M2 1500馬力x2基、機体 巾 約18.90 (ローターの直径)、長さ 22.29 (ローター含む)、高さ 約5.21 m、離陸重量 約9299 kg、乗員 4 名、製造会社名 三菱重工業株式会社、昭和 54 年 初号機は昭和54年12月~昭和55年12月実用になり保有機数 62機」
と書いてあります。
写真Z: ヘリコプターの上部の様子(ようす)が分かります。
写真AA: プロペラの付け根はこのようになっています。
写真AB: 階段を登って運転席が見えます。
写真AC: ヘリコプターの運転席が見えます。
写真AD: 窓ガラスにはワイパー(雨粒のふきとり器)があります。 ヘリコプターの前面です。
写真AE: プロペラの下の部分です。
写真AF: ヘリコプターの側面です。
写真AG: ヘリコプターの側面。
写真AH: ヘリコプターの近くの車道です。
写真AI: まわりにアジサイが植えてあります。
写真AJ: ヘリコプターの近くの様子(ようす)です。
写真AK: 「第1駐車場」、「第2駐車場」の標識があります。
写真AL: アジサイ公園の近くの道です。
写真AM: 「あじさい公園」に着きました。
「山之口あじさい公園」
総面積: 6.9 ヘクタール (2万1040坪)、開設: 平成6(1994年)年6月3日、21種類、2万5000本のあじさいが植栽(平成7年6月現在)してあり、あじさい日本一の郷(さと)を目指(めざ)して現在も植栽を続けています。
写真AN: あじさい公園の駐車場です。
写真AO: 来た道を振り返ったもの。
写真AP: 「あじさい公園」の大きな石碑(せきひ)があります。
「山之口あじさい公園」
総面積: 6.9 ヘクタール (2万1040坪)、開設: 平成6(1994年)年6月3日、21種類、2万5000本のあじさいが植栽(平成7年6月現在)してあり、あじさい日本一の郷(さと)を目指(めざ)して現在も植栽を続けています。
写真AQ: 「町制施行30周年記念事業 平成6年3月 山之口町長」と書いてあります。
写真AR: あじさい公園の駐車場です。
写真AS: あじさい公園の入り口付近です。
写真AT: あじさい公園の入り口付近。
写真AU: あじさい公園の入り口付近です。
写真AV: 山之口町観光案内板があります。
写真AW: 「山之口町観光案内」板があります。
あじさい公園
松尾城址に立つ城風の展望台が公園のシンボル。 6月には、6.9 haの園内に多種多様のあじさいの花が咲き揃(そろ)います。
桝安森林公園(ますやすしんりんこうえん)
都城盆地が一望できるこの公園からは、高千穂の峰をはじめ霧島連山の姿も美しく、春には桜の名所として親しまれています。
かくれ念仏洞
藩政時代の一向宗禁制下における領主と信者の生死をかけた戦跡がかくれ念仏洞です。 田島かくれ念仏洞は原型をとどめる貴重な文化遺産です。
青井岳自然公園
豊かな自然と思いきり遊べる青井岳リゾートパーク。 温泉のある国民宿舎やケビンを備えたキャンプ場、紅葉の境川渓谷と、一年中自然体験ができます。
山之口麓文弥節人形浄瑠璃(やまのくちふもとぶんやぶしにんぎょうじょうるり) 国の重要無形民族文化財
延宝(1673年)の頃、大阪で浄瑠璃太夫(じょうるりだゆう)として活躍した岡本文弥の語り調子を今に伝える貴重な人形芝居です。 芸態も古く全国に4ヵ所しか残っていません。 当地では、島津家参勤交代の折、藩主の徒然(つれづれ)を慰(なぐさ)めるために操ったと伝えられています。 定期公演は3、6、9、11月の第3日曜日。
弥五郎どん祭り(やごろうどんまつり) 文化庁選択「無形民俗文化財」
町の総鎮守である円野神社の例大祭は、11月3日です。 この御神幸行列の先導役として登場するのが「弥五郎どん」です。 弥五郎どんは悪霊除けの人形として伝えられ、人形ゆかりのものに触れると、病気をせず一年中元気に暮らせると言われていて祭りの日は大変な賑(にぎ)わいを見せます。
と書かれています。
写真AX: 「山之口町観光案内」板があります。
あじさい公園
松尾城址に立つ城風の展望台が公園のシンボル。 6月には、6.9 haの園内に多種多様のあじさいの花が咲き揃(そろ)います。
桝安森林公園(ますやすしんりんこうえん)
都城盆地が一望できるこの公園からは、高千穂の峰をはじめ霧島連山の姿も美しく、春には桜の名所として親しまれています。
かくれ念仏洞
藩政時代の一向宗禁制下における領主と信者の生死をかけた戦跡がかくれ念仏洞です。 田島かくれ念仏洞は原型をとどめる貴重な文化遺産です。
青井岳自然公園
豊かな自然と思いきり遊べる青井岳リゾートパーク。 温泉のある国民宿舎やケビンを備えたキャンプ場、紅葉の境川渓谷と、一年中自然体験ができます。
山之口麓文弥節人形浄瑠璃(やまのくちふもとぶんやぶしにんぎょうじょうるり) 国の重要無形民族文化財
延宝(1673年)の頃、大阪で浄瑠璃太夫(じょうるりだゆう)として活躍した岡本文弥の語り調子を今に伝える貴重な人形芝居です。 芸態も古く全国に4ヵ所しか残っていません。 当地では、島津家参勤交代の折、藩主の徒然(つれづれ)を慰(なぐさ)めるために操ったと伝えられています。 定期公演は3、6、9、11月の第3日曜日。
弥五郎どん祭り(やごろうどんまつり) 文化庁選択「無形民俗文化財」
町の総鎮守である円野神社の例大祭は、11月3日です。 この御神幸行列の先導役として登場するのが「弥五郎どん」です。 弥五郎どんは悪霊除けの人形として伝えられ、人形ゆかりのものに触れると、病気をせず一年中元気に暮らせると言われていて祭りの日は大変な賑(にぎ)わいを見せます。
と書かれています。
写真AY: 「山之口町観光案内」板があります。
あじさい公園
松尾城址に立つ城風の展望台が公園のシンボル。 6月には、6.9 haの園内に多種多様のあじさいの花が咲き揃(そろ)います。
桝安森林公園(ますやすしんりんこうえん)
都城盆地が一望できるこの公園からは、高千穂の峰をはじめ霧島連山の姿も美しく、春には桜の名所として親しまれています。
かくれ念仏洞
藩政時代の一向宗禁制下における領主と信者の生死をかけた戦跡がかくれ念仏洞です。 田島かくれ念仏洞は原型をとどめる貴重な文化遺産です。
青井岳自然公園
豊かな自然と思いきり遊べる青井岳リゾートパーク。 温泉のある国民宿舎やケビンを備えたキャンプ場、紅葉の境川渓谷と、一年中自然体験ができます。
山之口麓文弥節人形浄瑠璃(やまのくちふもとぶんやぶしにんぎょうじょうるり) 国の重要無形民族文化財
延宝(1673年)の頃、大阪で浄瑠璃太夫(じょうるりだゆう)として活躍した岡本文弥の語り調子を今に伝える貴重な人形芝居です。 芸態も古く全国に4ヵ所しか残っていません。 当地では、島津家参勤交代の折、藩主の徒然(つれづれ)を慰(なぐさ)めるために操ったと伝えられています。 定期公演は3、6、9、11月の第3日曜日。
弥五郎どん祭り(やごろうどんまつり) 文化庁選択「無形民俗文化財」
町の総鎮守である円野神社の例大祭は、11月3日です。 この御神幸行列の先導役として登場するのが「弥五郎どん」です。 弥五郎どんは悪霊除けの人形として伝えられ、人形ゆかりのものに触れると、病気をせず一年中元気に暮らせると言われていて祭りの日は大変な賑(にぎ)わいを見せます。
と書かれています。
写真AZ: 「山之口町観光案内」板があります。
あじさい公園
松尾城址に立つ城風の展望台が公園のシンボル。 6月には、6.9 haの園内に多種多様のあじさいの花が咲き揃(そろ)います。
桝安森林公園(ますやすしんりんこうえん)
都城盆地が一望できるこの公園からは、高千穂の峰をはじめ霧島連山の姿も美しく、春には桜の名所として親しまれています。
かくれ念仏洞
藩政時代の一向宗禁制下における領主と信者の生死をかけた戦跡がかくれ念仏洞です。 田島かくれ念仏洞は原型をとどめる貴重な文化遺産です。
