蓮ケ池史跡公園、蓮ケ池横穴群 (国指定史跡)、みやざき歴史文化館 (横穴墓、蓮ケ池 (はすがいけ)、中池、田池、稲荷池、御諏訪池、三等 三角点、水鳥 (鴨 (かも)など。)、宮崎市立 住吉南小学校、住吉南保育園、はすがいけ史跡公園、ニュータウンみずほ、蓮ケ池団地)  (宮崎県 宮崎市 大字芳士)







<標高、位置>  蓮ケ池史跡公園にある「みやざき歴史文化館」は
標高 約20 m
 北緯31度58分06秒  東経131度26分38秒

<標高、位置>  「蓮ケ池 (はすがいけ)」は
標高 約20 m
 北緯31度58分07秒  東経131度26分26秒

<標高、位置>  「中池」は
標高 約20 m
 北緯31度58分05秒  東経131度26分33秒

<標高、位置>  「田池」は
標高 約20 m
 北緯31度58分01秒  東経131度26分43秒

<標高、位置>  「稲荷池」は
標高 約30 m
 北緯31度58分10秒  東経131度26分35秒

<標高、位置>  「御諏訪池」は
標高 約20 m
 北緯31度58分05秒  東経131度26分45秒

<標高、位置>  「住吉南小学校」は
標高 約10 m
 北緯31度57分57秒  東経131度26分51秒

<標高、位置>  「住吉南保育園」は
標高 約20 m
 北緯31度58分09秒  東経131度26分26秒

<標高、位置>  「ニュータウンみずほ」は
標高 約30 m
 北緯31度57分59秒  東経131度26分36秒

<標高、位置>  「蓮ケ池団地」は
標高 約30 m
 北緯31度58分11秒  東経131度26分28秒


 「蓮ケ池史跡公園」は宮崎市制60周年記念事業の一つとして、昭和62年度から平成3年度までの5ヵ年で事業を実施されました。 事業費は4億1400万円で面積は約18 ha です。 開園は1992年 (平成4年)7月25日です。 園内には竪穴式住居、高床式倉庫などの古代建築、厩 (うまや)、鍛冶屋 (かじや)、山の上の遊歩道、せせらぎ水路、石塔のはらっぱ、花しょうぶ園、催 (もよお)し広場、中央広場などがあります。 園内に国指定史跡の蓮ケ池横穴群があります。 日本南限の横穴群です。 約83基の横穴墓があります。 平成10年に53号墓から鬼面文、船、人物など28の壁画が確認されました。

 「みやざき歴史文化館」は宮崎県 宮崎市 大字芳士 2258-3 にあります。
延床面積は2204.6 平方メートルです。 昔からの生活や暮らしの文化、蓮ケ池横穴群などの展示があります。 1階展示ホール、考古・歴史コーナー (旧石器時代、縄文時代、弥生時代、古墳時代、古代、中世、近世、近現代)、民俗・民俗芸能コーナー、神話の世界コーナー、研修室、本館の西にあるひむか工房などがあります。

 「宮崎市立 住吉南小学校」は宮崎県 宮崎市 大字芳士 1811 にあります。

 「住吉南保育園」は宮崎県 宮崎市 大字芳士 2345-1 にあります。

 「横穴墓 (おうけつぼ、よこあなぼ)」とは山や台地、段丘の斜面に穴を横に掘 (ほ)って造った人間の墓です。 5世紀後半に九州北部の豊前地域で始まったと考えられています。 6世紀の半 (なか)ばに山陰、山陽、近畿、東海まで拡 (ひろ)がりました。 7世紀のはじめまでには北陸、関東、東北南部まで拡がりました。 北限は宮城県北部です。

 「史跡 蓮ケ池横穴群」の説明板から、
種別 史跡、名称 蓮ケ池横穴群、指定年月日 昭和46年7月17日
 蓮ケ池横穴群の80数基の横穴は、西・中央・東丘陵の南方向に開口できる斜面に造られています。 西丘陵の横穴群を第1集団、中央丘陵の横穴群を第2集団、東丘陵の横穴群を第3集団と呼んでいます。 各集団は、それぞれ4基から6基のグループに細分され、1グループの横穴が1家族墓と思われます。 単独の横穴もあり、その規模、構造、副葬品等に特徴が見られ、首長の墓とも考えられます。 これらの横穴は6世紀中頃から造られ始め、8世紀には衰退しました。

 「国指定史跡 蓮ケ池横穴群」の説明板から、
種別 史跡、名称 蓮ケ池横穴群、指定年月日 昭和46年7月17日
 この横穴群は、1300年~1400年前の古墳時代の墓地で、現在82基の横穴が発見され国の指定した史跡となっています。
 稲荷池の東側丘陵、御諏訪池の西側丘陵、東側丘陵の3集団に分けることが出来るようです。 ここでは、壮大な高塚墳のような、権力者 (豪族)の墓から家族墓としての性格へ移行していることがうかがわれます。
 形式的には、玄室のほかに、前室をもつ特異な横穴 (第12号)を除いて、おおよそ次のような形式にわけられます。
1 玄室がやや縦長の長方形、四注造りの家形で、棟は尖 (とが)ってドーム型、玄室の四周に排水溝をもつもの。
2 玄室の床面が、逆梯形、四注造りの家形、天井はドーム形で、羨道が長く、先細りとなっているもの。
3  1、2の変形、または退化形式とみられるもの。
 この横穴群は、昭和42年から43年ころ、この地に宅地造成の計画がもちあがり、昭和44年緊急発掘調査が実施されました。 その結果、学術的価値が認められ、昭和46年7月17日に国の史跡に指定され、保存することになったものです。