青井岳自然公園
豊かな自然と思いきり遊べる青井岳リゾートパーク。 温泉のある国民宿舎やケビンを備えたキャンプ場、紅葉の境川渓谷と、一年中自然体験ができます。
山之口麓文弥節人形浄瑠璃(やまのくちふもとぶんやぶしにんぎょうじょうるり) 国の重要無形民族文化財
延宝(1673年)の頃、大阪で浄瑠璃太夫(じょうるりだゆう)として活躍した岡本文弥の語り調子を今に伝える貴重な人形芝居です。 芸態も古く全国に4ヵ所しか残っていません。 当地では、島津家参勤交代の折、藩主の徒然(つれづれ)を慰(なぐさ)めるために操ったと伝えられています。 定期公演は3、6、9、11月の第3日曜日。
弥五郎どん祭り(やごろうどんまつり) 文化庁選択「無形民俗文化財」
町の総鎮守である円野神社の例大祭は、11月3日です。 この御神幸行列の先導役として登場するのが「弥五郎どん」です。 弥五郎どんは悪霊除けの人形として伝えられ、人形ゆかりのものに触れると、病気をせず一年中元気に暮らせると言われていて祭りの日は大変な賑(にぎ)わいを見せます。
と書かれています。
写真BA: 「山之口町観光案内」板があります。
あじさい公園
松尾城址に立つ城風の展望台が公園のシンボル。 6月には、6.9 haの園内に多種多様のあじさいの花が咲き揃(そろ)います。
桝安森林公園(ますやすしんりんこうえん)
都城盆地が一望できるこの公園からは、高千穂の峰をはじめ霧島連山の姿も美しく、春には桜の名所として親しまれています。
かくれ念仏洞
藩政時代の一向宗禁制下における領主と信者の生死をかけた戦跡がかくれ念仏洞です。 田島かくれ念仏洞は原型をとどめる貴重な文化遺産です。
青井岳自然公園
豊かな自然と思いきり遊べる青井岳リゾートパーク。 温泉のある国民宿舎やケビンを備えたキャンプ場、紅葉の境川渓谷と、一年中自然体験ができます。
山之口麓文弥節人形浄瑠璃(やまのくちふもとぶんやぶしにんぎょうじょうるり) 国の重要無形民族文化財
延宝(1673年)の頃、大阪で浄瑠璃太夫(じょうるりだゆう)として活躍した岡本文弥の語り調子を今に伝える貴重な人形芝居です。 芸態も古く全国に4ヵ所しか残っていません。 当地では、島津家参勤交代の折、藩主の徒然(つれづれ)を慰(なぐさ)めるために操ったと伝えられています。 定期公演は3、6、9、11月の第3日曜日。
弥五郎どん祭り(やごろうどんまつり) 文化庁選択「無形民俗文化財」
町の総鎮守である円野神社の例大祭は、11月3日です。 この御神幸行列の先導役として登場するのが「弥五郎どん」です。 弥五郎どんは悪霊除けの人形として伝えられ、人形ゆかりのものに触れると、病気をせず一年中元気に暮らせると言われていて祭りの日は大変な賑(にぎ)わいを見せます。
と書かれています。
写真BB: 「山之口町観光案内」板があります。
あじさい公園
松尾城址に立つ城風の展望台が公園のシンボル。 6月には、6.9 haの園内に多種多様のあじさいの花が咲き揃(そろ)います。
桝安森林公園(ますやすしんりんこうえん)
都城盆地が一望できるこの公園からは、高千穂の峰をはじめ霧島連山の姿も美しく、春には桜の名所として親しまれています。
かくれ念仏洞
藩政時代の一向宗禁制下における領主と信者の生死をかけた戦跡がかくれ念仏洞です。 田島かくれ念仏洞は原型をとどめる貴重な文化遺産です。
青井岳自然公園
豊かな自然と思いきり遊べる青井岳リゾートパーク。 温泉のある国民宿舎やケビンを備えたキャンプ場、紅葉の境川渓谷と、一年中自然体験ができます。
山之口麓文弥節人形浄瑠璃(やまのくちふもとぶんやぶしにんぎょうじょうるり) 国の重要無形民族文化財
延宝(1673年)の頃、大阪で浄瑠璃太夫(じょうるりだゆう)として活躍した岡本文弥の語り調子を今に伝える貴重な人形芝居です。 芸態も古く全国に4ヵ所しか残っていません。 当地では、島津家参勤交代の折、藩主の徒然(つれづれ)を慰(なぐさ)めるために操ったと伝えられています。 定期公演は3、6、9、11月の第3日曜日。
弥五郎どん祭り(やごろうどんまつり) 文化庁選択「無形民俗文化財」
町の総鎮守である円野神社の例大祭は、11月3日です。 この御神幸行列の先導役として登場するのが「弥五郎どん」です。 弥五郎どんは悪霊除けの人形として伝えられ、人形ゆかりのものに触れると、病気をせず一年中元気に暮らせると言われていて祭りの日は大変な賑(にぎ)わいを見せます。
と書かれています。
写真BC: 「山之口町観光案内」板があります。
あじさい公園
松尾城址に立つ城風の展望台が公園のシンボル。 6月には、6.9 haの園内に多種多様のあじさいの花が咲き揃(そろ)います。
桝安森林公園(ますやすしんりんこうえん)
都城盆地が一望できるこの公園からは、高千穂の峰をはじめ霧島連山の姿も美しく、春には桜の名所として親しまれています。
かくれ念仏洞
藩政時代の一向宗禁制下における領主と信者の生死をかけた戦跡がかくれ念仏洞です。 田島かくれ念仏洞は原型をとどめる貴重な文化遺産です。
青井岳自然公園
豊かな自然と思いきり遊べる青井岳リゾートパーク。 温泉のある国民宿舎やケビンを備えたキャンプ場、紅葉の境川渓谷と、一年中自然体験ができます。
山之口麓文弥節人形浄瑠璃(やまのくちふもとぶんやぶしにんぎょうじょうるり) 国の重要無形民族文化財
延宝(1673年)の頃、大阪で浄瑠璃太夫(じょうるりだゆう)として活躍した岡本文弥の語り調子を今に伝える貴重な人形芝居です。 芸態も古く全国に4ヵ所しか残っていません。 当地では、島津家参勤交代の折、藩主の徒然(つれづれ)を慰(なぐさ)めるために操ったと伝えられています。 定期公演は3、6、9、11月の第3日曜日。
弥五郎どん祭り(やごろうどんまつり) 文化庁選択「無形民俗文化財」
町の総鎮守である円野神社の例大祭は、11月3日です。 この御神幸行列の先導役として登場するのが「弥五郎どん」です。 弥五郎どんは悪霊除けの人形として伝えられ、人形ゆかりのものに触れると、病気をせず一年中元気に暮らせると言われていて祭りの日は大変な賑(にぎ)わいを見せます。
と書かれています。
写真BD: あじさい公園の建物です。
写真BE: 水の少ない池が建物のそばにあります。 岩もあります。 斜面には多くのアジサイが植えてあります。 城の形をした展望台は右上にあります。
「山之口あじさい公園」
総面積: 6.9 ヘクタール (2万1040坪)、開設: 平成6(1994年)年6月3日、21種類、2万5000本のあじさいが植栽(平成7年6月現在)してあり、あじさい日本一の郷(さと)を目指(めざ)して現在も植栽を続けています。
写真BF: 奥に上に登る階段が見えます。 左は池、右は駐車場、手前に水飲み場があります。
写真BG: あじさい公園の駐車場です。
写真BH: あじさい公園の入り口と駐車場です。
写真BI: 右の部分はトイレです。
写真BJ: あじさい公園の建物です。
写真BK: あじさい公園にある日本庭園です。
「山之口あじさい公園」
総面積: 6.9 ヘクタール (2万1040坪)、開設: 平成6(1994年)年6月3日、21種類、2万5000本のあじさいが植栽(平成7年6月現在)してあり、あじさい日本一の郷(さと)を目指(めざ)して現在も植栽を続けています。
写真BL: 池に少し水があります。
写真BM: 左上に城の形をした展望台が見えます。 丘の斜面にいろんな種類のアジサイが植えてあります。 手前は池です。
「山之口あじさい公園」
総面積: 6.9 ヘクタール (2万1040坪)、開設: 平成6(1994年)年6月3日、21種類、2万5000本のあじさいが植栽(平成7年6月現在)してあり、あじさい日本一の郷(さと)を目指(めざ)して現在も植栽を続けています。