 「溜池 (ためいけ)」とは農業用水 (灌漑用水 (かんがいようすい))を得るために堤防を造って水をためておき、栓 (せん)などの取水設備を備 (そな)えた人口の池のことです。 溜池には谷の下流側に堤防を造る「谷池」と平野部の底を掘り下げてまわりを堤防で囲 (かこ)んである「皿池」とがあります。 溜池は弥生時代 (やよいじだい)には存在したと言われています。 溜池が最も多く造られたのは江戸時代です。

 「田池増築記念碑」から、
田池は元 孤池と称し、天保時代に創設せられ、現在池の中央部に土手を築き溜池となしたるも灌漑不足の為め明治7年水田を潰 (つぶ)して現在の位置に堤防を改築せられ、その後 田池と称するに至 (いた)れり、更 (さら)に昭和8年の旱魃 (かんばつ)に依 (よ)り増築の議起こり、同9年、同10年に亘 (わた)り・・・。


写真A: 蓮ケ池史跡公園の駐車場です。 左は団地のニュータウンみずほです。 奥に中池があります。 西を見たものです。



写真B: 右は「みやざき歴史文化館」です。 蓮ケ池史跡公園の中にあります。



写真C: 「みやざき歴史文化館」は宮崎県 宮崎市 大字芳士 2258-3 にあります。
延床面積は2204.6 平方メートルです。 昔からの生活や暮らしの文化、蓮ケ池横穴群などの展示があります。 1階展示ホール、考古・歴史コーナー (旧石器時代、縄文時代、弥生時代、古墳時代、古代、中世、近世、近現代)、民俗・民俗芸能コーナー、神話の世界コーナー、研修室、本館の西にあるひむか工房などがあります。



写真D: 右に厩 (うまや)、その左に鍛冶屋 (かじや)があります。 左端はみやざき歴史文化館です。 奥の山の上に遊歩道があります。 北を見たものです。
「蓮ケ池史跡公園」は宮崎市制60周年記念事業の一つとして、昭和62年度から平成3年度までの5ヵ年で事業を実施されました。 事業費は4億1400万円で面積は約18 ha です。 開園は1992年 (平成4年)7月25日です。 園内には竪穴式住居、高床式倉庫などの古代建築、厩 (うまや)、鍛冶屋 (かじや)、山の上の遊歩道、せせらぎ水路、石塔のはらっぱ、花しょうぶ園、催 (もよお)し広場、中央広場などがあります。 園内に国指定史跡の蓮ケ池横穴群があります。 日本南限の横穴群です。 約83基の横穴墓があります。 平成10年に53号墓から鬼面文、船、人物など28の壁画が確認されました。



写真E: 山の尾根 (おね)に遊歩道があり、その途中 (とちゅう)に三角点 (標高 65.0 m)があります。



写真F: 東に田池が見えています。



写真G: 南を見たものです。 ニュータウンみずほが見えます。



写真H: 一段高い所にニュータウンみずほがあります。



写真I: 南西を見たものです。



写真J: 「史跡 蓮ケ池横穴群 (はすがいけよこあなぐん)」の説明板があります。



写真K: 蓮ケ池の山にある横穴、出土状況などの写真が載 (の)っています。



写真L: 古代住居の写真も載 (の)っています。



写真M: 「史跡 蓮ケ池横穴群 Historie Site Tunnel type Tombs (墓) of Kasugaike 」と書いてあります。



写真N: この辺 (あた)りの航空写真も載 (の)っています。



写真O: 左は中池、右はみやざき歴史文化館です。 左に花を植えてあります。 西を見たものです。



写真P: 蓮ケ池史跡公園にある中池です。 水鳥が来ていました。



写真Q: 右に工作などをする建物 (ひむか工房)があります。 左は中池です。



写真R: 右に日章旗 (にっしょうき、日の丸)などがあります。 中央に「みやざき歴史文化館」と彫 (ほ)ってある石碑 (せきひ)が見えます。



写真S: 北を見たものです。 右はみやざき歴史文化館です。



写真T: 「みやざき歴史文化館」の入り口です。



写真U: みやざき歴史文化館の西の側面です。



写真V: 「みやざき歴史文化館」と彫 (ほ)ってある石碑 (せきひ)。



写真W: 工作などをする建物 (ひむか工房)です。 西を見たものです。



写真X: 焼き物を作る窯 (かま)と思われます。 奥はトイレです。



写真Y: 「史跡 蓮ケ池横穴群」の説明板があります。 地図も載 (の)っています。



写真Z: 「史跡 蓮ケ池横穴群」の説明板。
蓮ケ池、中池、田池、稲荷池、御諏訪池、石塔のはらっぱ、古代住居、中央広場、高床式倉庫、竪穴式住居、催し広場、外周園路、みやざき歴史文化館、駐車場などが載 (の)っています。



写真AA: 「史跡 蓮ケ池横穴群」の説明板があります。
種別 史跡、名称 蓮ケ池横穴群、指定年月日 昭和46年7月17日
 蓮ケ池横穴群の80数基の横穴は、西・中央・東丘陵の南方向に開口できる斜面に造られています。 西丘陵の横穴群を第1集団、中央丘陵の横穴群を第2集団、東丘陵の横穴群を第3集団と呼んでいます。 各集団は、それぞれ4基から6基のグループに細分され、1グループの横穴が1家族墓と思われます。 単独の横穴もあり、その規模、構造、副葬品等に特徴が見られ、首長の墓とも考えられます。 これらの横穴は6世紀中頃から造られ始め、8世紀には衰退しました。
と書かれています。