三股城跡(みまたじょうあと)は松尾城跡とも呼(よ)ばれ「あじさい公園」にあります。 住所は宮崎県 都城市 山之口町 花木 字百地 (あじさい公園)にあります。 「三股城(松尾城)」は山城です。 築城は建武年間(1334~1338年)でその頃は肝属(きもつき)兼重が城主でした。 延文年間(1356年~1361年)に畠山義顕が居城、そのあとは和田・高木が居城していましたが、島津に殺害されて、樺山(かばやま)安芸守が城主になりました。 明応4年(1495年)に伊東のものになり、伊東の八外城(伊東八外城)のひとつとして川崎甲斐守、村山が城主となりましたが、島津の分家である北郷(ほんごう)によって落城させられ、島津の分家である北郷が城主になりました。 伊東八外城は日和城(ひわんじょう)を中心本城として山之口城、松尾城(三股城)、梶山城、勝岡城、小山城、野々美谷城、下ノ城を支城としていました。
写真BN: 上に登る木製の階段が見えます。 斜面にはあじさいがあります。 手前は池です。
写真BO: 木立(こだち)の向こうに松尾城(三股城)が見えます。
三股城跡(みまたじょうあと)は松尾城跡とも呼(よ)ばれ宮崎県 都城市 山之口町 花木 字百地 (あじさい公園)にあります。
「山之口あじさい公園」
総面積: 6.9 ヘクタール (2万1040坪)、開設: 平成6(1994年)年6月3日、21種類、2万5000本のあじさいが植栽(平成7年6月現在)してあり、あじさい日本一の郷(さと)を目指(めざ)して現在も植栽を続けています。
写真BP: 池に水が流れ込(こ)んでいます。
写真BQ: 水飲み場、ベンチもあります。 看板(かんばん)も見えています。
「山之口あじさい公園」
総面積: 6.9 ヘクタール (2万1040坪)、開設: 平成6(1994年)年6月3日、21種類、2万5000本のあじさいが植栽(平成7年6月現在)してあり、あじさい日本一の郷(さと)を目指(めざ)して現在も植栽を続けています。
写真BR: 「あじさい公園案内板」、国旗掲揚台(けいようだい)があります。 駐車場の近くです。
写真BS: 「あじさい公園案内板」。 絵地図が載(の)っています。
写真BT: 「もっともっと階段、坂道を利用しましょう。 上りは筋肉を、下りは骨を強くします。」
坂道や階段を上がるときは、足を持ち上げます。 この片足10キロほどの足を持ち上げる動作が、太ももの筋肉や腹筋をとても強くします。 そして下るとき、下半身に体重がドッとかかり、骨にも圧力がかかります。 腰や膝(ひざ)が曲がらないようにフンバリます。 骨を丈夫(じょうぶ)にするにはこの圧力が必要なのです。 もう一つ体に効果的なことがあります。 それは、この動作をするとき息が弾(はず)みます。 このことはそれだけ体に酸素を取り入れていることになるのです。 酸素がたくさん取り入れられると、体中の血液の巡(めぐ)り、栄養状態が良くなります。 このように見ていくと、階段、坂道を利用することは、健康のためにはいい事だらけなんです。 ただ腰や膝(ひざ)が痛むときは無理をしないことです。 ちょっとやってみましょう。 あじさい公園
と書いてあります。
写真BU: 階段の途中(とちゅう)から見下ろした池、建物、ベンチ、外灯などです。
写真BV: 階段の途中からの景色です。
写真BW: 木製の階段から駐車場の方向を見たものです。 桜の木がたくさんあります。
写真BX: アジサイが茂る斜面に階段があります。
「山之口あじさい公園」
総面積: 6.9 ヘクタール (2万1040坪)、開設: 平成6(1994年)年6月3日、21種類、2万5000本のあじさいが植栽(平成7年6月現在)してあり、あじさい日本一の郷(さと)を目指(めざ)して現在も植栽を続けています。
写真BY: 下方の遊歩道も見えます。 アジサイの中に外灯があります。
写真BZ: 階段を登ると広場があります。 ここは昔は城の曲輪(くるわ、平らな所)があったところと思われます。 今は遊具があります。
写真CA: 階段を登ると広場があります。 ここは昔は城の曲輪(くるわ、平らな所)があったところと思われます。 今は遊具があります。
写真CB: 階段を登ると広場があります。 ここは昔は城の曲輪(くるわ、平らな所)があったところと思われます。 今は遊具があります。
写真CC: 桜の木とアジサイがあります。
写真CD: 木の階段を見下ろしたものです。
写真CE: 城の曲輪(くるわ、平らな所)のところから再び上に登る階段と左への遊歩道もあります。
写真CF: あじさい公園の入り口近くの建物、手前のアジサイが見えます。 曲輪(くるわ)の所から見た景色です。
「山之口あじさい公園」
総面積: 6.9 ヘクタール (2万1040坪)、開設: 平成6(1994年)年6月3日、21種類、2万5000本のあじさいが植栽(平成7年6月現在)してあり、あじさい日本一の郷(さと)を目指(めざ)して現在も植栽を続けています。
写真CG: アジサイが多く植えてあります。
写真CH: 曲輪(くるわ)の跡と思われる広場は遊園地になっています。
写真CI: 遊園地からさらに階段で上に登ります。 この上に城の形をした展望台があります。
写真CJ: 階段の途中(とちゅう)に東屋(あずまや)があります。
写真CK: 東屋(あずまや)のところからさらに上に階段を登ります。 このあたりも両側はアジサイが茂(しげ)っています。 桜の木もたくさん植えてあります。
「山之口あじさい公園」
総面積: 6.9 ヘクタール (2万1040坪)、開設: 平成6(1994年)年6月3日、21種類、2万5000本のあじさいが植栽(平成7年6月現在)してあり、あじさい日本一の郷(さと)を目指(めざ)して現在も植栽を続けています。
写真CL: 東屋(あずまや)のところからさらに上に階段を登ります。 このあたりも両側はアジサイが茂(しげ)っています。 桜の木もたくさんあります。
写真CM: 遠くの山も見えます。 手前はアジサイです。
写真CN: 桜の木とアジサイの中を登っていきます。
写真CO: 階段から見たもの。
写真CP: 階段には広くなった踊り場(おどりば)もあります。
写真CQ: ここから左の階段を上がると城に行きます。 真っ直(まっす)ぐ行くと下りの遊歩道があります。 遠くの山も見えます。 左に赤い彼岸花が咲いていました。
写真CR: 桜の木の向こうに城の形の展望台が見えてきました。 右に赤い彼岸花があります。
写真CS: 東遠くに鰐塚山(わにつかやま、標高 1118.1 m)も見えます。
写真CT: 手前に桜の木とアジサイがあります。
写真CU: 北を見た景色です。 遠くの山も見えます。 手前は階段です。
写真CV: 桜の木も多くあります。
写真CW: 階段の近くの様子(ようす)です。
写真CX: ここから左の階段を上がると城に行きます。 真っ直(まっす)ぐ行くと下りの遊歩道があります。
写真CY: 桜の木の向こうに城の形の展望台が見えています。 右に赤い彼岸花があります。
写真CZ: 先は下り坂の遊歩道があります。
写真DA: 彼岸花(ひがんばな)が咲いていました。
写真DB: 三股城跡(みまたじょうあと)は松尾城跡とも呼(よ)ばれ宮崎県 都城市 山之口町 花木 字百地 (あじさい公園)にあります。
標高 216.8 mのところにあります。
「山之口あじさい公園」
総面積: 6.9 ヘクタール (2万1040坪)、開設: 平成6(1994年)年6月3日、21種類、2万5000本のあじさいが植栽(平成7年6月現在)してあり、あじさい日本一の郷(さと)を目指(めざ)して現在も植栽を続けています。
写真DC: 山頂にある城の形の展望台近くの階段です。 右に赤い彼岸花があります。 外灯も見えています。 左はアジサイです。 あじさい公園。
写真DD: 北を見た景色です。 遠くの山も見えます。 桜の木とアジサイが手前にあります。
写真DE: 登って来た遊歩道を振り返ったもの。
写真DF: 遠く南西に都城市の中心部が見えます。 手前に畑、人家、杉林なども見えています。
写真DG: 三股城跡(松尾城跡)から南西を見た景色です。
写真DH: 三股城跡(松尾城跡)の山頂に登る最後の階段です。
写真DI: 三股城跡(松尾城跡)の山頂付近の景色です。 昔あった城はこのような形ではありません。 これは模擬城です。
三股城跡(みまたじょうあと)は松尾城跡とも呼(よ)ばれ「あじさい公園」にあります。 住所は宮崎県 都城市 山之口町 花木 字百地 (あじさい公園)にあります。 「三股城(松尾城)」は山城です。 築城は建武年間(1334~1338年)でその頃は肝属(きもつき)兼重が城主でした。 延文年間(1356年~1361年)に畠山義顕が居城、そのあとは和田・高木が居城していましたが、島津に殺害されて、樺山(かばやま)安芸守が城主になりました。 明応4年(1495年)に伊東のものになり、伊東の八外城(伊東八外城)のひとつとして川崎甲斐守、村山が城主となりましたが、島津の分家である北郷(ほんごう)によって落城させられ、島津の分家である北郷が城主になりました。 伊東八外城は日和城(ひわんじょう)を中心本城として山之口城、松尾城(三股城)、梶山城、勝岡城、小山城、野々美谷城、下ノ城を支城としていました。
写真DJ: 斜面にアジサイがあります。 右上は城の形の展望台(模擬城)です。
写真DK: 桜の木とアジサイ。 遊歩道のそばです。
写真DL: あじさい公園には桜の木もたくさんあります。
写真DM: 遊歩道のこの部分は通行止めでした。 東の山も見えます。 左は石垣(いしがき)です。
写真DN: あじさい公園の山頂にある模擬城の下部です。
写真DO: あじさい公園の山頂にある模擬城の下部。
写真DP: 三股城跡(松尾城跡)にある模擬城は石垣(いしがき)の上にある4階建てです。 南西から見たものです。
三股城跡(みまたじょうあと)は松尾城跡とも呼(よ)ばれ「あじさい公園」にあります。 住所は宮崎県 都城市 山之口町 花木 字百地 (あじさい公園)にあります。 「三股城(松尾城)」は山城です。 築城は建武年間(1334~1338年)でその頃は肝属(きもつき)兼重が城主でした。 延文年間(1356年~1361年)に畠山義顕が居城、そのあとは和田・高木が居城していましたが、島津に殺害されて、樺山(かばやま)安芸守が城主になりました。 明応4年(1495年)に伊東のものになり、伊東の八外城(伊東八外城)のひとつとして川崎甲斐守、村山が城主となりましたが、島津の分家である北郷(ほんごう)によって落城させられ、島津の分家である北郷が城主になりました。 伊東八外城は日和城(ひわんじょう)を中心本城として山之口城、松尾城(三股城)、梶山城、勝岡城、小山城、野々美谷城、下ノ城を支城としていました。
写真DQ: 三股城跡(松尾城跡)にある模擬城の西側です。
写真DR: 模擬城近くの遊歩道です。
写真DS: 三股城跡(松尾城跡)にある模擬城の石垣(いしがき)の様子です。
この石垣は「打ち込み接ぎ(うちこみはぎ)」の方法で作られた石垣です。
<参考> 「石垣」は
(1)野面積み(のづらづみ): 自然石をそのまま加工せずに積み上げる方法です。
(2)打ち込み接ぎ(うちこみはぎ): 表面に出る石の角や面をたたき、平にし石同士の接合面に隙間(すきま)を減らして積み上げる方法です。 関ヶ原の戦い以後、多く造られました。 野面積みより高く、急な勾配(こうばい)が可能です。
(3)切込み接ぎ(きりこみはぎ): 方形に整形した石を密着させて、積み上げる方法です。 慶長5年(1600年)以後に、隅石(すみいし)の加工から徐々に平石にまで広がりました。 江戸時代初期(元和年間)以後に多く造られました。 石同士が密着しているので排水できないため、排水口が設置されます。
などがあります。
写真DT: この階段を登ると南側の入り口があります。
写真DU: 石垣(いしがき)には西側から東側に通じる通路があり、そこにトイレもあります。
写真DV: 石垣(いしがき)には西側から東側に通じる通路があり、そこにトイレもあります。
写真DW: 三股城跡(松尾城跡)にある模擬城の石垣の様子(ようす)です。
写真DX: 三股城跡(松尾城跡)にある模擬城の石垣です。
写真DY: 三股城跡(松尾城跡)にある模擬城の北西の角(かど)の部分です。
写真DZ: 北西の屋根の部分です。
写真EA: 東に鰐塚山(わにつかやま、標高 1118.1 m)が見えます。
「山之口あじさい公園」
総面積: 6.9 ヘクタール (2万1040坪)、開設: 平成6(1994年)年6月3日、21種類、2万5000本のあじさいが植栽(平成7年6月現在)してあり、あじさい日本一の郷(さと)を目指(めざ)して現在も植栽を続けています。
写真EB: 三股城跡(松尾城跡)にあるあじさい公園の模擬城の北側はこのようになっています。
写真EC: そばの様子(ようす)です。 アジサイもあります。
写真ED: そばの様子(ようす)。 アジサイもあります。
写真EE: 東側からのトイレに行く入口です。
写真EF: 東側からのトイレに行く入口。
写真EG: 三股城跡(松尾城跡)にある模擬城を東から見たものです。
写真EH: 三股城跡(松尾城跡)にある模擬城を東から見上げたもの。
写真EI: 模擬城の付近です。
写真EJ: 模擬城の南東に三股城跡(松尾城跡)の曲輪(くるわ、平らな所)があります。
写真EK: 模擬城の南東に三股城跡(松尾城跡)の曲輪(くるわ、平らな所)があります。
三股城跡(みまたじょうあと)は松尾城跡とも呼(よ)ばれ「あじさい公園」にあります。 住所は宮崎県 都城市 山之口町 花木 字百地 (あじさい公園)にあります。 「三股城(松尾城)」は山城です。 築城は建武年間(1334~1338年)でその頃は肝属(きもつき)兼重が城主でした。 延文年間(1356年~1361年)に畠山義顕が居城、そのあとは和田・高木が居城していましたが、島津に殺害されて、樺山(かばやま)安芸守が城主になりました。 明応4年(1495年)に伊東のものになり、伊東の八外城(伊東八外城)のひとつとして川崎甲斐守、村山が城主となりましたが、島津の分家である北郷(ほんごう)によって落城させられ、島津の分家である北郷が城主になりました。 伊東八外城は日和城(ひわんじょう)を中心本城として山之口城、松尾城(三股城)、梶山城、勝岡城、小山城、野々美谷城、下ノ城を支城としていました。
写真EL: 東に鰐塚山(わにつかやま、標高 1118.1 m)も見えます。
右手前は三股城跡(松尾城跡)の曲輪(くるわ、平らな所)です。
写真EM: 東に鰐塚山(わにつかやま、標高 1118.1 m)も見えます。
写真EN: 中央右寄りに水道水の大きなタンクが見えます。 左手前の木はアジサイです。
写真EO: 三股城跡(松尾城跡)の本丸はこの付近にあったと思われます。 ここは山頂で標高 217 mです。 桜の木が植えてあります。 テーブルと椅子(いす)も見えます。 南東を見たもの。
写真EP: 三股城跡(松尾城跡)の本丸はこの付近にあったと思われます。 ここは山頂で標高 217 mです。 桜の木が植えてあります。 椅子(いす)も見えます。 東を見たもの。 鰐塚山(わにつかやま、標高 1118.1 m)も見えます。
写真EQ: 三股城跡(松尾城跡)の本丸はこの付近にあったと思われます。 ここは山頂で標高 217 mです。 桜の木が植えてあります。 テーブルと椅子(いす)も見えます。 南東を見たもの。
写真ER: 三股城跡(松尾城跡)の本丸はこの付近にあったと思われます。 ここは山頂で標高 217 mです。 桜の木が植えてあります。 椅子(いす)も見えます。 南東を見たもの。