写真AB: 「史跡 蓮ケ池横穴群」の説明板。
種別 史跡、名称 蓮ケ池横穴群、指定年月日 昭和46年7月17日
 蓮ケ池横穴群の80数基の横穴は、西・中央・東丘陵の南方向に開口できる斜面に造られています。 西丘陵の横穴群を第1集団、中央丘陵の横穴群を第2集団、東丘陵の横穴群を第3集団と呼んでいます。 各集団は、それぞれ4基から6基のグループに細分され、1グループの横穴が1家族墓と思われます。 単独の横穴もあり、その規模、構造、副葬品等に特徴が見られ、首長の墓とも考えられます。 これらの横穴は6世紀中頃から造られ始め、8世紀には衰退しました。
と書かれています。



写真AC: 「中央広場」、「せせらぎ水路」への道しるべがあります。



写真AD: みやざき歴史文化館の北の側面です。



写真AE: 中央広場です。 北を見たものです。



写真AF: 左にも道があります。



写真AG: 中央広場のそばです。



写真AH: 南西を見たものです。 奥に工作などをする建物 (ひむか工房)があります。



写真AI: 国旗などがあります。 南を見たものです。



写真AJ: 左はみやざき歴史文化館、奥は中池です。



写真AK: 「蓮ケ池史跡公園 案内図」があります。



写真AL: これが中央広場にある「せせらぎ水路」です。



写真AM: せせらぎ水路を渡る橋と奥に外周園路 (山の遊歩道)の階段が見えます。 東を見たものです。



写真AN: これから山の遊歩道を歩きます。



写真AO: これが山の遊歩道です。



写真AP: 左に「順路」と書いてある標識があります。



写真AQ: 森林浴を楽しめます。 山道を歩きます。



写真AR: ケヤキと思われる木もあります。



写真AS: 竹 (真竹)が遊歩道にあります。



写真AT: 蓮ケ池史跡公園の山の遊歩道です。



写真AU: 「順路」と書いてある標識があります。



写真AV: 竹の葉も地面に落ちています。



写真AW: 「中央広場」、「催 (もよお)し広場」、「歴史文化館」への道しるべがあります。



写真AX: 右は谷になっています。



写真AY: 遊歩道の近くの様子 (ようす)です。



写真AZ: この辺 (あた)りは尾根道になっています。



写真BA: 遊歩道のそばの木です。



写真BB: 尾根に遊歩道が通っています。



写真BC: 「順路」と書いてある標識があります。



写真BD: 竹が生 (は)えています。



写真BE: 道の真 (ま)ん中にコンクリート製の境界を示すものが立っています。



写真BF: ドングリが落ちていました。



写真BG: コンクリート製の柱があります。 境界を示すものと思われます。



写真BH: 蓮ケ池史跡公園の山の遊歩道です。



写真BI: 左は谷になっています。 竹もあります。



写真BJ: 「順路」と書いてある標識があります。



写真BK: 遊歩道に階段もあります。



写真BL: 遊歩道に柵 (さく)もあります。



写真BM: 遊歩道と柵 (さく)です。



写真BN: 階段があります。



写真BO: 「中央広場」、「公園東側入口」、「催し広場」への道しるべがあります。



写真BP: 「山ミミズ」がいました。



写真BQ: 遊歩道にある階段です。



写真BR: 「椎 (しい)の実」が落ちていました。 蓮ケ池史跡公園の山の遊歩道です。



写真BS: 蓮ケ池史跡公園の山の遊歩道にある「3等 三角点」です。 標高 65.0 m です。



写真BT: 「三等 三角点」と書いてあります。



写真BU: このような所に三角点はあります。



写真BV: 階段があります。



写真BW: ここは遊歩道が広めになっています。



写真BX: 「順路」と書いてある標識があります。



写真BY: 山の上の遊歩道です。



写真BZ: この辺 (あた)りは木が茂っています。



写真CA: 遊歩道の様子 (ようす)です。



写真CB: 上方を見たものです。



写真CC: 奥に池が見えます。 御諏訪池です。



写真CD: 木の間に御諏訪池が見えます。



写真CE: 遊歩道の柵 (さく)があります。



写真CF: 御諏訪池の水面が見えます。



写真CG: 祠 (ほこら)が見えます。



写真CH: 御諏訪池の水面が遊歩道から見えます。



写真CI: 御諏訪池のそばにある祠 (ほこら)と石碑 (せきひ)です。 水神様かもしれません。



写真CJ: 田池のそばの広い道に出ました。 奥は田池です。



写真CK: 南を見たものです。 田池も見えます。



写真CL: 南西を見たものです。



写真CM: 御諏訪池からの水路です。



写真CN: 御諏訪池からの水路。



写真CO: 「←外周園路入口」と書いてあります。



写真CP: 「車両乗り入れ禁止!」の看板 (かんばん)があります。
 この先の園路でのマウンテンバイク等の走行は大変危険な上、他の利用者の迷惑にもなりますので、車両の乗り入れを禁止します。 宮崎市 公園緑地課
と書いてあります。



写真CQ: 「史跡 蓮ケ池横穴群」の説明板があります。
種別 史跡、名称 蓮ケ池横穴群、指定年月日 昭和46年7月17日
 この横穴群は、1300年~1400年前の古墳時代の墓地で、現在82基の横穴が発見され国の指定した史跡となっています。
 稲荷池の東側丘陵、御諏訪池の西側丘陵、東側丘陵の3集団に分けることが出来るようです。 ここでは、壮大な高塚墳のような、権力者 (豪族)の墓から家族墓としての性格へ移行していることがうかがわれます。
 形式的には、玄室のほかに、前室をもつ特異な横穴 (第12号)を除いて、おおよそ次のような形式にわけられます。
1 玄室がやや縦長の長方形、四注造りの家形で、棟は尖 (とが)ってドーム型、玄室の四周に排水溝をもつもの。
2 玄室の床面が、逆梯形、四注造りの家形、天井はドーム形で、羨道が長く、先細りとなっているもの。
3  1、2の変形、または退化形式とみられるもの。
 この横穴群は、昭和42年から43年ころ、この地に宅地造成の計画がもちあがり、昭和44年緊急発掘調査が実施されました。 その結果、学術的価値が認められ、昭和46年7月17日に国の史跡に指定され、保存することになったものです。
宮崎市教育委員会
と書かれています。



写真CR: 「史跡 蓮ケ池横穴群」の説明板。
種別 史跡、名称 蓮ケ池横穴群、指定年月日 昭和46年7月17日
 この横穴群は、1300年~1400年前の古墳時代の墓地で、現在82基の横穴が発見され国の指定した史跡となっています。
 稲荷池の東側丘陵、御諏訪池の西側丘陵、東側丘陵の3集団に分けることが出来るようです。 ここでは、壮大な高塚墳のような、権力者 (豪族)の墓から家族墓としての性格へ移行していることがうかがわれます。
 形式的には、玄室のほかに、前室をもつ特異な横穴 (第12号)を除いて、おおよそ次のような形式にわけられます。
1 玄室がやや縦長の長方形、四注造りの家形で、棟は尖 (とが)ってドーム型、玄室の四周に排水溝をもつもの。
2 玄室の床面が、逆梯形、四注造りの家形、天井はドーム形で、羨道が長く、先細りとなっているもの。
3  1、2の変形、または退化形式とみられるもの。
 この横穴群は、昭和42年から43年ころ、この地に宅地造成の計画がもちあがり、昭和44年緊急発掘調査が実施されました。 その結果、学術的価値が認められ、昭和46年7月17日に国の史跡に指定され、保存することになったものです。
宮崎市教育委員会
と書かれています。



写真CS: 「史跡 蓮ケ池横穴群」の説明板があります。
種別 史跡、名称 蓮ケ池横穴群、指定年月日 昭和46年7月17日
 この横穴群は、1300年~1400年前の古墳時代の墓地で、現在82基の横穴が発見され国の指定した史跡となっています。
 稲荷池の東側丘陵、御諏訪池の西側丘陵、東側丘陵の3集団に分けることが出来るようです。 ここでは、壮大な高塚墳のような、権力者 (豪族)の墓から家族墓としての性格へ移行していることがうかがわれます。
 形式的には、玄室のほかに、前室をもつ特異な横穴 (第12号)を除いて、おおよそ次のような形式にわけられます。
1 玄室がやや縦長の長方形、四注造りの家形で、棟は尖 (とが)ってドーム型、玄室の四周に排水溝をもつもの。
2 玄室の床面が、逆梯形、四注造りの家形、天井はドーム形で、羨道が長く、先細りとなっているもの。
3  1、2の変形、または退化形式とみられるもの。
 この横穴群は、昭和42年から43年ころ、この地に宅地造成の計画がもちあがり、昭和44年緊急発掘調査が実施されました。 その結果、学術的価値が認められ、昭和46年7月17日に国の史跡に指定され、保存することになったものです。
宮崎市教育委員会
と書かれています。



写真CT: 「史跡 蓮ケ池横穴群」の説明板。
種別 史跡、名称 蓮ケ池横穴群、指定年月日 昭和46年7月17日
 この横穴群は、1300年~1400年前の古墳時代の墓地で、現在82基の横穴が発見され国の指定した史跡となっています。
 稲荷池の東側丘陵、御諏訪池の西側丘陵、東側丘陵の3集団に分けることが出来るようです。 ここでは、壮大な高塚墳のような、権力者 (豪族)の墓から家族墓としての性格へ移行していることがうかがわれます。
 形式的には、玄室のほかに、前室をもつ特異な横穴 (第12号)を除いて、おおよそ次のような形式にわけられます。
1 玄室がやや縦長の長方形、四注造りの家形で、棟は尖 (とが)ってドーム型、玄室の四周に排水溝をもつもの。
2 玄室の床面が、逆梯形、四注造りの家形、天井はドーム形で、羨道が長く、先細りとなっているもの。
3  1、2の変形、または退化形式とみられるもの。
 この横穴群は、昭和42年から43年ころ、この地に宅地造成の計画がもちあがり、昭和44年緊急発掘調査が実施されました。 その結果、学術的価値が認められ、昭和46年7月17日に国の史跡に指定され、保存することになったものです。
宮崎市教育委員会
と書かれています。



写真CU: 「史跡 蓮ケ池横穴群」の説明板があります。
種別 史跡、名称 蓮ケ池横穴群、指定年月日 昭和46年7月17日
 この横穴群は、1300年~1400年前の古墳時代の墓地で、現在82基の横穴が発見され国の指定した史跡となっています。
 稲荷池の東側丘陵、御諏訪池の西側丘陵、東側丘陵の3集団に分けることが出来るようです。 ここでは、壮大な高塚墳のような、権力者 (豪族)の墓から家族墓としての性格へ移行していることがうかがわれます。
 形式的には、玄室のほかに、前室をもつ特異な横穴 (第12号)を除いて、おおよそ次のような形式にわけられます。
1 玄室がやや縦長の長方形、四注造りの家形で、棟は尖 (とが)ってドーム型、玄室の四周に排水溝をもつもの。
2 玄室の床面が、逆梯形、四注造りの家形、天井はドーム形で、羨道が長く、先細りとなっているもの。
3  1、2の変形、または退化形式とみられるもの。
 この横穴群は、昭和42年から43年ころ、この地に宅地造成の計画がもちあがり、昭和44年緊急発掘調査が実施されました。 その結果、学術的価値が認められ、昭和46年7月17日に国の史跡に指定され、保存することになったものです。
宮崎市教育委員会
と書かれています。