写真ES: 三股城跡(松尾城跡)の本丸はこの付近にあったと思われます。 ここは山頂で標高 217 mです。 桜の木が植えてあります。
写真ET: 南東の曲輪(くるわ、平らな所)から見た三股城跡(松尾城跡)にある城の形の展望台(模擬城)です。 ここは標高 217 m。 三股城跡(松尾城跡)です。
三股城跡(みまたじょうあと)は松尾城跡とも呼(よ)ばれ「あじさい公園」にあります。 住所は宮崎県 都城市 山之口町 花木 字百地 (あじさい公園)にあります。 「三股城(松尾城)」は山城です。 築城は建武年間(1334~1338年)でその頃は肝属(きもつき)兼重が城主でした。 延文年間(1356年~1361年)に畠山義顕が居城、そのあとは和田・高木が居城していましたが、島津に殺害されて、樺山(かばやま)安芸守が城主になりました。 明応4年(1495年)に伊東のものになり、伊東の八外城(伊東八外城)のひとつとして川崎甲斐守、村山が城主となりましたが、島津の分家である北郷(ほんごう)によって落城させられ、島津の分家である北郷が城主になりました。 伊東八外城は日和城(ひわんじょう)を中心本城として山之口城、松尾城(三股城)、梶山城、勝岡城、小山城、野々美谷城、下ノ城を支城としていました。
写真EU: 南東の曲輪(くるわ、平らな所)から見た三股城跡(松尾城跡)にある城の形の展望台(模擬城)。 アジサイも植えてあります。 ここは標高 217 m。 三股城跡(松尾城跡)。
「山之口あじさい公園」
総面積: 6.9 ヘクタール (2万1040坪)、開設: 平成6(1994年)年6月3日、21種類、2万5000本のあじさいが植栽(平成7年6月現在)してあり、あじさい日本一の郷(さと)を目指(めざ)して現在も植栽を続けています。
写真EV: 北を見た景色です。
写真EW: 中央に水道水の大きなタンクが見えます。 手前の木はアジサイです。 北東を見たもの。
写真EX: 三股城跡(松尾城跡)にある曲輪(くるわ、平らな所)です。 東を見たもの。
写真EY: 三股城跡(松尾城跡)にある曲輪(くるわ、平らな所)です。 南東を見たもの。
写真EZ: 芝生に四角に区切った所があり、石がそこだけにあります。 整備する前の姿を残してあるのでしょうか。
写真FA: 三股城跡(松尾城跡)にある曲輪(くるわ、平らな所)です。 桜の木の奥に城の形の展望台(模擬城)があります。 テーブルと椅子(いす)もあります。
写真FB: 南西を見た眺望(ちょうぼう)です。 遠くに都城市の中心部が見えます。 手前に人家、畑、杉林も見えています。
写真FC: 曲輪(くるわ、平らな所)から南を見た展望です。 山も見えます。
写真FD: 曲輪(くるわ、平らな所)から南東を見た展望です。 遠くの山も見えます。 アジサイ公園の中の道、外灯も見えます。
写真FE: 南東を見たもの。 ここは標高 217 m。
写真FF: 東を見たもの。 鰐塚山(わにつかやま、標高 1118.1 m)も見えます。
写真FG: 南西を見た景色です。 右遠くに都城市の中心部も見えます。 手前に人家も見えています。
写真FH: 南西を見た眺望(ちょうぼう)です。 遠くに都城市の中心部も見えます。 手前に人家も見えています。
写真FI: 三股城跡(松尾城跡)にある曲輪(くるわ、平らな所)です。 ここは標高 217 m。 南東を見たもの。
写真FJ: 曲輪のまわりにある柵(さく)です。
写真FK: 東を見た景色です。 鰐塚山(わにつかやま、標高 1118.1 m)も見えます。
写真FL: 東を見たもの。 鰐塚山(わにつかやま、標高 1118.1 m)も見えます。
写真FM: 北東を見たもの。
写真FN: 曲輪の北の様子(ようす)です。
写真FO: 曲輪には桜の木、アジサイが多くあります。 ここは標高 217 m。
写真FP: 曲輪(くるわ、平らな所)の南東の端(はし)に近いところ。
写真FQ: 曲輪(くるわ、平らな所)の南東の端(はし)のところはこのようになっています。 南東を見たもの。
写真FR: 曲輪から南を見た展望です。
写真FS: 曲輪(くるわ)から南を見た眺望(ちょうぼう)です。 田んぼ、畑、人家、道も見えています。
写真FT: 排水の溝(みぞ)があります。
写真FU: 下にも展望所が見えます。 アジサイ公園の道も見えています。
写真FV: 下にも展望所があります。 アジサイ公園の道も見えています。
写真FW: 下に道も見えています。
写真FX: 杉林も近くにあります。
写真FY: 曲輪にもアジサイ、桜の木もあります。
写真FZ: 木のベンチ、椅子(いす)です。
写真GA: 曲輪(くるわ)の南東の端から見た城の形の展望台(模擬城)です。 模擬城もこの曲輪(標高 217 m)の中にあります。 三股城跡(松尾城跡)。
写真GB: 右端に城の形の展望台(模擬城)があります。
写真GC: 左に高千穂峰が見えています。 南東にある曲輪(くるわ)から見た城の形の展望台(模擬城)です。 ここは標高 217 m。 三股城跡(松尾城跡)です。
三股城跡(みまたじょうあと)は松尾城跡とも呼(よ)ばれ「あじさい公園」にあります。 住所は宮崎県 都城市 山之口町 花木 字百地 (あじさい公園)にあります。 「三股城(松尾城)」は山城です。 築城は建武年間(1334~1338年)でその頃は肝属(きもつき)兼重が城主でした。 延文年間(1356年~1361年)に畠山義顕が居城、そのあとは和田・高木が居城していましたが、島津に殺害されて、樺山(かばやま)安芸守が城主になりました。 明応4年(1495年)に伊東のものになり、伊東の八外城(伊東八外城)のひとつとして川崎甲斐守、村山が城主となりましたが、島津の分家である北郷(ほんごう)によって落城させられ、島津の分家である北郷が城主になりました。 伊東八外城は日和城(ひわんじょう)を中心本城として山之口城、松尾城(三股城)、梶山城、勝岡城、小山城、野々美谷城、下ノ城を支城としていました。
写真GD: 北西に霧島連山、高千穂峰(たかちほのみね)が美しく見えます。 三股城跡(松尾城跡)から。
写真GE: 三股城跡(松尾城跡)にあるアジサイ公園の城の形の展望台(模擬城)です。
宮崎県 都城市 山之口町 花木 字百地にある「あじさい公園」。
写真GF: 北を見た景色です。
写真GG: 北を見た眺望(ちょうぼう)です。 山、田んぼ、集落も見えています。
写真GH: 都城市 山之口町にあるあじさい公園。
写真GI: 模擬城の南側に入り口があります。
写真GJ: 模擬城の南側に入り口があります。
写真GK: 模擬城の南側にある入り口の上部です。
写真GL: 南側から見上げた模擬城の屋根です。
写真GM: 軒瓦(のきがわら)に「巴(ともえ)」の紋(もん)があります。
写真GN: 城の形の展望台(模擬城)の階段を登ると「松尾城址(まつおじょうし)」の発掘調査(はっくつちょうさ)のときの写真が展示してあります。
この発掘調査は平成3年に行われました。
写真GO: 城の形の展望台(模擬城)の階段を登るとある「松尾城址(まつおじょうし、三股城跡)」の発掘調査(はっくつちょうさ)のときの写真。
この発掘調査は平成3年に行われました。
写真GP: 三股城跡(松尾城跡)にある城の中の写真です。 三股城跡(みまたじょうあと)の発掘調査のときの写真展示、階段、窓、床(ゆか)などが見えます。
写真GQ: 左下は城の入口です。 三股城跡(松尾城跡)にある城の中です。 2階の三股城跡(みまたじょうあと)の発掘調査のときの写真展示、窓、床(ゆか)などが見えます。
写真GR: 城の入口を見下(みお)ろしたもの。
写真GS: 1枚目の写真が壁(かべ)に見えます。
写真GT: 城の2階です。
写真GU: 2階から3階に登る階段です。
写真GV: 「松尾城址(まつおじょうし、三股城跡)」の発掘調査(はっくつちょうさ)のときの写真です。