写真CV: 「史跡 蓮ケ池横穴群」の説明板。
種別 史跡、名称 蓮ケ池横穴群、指定年月日 昭和46年7月17日
 この横穴群は、1300年~1400年前の古墳時代の墓地で、現在82基の横穴が発見され国の指定した史跡となっています。
 稲荷池の東側丘陵、御諏訪池の西側丘陵、東側丘陵の3集団に分けることが出来るようです。 ここでは、壮大な高塚墳のような、権力者 (豪族)の墓から家族墓としての性格へ移行していることがうかがわれます。
 形式的には、玄室のほかに、前室をもつ特異な横穴 (第12号)を除いて、おおよそ次のような形式にわけられます。
1 玄室がやや縦長の長方形、四注造りの家形で、棟は尖 (とが)ってドーム型、玄室の四周に排水溝をもつもの。
2 玄室の床面が、逆梯形、四注造りの家形、天井はドーム形で、羨道が長く、先細りとなっているもの。
3  1、2の変形、または退化形式とみられるもの。
 この横穴群は、昭和42年から43年ころ、この地に宅地造成の計画がもちあがり、昭和44年緊急発掘調査が実施されました。 その結果、学術的価値が認められ、昭和46年7月17日に国の史跡に指定され、保存することになったものです。
宮崎市教育委員会
と書かれています。



写真CW: 左端にみやざき歴史文化館があります。



写真CX: 左は田池です。



写真CY: 蓮ケ池史跡公園の入り口です。 奥に住吉南小学校が見えます。 東を見たものです。



写真CZ: 住吉南小学校があります。 ここは下り坂になっています。 東を見たものです。
「宮崎市立 住吉南小学校」は宮崎県 宮崎市 大字芳士 1811 にあります。



写真DA: 高台なので遠くも見えます。



写真DB: 住吉南小学校のプールがあります。 南東を見たものです。



写真DC: 車道、プールが見えます。 南を見たものです。



写真DD: 田池の堤防、みやざき歴史文化館の掲示板、車道が見えます。



写真DE: 蓮ケ池史跡公園の入り口です。 みやざき歴史文化館の掲示板もあります。 西を見たものです。



写真DF: 蓮ケ池史跡公園の入り口です。



写真DG: 上の様子 (ようす)です。



写真DH: 竹も見えます。



写真DI: 下り坂になっています。



写真DJ: 門柱に「蓮ケ池史跡公園、みやざき歴史文化館」と書いてあります。



写真DK: 「みやざき歴史文化館 案内」と書いてある掲示板があります。



写真DL: 田池の堤防の上に石碑 (せきひ)があります。 左はプールです。 南を見たものです。



写真DM: 田池です。 右にみやざき歴史文化館が見えます。
「溜池 (ためいけ)」とは農業用水 (灌漑用水 (かんがいようすい))を得るために堤防を造って水をためておき、栓 (せん)などの取水設備を備 (そな)えた人口の池のことです。 溜池には谷の下流側に堤防を造る「谷池」と平野部の底を掘り下げてまわりを堤防で囲 (かこ)んである「皿池」とがあります。 溜池は弥生時代 (やよいじだい)には存在したと言われています。 溜池が最も多く造られたのは江戸時代です。



写真DN: 右は車道です。 左は田池。



写真DO: 入り口近くの車道、田池の柵 (さく)です。



写真DP: 田池の堤防にある石碑 (せきひ)。



写真DQ: 「田池増築記念碑」です。
田池は元 孤池と称し、天保時代に創設せられ、現在池の中央部に土手を築き溜池となしたるも灌漑不足の為め明治7年水田を潰 (つぶ)して現在の位置に堤防を改築せられ、その後 田池と称するに至 (いた)れり、更 (さら)に昭和8年の旱魃 (かんばつ)に依 (よ)り増築の議起こり、同9年、同10年に亘 (わた)り・・・」と書いてあります。



写真DR: 田池の堤防にカモなどの水鳥が多くいます。



写真DS: 田池の岸の近くに多くの水鳥が浮かんでいます。 上に団地の建物があります。 南を見たものです。



写真DT: 「スイセンの花」が咲いていました。



写真DU: 奥にみやざき歴史文化館が見えます。 右に御諏訪池の堤防が見えます。 左は田池です。 西を見たものです。



写真DV: 田池の西の堤防にも水鳥が多くいます。



写真DW: 蓮ヶ池史跡公園にある「みやざき歴史文化館」と鍛冶屋 (かじや)、厩 (うまや)の建物です。 手前は田池です。



写真DX: 左は御諏訪池に上 (あ)がる道です。 右は田池です。 東を見たものです。



写真DY: 左は御諏訪池、右は田池です。 東を見たものです。



写真DZ: 御諏訪池と堤防、柵 (さく)です。 南を見たものです。



写真EA: 蓮ヶ池史跡公園にある御諏訪池です。 奥の水面に小さく水鳥たちが見えます。 この山の上にも遊歩道があり、それを先ほど歩きました。



写真EB: 御諏訪池のそばの道です。



写真EC: 御諏訪池と柵 (さく)、道です。



写真ED: 御諏訪池の近くに木が多くあります。



写真EE: 中央左寄りに横穴が見えます。 右は御諏訪池のそばの道です。



写真EF: 横穴が2つ見えます。



写真EG: 横穴はこのようになっています。 左上も横穴です。 これは国指定史跡の蓮ヶ池横穴群 (はすがいけよこあなぐん)です。
 「史跡 蓮ケ池横穴群」の説明板から、
種別 史跡、名称 蓮ケ池横穴群、指定年月日 昭和46年7月17日
 蓮ケ池横穴群の80数基の横穴は、西・中央・東丘陵の南方向に開口できる斜面に造られています。 西丘陵の横穴群を第1集団、中央丘陵の横穴群を第2集団、東丘陵の横穴群を第3集団と呼んでいます。 各集団は、それぞれ4基から6基のグループに細分され、1グループの横穴が1家族墓と思われます。 単独の横穴もあり、その規模、構造、副葬品等に特徴が見られ、首長の墓とも考えられます。 これらの横穴は6世紀中頃から造られ始め、8世紀には衰退しました。

 「国指定史跡 蓮ケ池横穴群」の説明板から、
種別 史跡、名称 蓮ケ池横穴群、指定年月日 昭和46年7月17日
 この横穴群は、1300年~1400年前の古墳時代の墓地で、現在82基の横穴が発見され国の指定した史跡となっています。
 稲荷池の東側丘陵、御諏訪池の西側丘陵、東側丘陵の3集団に分けることが出来るようです。 ここでは、壮大な高塚墳のような、権力者 (豪族)の墓から家族墓としての性格へ移行していることがうかがわれます。
 形式的には、玄室のほかに、前室をもつ特異な横穴 (第12号)を除いて、おおよそ次のような形式にわけられます。
1 玄室がやや縦長の長方形、四注造りの家形で、棟は尖 (とが)ってドーム型、玄室の四周に排水溝をもつもの。
2 玄室の床面が、逆梯形、四注造りの家形、天井はドーム形で、羨道が長く、先細りとなっているもの。
3  1、2の変形、または退化形式とみられるもの。
 この横穴群は、昭和42年から43年ころ、この地に宅地造成の計画がもちあがり、昭和44年緊急発掘調査が実施されました。 その結果、学術的価値が認められ、昭和46年7月17日に国の史跡に指定され、保存することになったものです。



写真EH: 横穴の近くです。



写真EI: 蓮ヶ池横穴群の1つの中です。



写真EJ: 横穴の地面の部分です。 右に焼き物を置いてあります。 後になって誰かが供 (そな)えたものでしょうか。



写真EK: 別の横穴です。
「横穴墓 (おうけつぼ、よこあなぼ)」とは山や台地、段丘の斜面に穴を横に掘 (ほ)って造った人間の墓です。 5世紀後半に九州北部の豊前地域で始まったと考えられています。 6世紀の半 (なか)ばに山陰、山陽、近畿、東海まで拡 (ひろ)がりました。 7世紀のはじめまでには北陸、関東、東北南部まで拡がりました。 北限は宮城県北部です。



写真EL: 横穴の中です。 右は右の側面で左手前は地面です。 蓮ヶ池横穴群。



写真EM: 横穴の側面と地面です。



写真EN: 左の側面、奥の側面、地面が見えます。 蓮ヶ池横穴群です。



写真EO: 横穴の内部です。



写真EP: 2つの横穴が見えています。



写真EQ: そばに階段があります。



写真ER: 横穴です。



写真ES: 横穴の内部も見えます。



写真ET: 御諏訪池です。 水鳥が多く見えます。



写真EU: 蓮ヶ池史跡公園にある御諏訪池です。



写真EV: 御諏訪池のそばの道です。



写真EW: 古代住居が見えてきました。 御諏訪池の近くです。



写真EX: 「古代住居」、「催 (もよお)し広場」と書いてある道しるべがあります。 奥に古代住居が見えています。



写真EY: 蓮ヶ池史跡公園にある古代住居です。



写真EZ: 古代住居 (竪穴住居)を復元してあります。



写真FA: 「竪穴住居 (たてあなじゅうきょ)」と書いてあります。



写真FB: 竪穴住居 (たてあなじゅうきょ)の中です。 囲炉裏 (いろり)のようなもの、柱もあります。 蓮ヶ池史跡公園。



写真FC: 左は高床倉庫 (たかゆかそうこ)で右は竪穴住居 (たてあなじゅうきょ)です。



写真FD: 「高床倉庫 (たかゆかそうこ)」と書いてあります。



写真FE: トイレがあります。



写真FF: 御諏訪池のそばの道です。



写真FG: 奥に催 (もよお)し広場が見えてきました。



写真FH: 御諏訪池の端 (はし)です。



写真FI: 「簡易保険 積立還元融資施設 蓮ヶ池史跡公園」と書いてあります。



写真FJ: 一段高い舞台 (ぶたい)と思われます。



写真FK: 舞台 (ぶたい)から見た御諏訪池です。



写真FL: 催し広場に遊歩道が通っています。 奥の山の上にも遊歩道があります。



写真FM: ベンチがあります。 催し広場です。



写真FN: 説明板 (地図)、いくつかのベンチがあります。



写真FO: 催し広場。



写真FP: 催し広場と遊歩道です。



写真FQ: 御諏訪池が見えます。



写真FR: 舞台 (ぶたい)に上 (あ)がる階段です。



写真FS: テーブルがいくつかあります。 催し広場です。



写真FT: 「蓮ヶ池史跡公園 (Hasugaike Historical Park)」の地図があります。



写真FU: 「公園内での 火あそび・たき火等をかたく禁じます。 管理者 宮崎市」と書いてある看板 (かんばん)があります。



写真FV: 山ミミズがいました。



写真FW: 左は厩 (うまや)です。



写真FX: 厩 (うまや)と左の鍛冶屋 (かじや)です。 左奥はみやざき歴史文化館です。



写真FY: 石畳 (いしだたみ)の左に餅 (もち)つきなどに使うの臼 (うす)があります。



写真FZ: 古い竃 (かまど)があります。 これでご飯などを炊 (た)いていました。



写真GA: 臼 (うす)です。



写真GB: 「厩 (うまや)」の説明板があります。
 この建物は、宮崎平野の農家によくみられた厩 (うまや)で、市内 上畑地区から移築したものです。 内部には、馬が飼 (か)われた囲 (かこ)い、餌 (えさ)を与える飼葉桶 (かいばおけ)、作業場となった土間 (どま)、鍬 (くわ)を掛 (か)けた板壁 (いたかべ)、いろいろな農具の置き場所とされた棚 (たな)、藁 (わら)を積み上げていた屋根裏など典型的な厩の造りを見ることができます。
と書いてあります。