この発掘調査は平成3年に行われました。
三股城跡(みまたじょうあと)は松尾城跡とも呼(よ)ばれ「あじさい公園」にあります。 住所は宮崎県 都城市 山之口町 花木 字百地 (あじさい公園)にあります。 「三股城(松尾城)」は山城です。 築城は建武年間(1334~1338年)でその頃は肝属(きもつき)兼重が城主でした。 延文年間(1356年~1361年)に畠山義顕が居城、そのあとは和田・高木が居城していましたが、島津に殺害されて、樺山(かばやま)安芸守が城主になりました。 明応4年(1495年)に伊東のものになり、伊東の八外城(伊東八外城)のひとつとして川崎甲斐守、村山が城主となりましたが、島津の分家である北郷(ほんごう)によって落城させられ、島津の分家である北郷が城主になりました。 伊東八外城は日和城(ひわんじょう)を中心本城として山之口城、松尾城(三股城)、梶山城、勝岡城、小山城、野々美谷城、下ノ城を支城としていました。
写真GW: 三股城跡(みまたじょうあと、松尾城跡)の発掘調査のときの写真です。 大きな柱の穴のようです。
この発掘調査は平成3年に行われました。
写真GX: 三股城跡(みまたじょうあと、松尾城跡)の発掘調査のときの写真。
この発掘調査は平成3年に行われました。
写真GY: 三股城跡(みまたじょうあと、松尾城跡)の発掘調査のときの写真です。
この発掘調査は平成3年に行われました。
写真GZ: 三股城跡(みまたじょうあと、松尾城跡)の発掘調査のときの写真。
この発掘調査は平成3年に行われました。
写真HA: 「山之口麓文弥節人形浄瑠璃(やまのくちふもとぶんやぶしにんぎょうじょうるり)」の写真です。
写真HB: 「弥五郎どん祭り」の写真です。
写真HC: 城の入り口を2階から見下ろしたものです。
写真HD: 2階から城の内部の上を見上げた写真です。
写真HE: 城の内部の上を見上げた写真です。 天井(てんじょう)の照明も見えます。
写真HF: 「山之口あじさい公園 概要」
総面積: 6.9 ヘクタール (2万1040坪)、開設: 平成6(1994年)年6月3日、21種類、2万5000本のあじさいが植栽(平成7年6月現在)してあり、あじさい日本一の郷(さと)を目指(めざ)して現在も植栽を続けています。
と書いてあります。
写真HG: 城の内部の様子(ようす)です。
写真HH: 城の最上階です。 ガラス戸があって外周(そとまわ)りに出て、都城盆地(霧島盆地)や霧島連山(霧島山地)を展望できます。
写真HI: 三股城跡(みまたじょうあと、松尾城跡)にある城の形の展望台(模擬城)の最上階です。 ベンチもあります。
写真HJ: 三股城跡(みまたじょうあと、松尾城跡)にある城の形の展望台(模擬城)の最上階。 ベンチもあります。
写真HK: 城の最上階から階段の下を見たもの。
写真KL: 最上階のガラス戸から外に出ることができます。 大きな写真に霧島連山と書いてあります。
写真KM: 最上階のガラス戸から外に出ることができます。 大きな写真に霧島連山、高城町と書いてあります。
写真KN: 城の最上階の展望台には双眼鏡も設置してあります。 南を見た展望です。 田んぼ、人家、林、遠くの山も見えます。
三股町(みまたちょう)も見えています。
三股城跡(みまたじょうあと)は松尾城跡とも呼(よ)ばれ「あじさい公園」にあります。 住所は宮崎県 都城市 山之口町 花木 字百地 (あじさい公園)にあります。 「三股城(松尾城)」は山城です。 築城は建武年間(1334~1338年)でその頃は肝属(きもつき)兼重が城主でした。 延文年間(1356年~1361年)に畠山義顕が居城、そのあとは和田・高木が居城していましたが、島津に殺害されて、樺山(かばやま)安芸守が城主になりました。 明応4年(1495年)に伊東のものになり、伊東の八外城(伊東八外城)のひとつとして川崎甲斐守、村山が城主となりましたが、島津の分家である北郷(ほんごう)によって落城させられ、島津の分家である北郷が城主になりました。 伊東八外城は日和城(ひわんじょう)を中心本城として山之口城、松尾城(三股城)、梶山城、勝岡城、小山城、野々美谷城、下ノ城を支城としていました。
写真KO: 三股城跡(みまたじょうあと、松尾城跡)にある城の形の展望台(模擬城)から南西を見た景色です。 遠くに都城市の中心部も見えています。 人家、田んぼ、林、道路などが見えます。
写真KP: 宮崎県 都城市 山之口町にある三股城跡(みまたじょうあと、松尾城跡)にある城の形の展望台(模擬城)から北西を見た眺望(ちょうぼう)です。
ちょうど霧島連山の「新燃岳の噴煙(ふんえん)」が高千穂峰(たかちほのみね)の右に見えています。
霧島連山(霧島山地)が美しく見えます。 左から高千穂峰(たかちほのみね、標高1574.0 m)、新燃岳(しんもえだけ、1420.8 m)、獅子戸岳(ししこだけ、1429 m)、韓国岳(からくにだけ、1700 m)、夷守岳(ひなもりだけ、1344.1 m)が見えています。
右に山之口中学校の校庭、校舎が見えます。 都城市の中心部、高城町なども見えています。 手前の道はあじさい公園の遊歩道です。
写真KQ: 三股城跡(松尾城跡)の城の形の展望台から北を見た展望です。 左に山之口中学校の校庭、校舎、中央下部にあじさい公園の入り口にある建物、山之口町の中心部、遠くの山も見えます。
写真KR: 三股城跡(松尾城跡)の城の形の展望台から北を見た景色です。 田んぼ、集落、山などが見えています。
写真KS: 三股城跡(松尾城跡)の城の形の展望台から北を見た眺望(ちょうぼう)です。 山、田んぼ、集落なども見えます。
写真KT: 宮崎県 都城市 山之口町にある三股城跡(みまたじょうあと、松尾城跡)にある城の形の展望台(模擬城)から北西を見た眺望(ちょうぼう)です。
ちょうど霧島連山の「新燃岳の噴煙(ふんえん)」が高千穂峰(たかちほのみね)の右に見えています。
霧島連山(霧島山地)が美しく見えます。 左から高千穂峰(たかちほのみね、標高1574.0 m)、新燃岳(しんもえだけ、1420.8 m)、獅子戸岳(ししこだけ、1429 m)、韓国岳(からくにだけ、1700 m)、夷守岳(ひなもりだけ、1344.1 m)が見えています。
右に山之口中学校の校庭が見えます。
写真KU: 都城市 山之口町にある三股城跡(みまたじょうあと、松尾城跡)にある城の形の展望台(模擬城)から北西を見た景色です。
山之口中学校の校庭、校舎、あじさい公園に行く途中(とちゅう)にある海上自衛隊のヘリコプター展示、田んぼ、山之口町の集落、遠くの山も見えます。
写真KV: 都城市 山之口町にある三股城跡(みまたじょうあと、松尾城跡)にある城の形の展望台(模擬城)から北を見た展望です。 山之口町の中心部にある山之口総合支所、体育館、右に宮崎自動車道、遠くの山も見えます。
写真KW: 大きな写真に山之口町総合運動公園、山之口小学校、山之口サービスエリア、シルバーヤングふれあいの里などが書いてあります。
写真KX: 大きな写真に山之口町総合運動公園、山之口小学校、山之口サービスエリア、シルバーヤングふれあいの里などが書いてあります。
写真KY: 都城市 山之口町にある三股城跡(みまたじょうあと、松尾城跡)にある城の形の展望台(模擬城)から北西を見た景色です。
ちょうど霧島連山の「新燃岳の噴煙(ふんえん)」が高千穂峰(たかちほのみね)の右に見えています。
霧島連山(霧島山地)が美しく見えます。 左から高千穂峰(たかちほのみね、標高1574.0 m)、新燃岳(しんもえだけ、1420.8 m)、獅子戸岳(ししこだけ、1429 m)、韓国岳(からくにだけ、1700 m)、夷守岳(ひなもりだけ、1344.1 m)が見えています。
写真KZ: 城の形の展望台(模擬城)から北を見た展望です。 山之口町の中心部、山之口中学校なども見えています。