写真GC: 蓮ヶ池史跡公園にある厩 (うまや)です。



写真GD: 厩 (うまや)です。



写真GE: 奥は鍛冶屋 (かじや)で右は厩 (うまや)です。



写真GF: いろいろな昔のものを置いてあります。 厩 (うまや)です。



写真GG: 農機具を多く展示してあります。



写真GH: 農機具などが多く見えます。



写真GI: 厩 (うまや)の中です。



写真GJ: 稲からモミを落とす農機具です。



写真GK: 飼葉桶 (かいばおけ)です。



写真GL: 農機具が見えます。 厩 (うまや)の中です。



写真GM: 農機具があります。



写真GN: 農機具をいろいろ置いてあります。



写真GO: いろいろなものを展示してあります。



写真GP: 蓑 (みの)も見えます。



写真GQ: 寄贈した人などを書いてあります。



写真GR: 農機具などを展示してあります。



写真GS: 格子 (こうし)も見えます。



写真GT: 「鍛冶屋 (かじや)」の説明板があります。
 この建物は、明治15年以来大淀地区で山林・農工具を作っていた高村鋸 (のこぎり)刃物店の諸道具や炉 (ろ)を移設し、鍛冶作業場を再現したものです。 鋼 (はがね)を熱する炉 (ろ)、温度を上げるために空気を送りこむ「ふいご」、大小の鎚 (つち)や打ち台、鋼 (はがね)を冷やす湯槽 (ゆぶね)、完成品などを見ることができます。
と書いてあります。



写真GU: 鍛冶屋 (かじや)の中です。



写真GV: 鍛冶屋 (かじや)の展示品です。



写真GW: 幅広の大きなノコギリがあります。



写真GX: ノコギリをかけてあります。



写真GY: 「鋸 (のこ)のできるまで。」の展示があります。



写真GZ: 鋼 (はがね)を熱する炉 (ろ)があります。



写真HA: 炉 (ろ)の下部です。



写真HB: 土間 (どま)です。



写真HC: 階段があります。



写真HD: コンクリートでフタをしてあるようです。



写真HE: 「ツワブキの綿毛 (わたげ)」がありました。



写真HF: 左は中池です。 西を見たものです。



写真HG: 中池にマガモがいます。



写真HH: 中池のほとりです。



写真HI: 腹筋台があります。



写真HJ: 「腹筋台」と書いてあります。



写真HK: 面白 (おもしろ)い形のベンチがあります。



写真KL: 中池です。 南西を見たものです。



写真KM: 南を見たものです。 上に団地 (ニュータウンみずほ)があります。



写真KN: 団地のニュータウンみずほが見えます。



写真KO: 東を見たものです。



写真KP: ここにも横穴があります。 蓮ヶ池横穴群です。
「横穴墓 (おうけつぼ、よこあなぼ)」とは山や台地、段丘の斜面に穴を横に掘 (ほ)って造った人間の墓です。 5世紀後半に九州北部の豊前地域で始まったと考えられています。 6世紀の半 (なか)ばに山陰、山陽、近畿、東海まで拡 (ひろ)がりました。 7世紀のはじめまでには北陸、関東、東北南部まで拡がりました。 北限は宮城県北部です。



写真KQ: 蓮ヶ池横穴群の1つです。



写真KR: 横穴です。
「史跡 蓮ケ池横穴群」の説明板から、
種別 史跡、名称 蓮ケ池横穴群、指定年月日 昭和46年7月17日
 蓮ケ池横穴群の80数基の横穴は、西・中央・東丘陵の南方向に開口できる斜面に造られています。 西丘陵の横穴群を第1集団、中央丘陵の横穴群を第2集団、東丘陵の横穴群を第3集団と呼んでいます。 各集団は、それぞれ4基から6基のグループに細分され、1グループの横穴が1家族墓と思われます。 単独の横穴もあり、その規模、構造、副葬品等に特徴が見られ、首長の墓とも考えられます。 これらの横穴は6世紀中頃から造られ始め、8世紀には衰退しました。

 「国指定史跡 蓮ケ池横穴群」の説明板から、
種別 史跡、名称 蓮ケ池横穴群、指定年月日 昭和46年7月17日
 この横穴群は、1300年~1400年前の古墳時代の墓地で、現在82基の横穴が発見され国の指定した史跡となっています。
 稲荷池の東側丘陵、御諏訪池の西側丘陵、東側丘陵の3集団に分けることが出来るようです。 ここでは、壮大な高塚墳のような、権力者 (豪族)の墓から家族墓としての性格へ移行していることがうかがわれます。
 形式的には、玄室のほかに、前室をもつ特異な横穴 (第12号)を除いて、おおよそ次のような形式にわけられます。
1 玄室がやや縦長の長方形、四注造りの家形で、棟は尖 (とが)ってドーム型、玄室の四周に排水溝をもつもの。
2 玄室の床面が、逆梯形、四注造りの家形、天井はドーム形で、羨道が長く、先細りとなっているもの。
3  1、2の変形、または退化形式とみられるもの。
 この横穴群は、昭和42年から43年ころ、この地に宅地造成の計画がもちあがり、昭和44年緊急発掘調査が実施されました。 その結果、学術的価値が認められ、昭和46年7月17日に国の史跡に指定され、保存することになったものです。