写真LA: 城の形の展望台(模擬城)から北を見た景色です。 水道水の大きな円筒形のタンクが右に見えています。
写真LB: 宮崎県 都城市 山之口町にある三股城跡(みまたじょうあと、松尾城跡)にある城の形の展望台(模擬城)から東を見た眺望(ちょうぼう)です。 鰐塚山(わにつかやま、標高 1118.1 m)も見えます。 左に水道水の大きな円筒形のタンクが見えます。
写真LC: 都城市 山之口町にある三股城跡(みまたじょうあと、松尾城跡)にある城の形の展望台(模擬城)から東を見た景色です。 左に鰐塚山(わにつかやま、標高 1118.1 m)も見えます。 中央付近に杉の木を伐採(ばっさい)して植林した四角いところも見えています。
写真LD: 屋根を下から見た様子(ようす)です。
写真LE: 北を見た景色です。
写真LF: 都城市 山之口町にある三股城跡(みまたじょうあと、松尾城跡)にある城の形の展望台(模擬城)から東を見た眺望(ちょうぼう)です。 鰐塚山(わにつかやま、標高 1118.1 m)も見えます。
写真LG: 都城市 山之口町にある三股城跡(みまたじょうあと、松尾城跡)にある城の形の展望台(模擬城)から東を見た眺望(ちょうぼう)です。 上方に杉の木を伐採(ばっさい)して植林した四角いところも見えています。 手前は三股城跡(松尾城跡)の曲輪(くるわ、平らな所)です。 細長い形をしています。
三股城跡(みまたじょうあと)は松尾城跡とも呼(よ)ばれ「あじさい公園」にあります。 住所は宮崎県 都城市 山之口町 花木 字百地 (あじさい公園)にあります。 「三股城(松尾城)」は山城です。 築城は建武年間(1334~1338年)でその頃は肝属(きもつき)兼重が城主でした。 延文年間(1356年~1361年)に畠山義顕が居城、そのあとは和田・高木が居城していましたが、島津に殺害されて、樺山(かばやま)安芸守が城主になりました。 明応4年(1495年)に伊東のものになり、伊東の八外城(伊東八外城)のひとつとして川崎甲斐守、村山が城主となりましたが、島津の分家である北郷(ほんごう)によって落城させられ、島津の分家である北郷が城主になりました。 伊東八外城は日和城(ひわんじょう)を中心本城として山之口城、松尾城(三股城)、梶山城、勝岡城、小山城、野々美谷城、下ノ城を支城としていました。
写真LH: 都城市 山之口町にある三股城跡(みまたじょうあと、松尾城跡)にある城の形の展望台(模擬城)から南東を見た展望です。 山並(やまな)みが少なくとも6重は見えます(6重の山並み)。
写真LI: 都城市 山之口町にある三股城跡(みまたじょうあと、松尾城跡)にある城の形の展望台(模擬城)から南東を見た景色です。
写真LJ: 屋根の様子(ようす)です。
写真LK: 大きな写真です。
写真LL: 大きな写真に「三股町(みまたちょう)」と書いてあります。
写真LM: 東を見たもの。 左端は鰐塚山(わにつかやま、標高 1118.1 m)。
三股城跡(みまたじょうあと)は松尾城跡とも呼(よ)ばれ「あじさい公園」にあります。 住所は宮崎県 都城市 山之口町 花木 字百地 (あじさい公園)にあります。 「三股城(松尾城)」は山城です。 築城は建武年間(1334~1338年)でその頃は肝属(きもつき)兼重が城主でした。 延文年間(1356年~1361年)に畠山義顕が居城、そのあとは和田・高木が居城していましたが、島津に殺害されて、樺山(かばやま)安芸守が城主になりました。 明応4年(1495年)に伊東のものになり、伊東の八外城(伊東八外城)のひとつとして川崎甲斐守、村山が城主となりましたが、島津の分家である北郷(ほんごう)によって落城させられ、島津の分家である北郷が城主になりました。 伊東八外城は日和城(ひわんじょう)を中心本城として山之口城、松尾城(三股城)、梶山城、勝岡城、小山城、野々美谷城、下ノ城を支城としていました。
写真LN: 南東を見たもの。 山並(やまな)みが少なくとも6重は見えます(6重の山並み)。
写真LO: 三股城跡(松尾城跡)から南を見た景色です。 三股町(みまたちょう)も見えています。
写真LP: 真下を見下ろしたもの。 あじさい公園の遊歩道も見えます。
写真LQ: 三股城跡(松尾城跡)の城の形の展望台(模擬城)の最上階から、海上自衛隊のヘリコプター展示が見えています。 右端はあじさい公園の入り口近くにある建物です。 駐車場の車も見えています。 左上は山之口中学校です。
写真LR: 北を見た景色です。 水道水の円筒形の大きなタンクがあります。 人家も見えます。
写真LS: あじさい公園の入り口にある池から見上げた三股城跡(松尾城跡)の城の形の展望台(模擬城)です。
写真LT: 駐車場に戻(もど)って来ました。
写真LU: あじさい公園の入り口付近からみた三股城跡(松尾城跡)の城の形の展望台(模擬城)です。
写真LV: アジサイの花の時期の「あじさい公園」の入り口です。
写真LW: 車道にも紫陽花(あじさい)の花が満開です。
写真LX: あじさい公園の駐車場と建物です。
写真LY: 紫陽花(あじさい)が咲いている斜面の上に松尾城が見えます。
写真LZ: あじさい公園の駐車場と池です。
写真MA: 紫陽花(アジサイ)の花の上にある松尾城です。 宮崎県 都城市。
写真MB: 松尾城のアジサイの花です。
写真MC: 売店でアジサイ ソフトクリーム(紫いも入り)を売っていました。
写真MD: あじさい公園にある花菖蒲(はなしょうぶ)の花です。
写真ME: 上に松尾城が見えます。 池のそばに花ショウブやアジサイの花が多く咲いています。 右端に東屋(あずまや)があります。
写真MF: あじさいの花と東屋(あずまや)です。
写真MG: 池には岩も置いてあります。 奥は花ショウブです。 観客も見えます。
写真MH: 岩とアジサイの花です。
写真MI: 紫陽花(アジサイ)の花です。
写真MJ: 斜面に咲いているアジサイの花です。
写真MK: 青色の「アジサイの花」です。
写真ML: 「ガクアジサイの花」も咲いています。
写真MM: 上は松尾城のそばの広場です。
写真MN: 上は松尾城のそばの広場です。 別の駐車場とアジサイの花も見えます。
写真MO: ここにも東屋(あずまや)があります。
写真MP: 東屋の近くです。
写真MQ: 松尾城に登る登城路です。 登城路にも紫陽花(アジサイ)の花が多く咲いています。 観客が見えます。
写真MR: 見上げた紫陽花(アジサイ)の花と松尾城です。
写真MS: 登城路から見た松尾城。 宮崎県 都城市。
写真MT: 崖(がけ)をコンクリートで補強してあります。 上は松尾城の広場です。
写真MU: 排水パイプが見えます。
写真MV: 登城路の両側にアジサイの花が咲いています。
写真MW: 登城路から見た松尾城と紫陽花(アジサイ)の花です。
写真MX: 都城市にある松尾城です。
写真MY: 宮崎県 都城市にある松尾城。
写真MZ: 「あじさい公園図」(園内地図)があります。
第1駐車場、あじさいハウス、車止、修景池、滝、北壇、しょうぶ園、第2駐車場、第3駐車場、倉庫、ボードウォーク、遺跡広場、展望台(松尾城)、あじさい園、桜園、遊歩道、遊具広場、梅園、温室などが載っています。
写真NA: 「あじさい公園図」(園内地図)。
第1駐車場、あじさいハウス、車止、修景池、滝、北壇、しょうぶ園、第2駐車場、第3駐車場、倉庫、ボードウォーク、遺跡広場、展望台(松尾城)、あじさい園、桜園、遊歩道、遊具広場、梅園、温室などが載っています。
写真NB: 「あじさい公園図」(園内地図)があります。
第1駐車場、あじさいハウス、車止、修景池、滝、北壇、しょうぶ園、第2駐車場、第3駐車場、倉庫、ボードウォーク、遺跡広場、展望台(松尾城)、あじさい園、桜園、遊歩道、遊具広場、梅園、温室などが載っています。
写真NC: 松尾城(展望台)の中です。 階段、窓、照明などが見えます。
写真ND: 松尾城の一番上から見た「あじさい公園」です。 あじさいの花、あじさいハウスも見えます。
写真NE: 東屋(あずまや)も下方に見えます。
写真NF: 右手前は水タンクと思われます。
写真NG: 松尾城の一番上から登城路のあじさいの花、遠くの山、杉林などが見えます。
写真NH: 松尾城の真下(入り口)を見下ろしたものです。
写真NI: 松尾城から都城市 山之口町の中心部が見えます。
写真NJ: 都城盆地を見渡せます。 松尾城から。
写真NK: 松尾城からの景色です。
写真NL: 松尾城の一番上にはまわりに通路があります。
写真NM: これから下(くだ)ります。
写真NN: 下る道にもあじさいの花があります。
写真NO: 木の階段があります。
写真NP: 斜面に咲いているあじさいの花です。
写真NQ: 左奥に東屋(あずまや)が見えます。
写真NR: 中腹から見下(お)ろしたアジサイです。
写真NS: 両側にアジサイの花が多く咲いています。
写真NT: 遊具広場が見えて来ました。
写真NU: ここは三叉路(さんさろ)になっています。
写真NV: 下方に先ほどの池、あじさいハウスの屋根も見えます。
写真NW: 斜面に咲いている紫陽花(アジサイ)です。
写真NX: 都城市にある「あじさい公園」のあじさいの花です。
写真NY: 木の階段を下(くだ)ります。
写真NZ: 駐車場が見えて来ました。
写真OA: 「カエデのプロペラ(種子(たね))」がありました。
写真OB: あじさい公園のあじさいハウスです。 「アジサイ ソフトクリーム」、「芽かぶ茶」と書いてある幟(のぼり)が見えます。
写真OC: JR九州 山之口駅です。 右が宮崎駅側で、左が都城駅側です。
「山之口駅」はJR九州の日豊本線の駅です。 駅は木造の地上駅でホームは1面2線です。 開業は1914年(大正3年)8月15日です。 自動券売機がある無人駅です。
写真OD: JR 山之口駅です。 ワシントン椰子(やし)があります。 跨線橋(こせんきょう)も見えます。 左端は山之口郵便局です。
写真OE: 山之口駅のそばにある「山之口郵便局」です。
写真OF: JR 山之口駅の駅前です。 南東を見たもの。 右端は山之口郵便局です。
写真OG: JR 山之口駅の駅前通りです。 東を見たもの。 赤信号が見えているところに国道269号線が左右に通っています。 駅は手前にあります。
写真OH: 山之口駅のそばです。 北東を見たもの。
写真OI: 山之口駅の近くです。 北を見た景色です。
写真OJ: JR 山之口駅です。 外灯もあります。
写真OK: JR九州 山之口駅です。
「山之口駅」はJR九州の日豊本線の駅です。 駅は木造の地上駅でホームは1面2線です。 開業は1914年(大正3年)8月15日です。 自動券売機がある無人駅です。
写真OL: 北側に駐輪場の青い屋根が見えます。
写真OM: 「山之口駅」と書いてあります。 改札口(かいさつぐち)、レール、待合室なども見えます。
「育てよう 地域ぐるみで青少年 都城市山之口地区青少年育成協議会」のポスターもあります。
「山之口駅」はJR九州の日豊本線の駅です。 駅は木造の地上駅でホームは1面2線です。 開業は1914年(大正3年)8月15日です。 自動券売機がある無人駅です。
写真ON: 「山之口駅」と書いてあります。
写真OO: トイレがあります。 「育てよう 地域ぐるみで青少年 都城市山之口地区青少年育成協議会」のポスターもあります。
写真OP: 山之口駅の待合室、改札口(かいさつぐち)、レールなどが見えています。
写真OQ: JR 山之口駅から東の外を見たもの。
写真OR: 山之口駅の待合室です。
写真OS: 山之口駅の待合室。
写真OT: 左は改札口(かいさつぐち)です。 レールが見えます。
写真OU: 改札口(かいさつぐち)です。 レールが見えます。
「山之口駅」はJR九州の日豊本線の駅です。 駅は木造の地上駅でホームは1面2線です。 開業は1914年(大正3年)8月15日です。 自動券売機がある無人駅です。
写真OV: 部屋があります。
写真OW: 切符(きっぷ)販売機があります。
写真OX: もとの切符売り場です。
写真OY: 外を見た景色です。
写真OZ: 「みんなの駅です。 よごさないようにしましょう。 ひとりひとりが気をつけて! 山之口町更生保健婦人会 平成9年9月」と書いてあります。 子供たちが書いた絵などが壁(かべ)にあります。
写真PA: 時計もあります。 山之口駅。
写真PB: 「山之口駅 発車時刻表」があります。 「みんなの駅です。 よごさないようにしましょう。 ひとりひとりが気をつけて! 山之口町更生保健婦人会 平成9年9月」と書いてあります。
写真PC: 左に「自動券売機」があります。 「ぼくは、私は タバコを吸いません」と書いてあります。
写真PD: 「普通運賃」の看板(かんばん)です。
鹿児島中央、隼人、霧島神宮、財部、西都城、都城、三股、山之口、青井岳、田野、清武、宮崎空港、宮崎などが書いてあります。 右は自動券売機です。
写真PE: 「普通運賃」の看板(かんばん)です。
鹿児島中央、隼人、霧島神宮、財部、西都城、都城、三股、山之口、青井岳、田野、清武、宮崎空港、宮崎などが書いてあります。
写真PF: 「普通運賃」の看板(かんばん)です。
鹿児島中央、隼人、霧島神宮、財部、西都城、都城、三股、山之口、青井岳、田野、清武、宮崎空港、宮崎などが書いてあります。
写真PG: 駅舎です。 今は無人駅です。
写真PH: 山之口駅の改札口(かいさつぐち)、レールが見えます。
写真PI: レールのそばです。 宮崎方面側です。
写真PJ: 山之口駅のホームが見えます。
「山之口駅」はJR九州の日豊本線の駅です。 駅は木造の地上駅でホームは1面2線です。 開業は1914年(大正3年)8月15日です。 自動券売機がある無人駅です。
写真PK: 山之口駅のホームです。
「山之口駅」はJR九州の日豊本線の駅です。 駅は木造の地上駅でホームは1面2線です。 開業は1914年(大正3年)8月15日です。 自動券売機がある無人駅です。
写真PL: 山之口駅。 都城方向を見たものです。 跨線橋(こせんきょう)、ホーム、レールなどが見えています。
「山之口駅」はJR九州の日豊本線の駅です。 駅は木造の地上駅でホームは1面2線です。 開業は1914年(大正3年)8月15日です。 自動券売機がある無人駅です。
写真PM: JR 山之口駅です。
写真PN: 「やまのくち 山之口 YAMANOKUCHI あおいだけ もちばる」と書いてあります。
写真PO: 「やまのくち 山之口 YAMANOKUCHI あおいだけ もちばる」と書いてあります。
写真PP: 山之口駅の改札口のところです。
写真PQ: 山之口駅の自動券売機です。
「山之口駅」はJR九州の日豊本線の駅です。 駅は木造の地上駅でホームは1面2線です。 開業は1914年(大正3年)8月15日です。 自動券売機がある無人駅です。
写真PR: トイレです。
写真PS: 山之口駅のそばに「顕彰碑(けんしょうひ)」があります。
写真PT: 「山之口郵便局」が駅の南側にあります。
写真PU: 跨線橋(こせんきょう)と山之口駅。
写真PV: ワシントン椰子(やし)があります。 JR 山之口駅。
写真PW: JR九州 山之口駅の東側の様子(ようす)です。
写真PX: 右は山之口郵便局です。 ポストも見えています。
写真PY: 山之口郵便局です。
写真PZ: 「安全運転宣言の職場 山之口郵便局」と書いてあります。
写真QA: 「JP 郵便局 山之口郵便局 P←」と書いてあります。
by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)