写真KS: 蓮ヶ池史跡公園にある横穴です。



写真KT: 横穴の上はこのようになっています。



写真KU: 「史跡 蓮ヶ池横穴群」の説明板があります。
地図も載 (の)っています。



写真KV: 稲荷池の堤防が見えます。 北を見たものです。



写真KW: 右は稲荷池です。



写真KX: 稲荷池のそばに北に向かう道があります。



写真KY: 蓮ケ池史跡公園にある稲荷池です。 左に道があります。



写真KZ: 谷を利用して堤防を造り、溜池 (ためいけ)になっています。



写真LA: 稲荷池の堤防です。



写真LB: 右端に中池が見えます。 左は稲荷池の堤防です。



写真LC: 稲荷池の堤防から南を見たものです。 中池が見えます。



写真LD: 稲荷池の近くです。



写真LE: 右は稲荷池です。



写真LF: 稲荷池の南西端です。



写真LG: 「花しょうぶ→」、「石塔のはらっぱ→」への道しるべがあります。



写真LH: 「竹の子をとらないで。 宮崎市」と書いてあります。



写真LI: 稲荷池のそばの道を北に進みます。



写真LJ: このような道があります。 右は稲荷池。



写真LK: 「石塔のはらっぱ」が見えてきました。



写真LL: 「石塔のはらっぱ」の説明板があります。
 ここには市内各地から移設された約300基の石塔・石像があります。 主に鎌倉時代頃から江戸時代にかけて五輪塔・板碑 (いたひ)や、戦国時代の武将のものとされる墓、地域の人々から厚い信仰を集めた大師像などです。 このうち五輪塔や板碑は、かって墓地にあったものですが、その存在は時とともに忘れ去られ地中に埋 (う)もれていました。 時を経 (へ)て近年の宅地開発などに伴 (ともな)う発掘調査によって発見・出土し、当地に移設されたものです。
と書いてあります。



写真LM: 「赤江村道路元標」と書いてある石の標識です。



写真LN: 「赤江村道路元標」と書いてある石の標識。



写真LO: 奥に移設された石造物が小さく見えます。 石塔のはらっぱです。 蓮ケ池史跡公園。



写真LP: ここに移設された五輪塔です。



写真LQ: 石塔のはらっぱにある五輪塔です。



写真LR: 五輪塔が多くあります。



写真LS: 四角の石が多くあります。



写真LT: 石塔もあります。



写真LU: ここに移設された石があります。



写真LV: 石を置いてあります。



写真LW: 石塔や五輪塔などが見えます。 石塔のはらっぱです。



写真LX: 石塔です。



写真LY: 四角の石があります。



写真LZ: 右に五輪塔もあります。



写真MA: 五輪塔が並 (なら)んでいます。



写真MB: 石塔があります。



写真MC: いろいろな石があります。



写真MD: 伝「長倉能登守 (ながくらのとのかみ)の墓」 旧大坪町 (現在の花山手)にあった戦国時代の板碑 (いたひ)です。 詳細は、みやざき歴史文化館で無料配布中のパンフレット「蓮ケ池史跡公園周辺の石塔・石像」で解説しています。
と書いてあります。



写真ME: 長倉能登守 (ながくらのとのかみ)の墓です。



写真MF: 長倉能登守 (ながくらのとのかみ)の墓。



写真MG: 長倉能登守 (ながくらのとのかみ)の墓です。



写真MH: いろいろな石造物があります。



写真MI: 階段があります。



写真MJ: 石があります。



写真MK: 右は稲荷池、奥は花しょうぶ園です。



写真ML: 稲荷池の北端付近です。



写真MM: 右は稲荷池、左は花しょうぶ園です。



写真MN: 葦 (あし)の穂があります。



写真MO: 遊歩道です。



写真MP: ベンチがあります。



写真MQ: 右は花しょうぶ園です。



写真MR: 花しょうぶ園です。



写真MS: 花しょうぶ園。 蓮ケ池史跡公園です。



写真MT: 花しょうぶ園です。



写真MU: 山の上の遊歩道 (外周園路)の階段があります。 花しょうぶ園の近くです。



写真MV: 「外周園路入口」と書いてあります。



写真MW: 野鳥のドバトの羽と思われます。



写真MX: 奥は稲荷池、手前は花しょうぶ園です。 南を見たものです。



写真MY: 花しょうぶ園とまわりの道です。



写真MZ: 花しょうぶ園。



写真NA: 花しょうぶ園です。



写真NB: 左は稲荷池です。



写真NC: 横穴があります。 これも蓮ケ池横穴群の1つです。 稲荷池のそばにあります。



写真ND: 稲荷池です。



写真NE: 稲荷池の水を外に出す所が見えます。



写真NF: 中池です。 奥にニュータウンみずほ (団地)が見えます。



写真NG: 中池と道です。



写真NH: 右は稲荷池、石塔のはらっぱ、花しょうぶ園に行く道です。



写真NI: 西を見たものです。



写真NJ: 「花しょうぶ園→」、「石塔のはらっぱ→」と書いてある道しるべです。



写真NK: ここが蓮ケ池史跡公園の西出入口です。



写真NL: 駐車場があります。



写真NM: 左は中池で、この堤防の奥には蓮ケ池 (はすがいけ)があります。



写真NN: 西出入口から外に出ました。 蓮ケ池団地の建物が見えます。



写真NO: 西出入口の近くです。



写真NP: 手前に住吉南保育園が見えます。 中央左寄りの遠くに黒い球形 (ドーム型)の屋根が見えます。



写真NQ: 住吉南保育園です。 右は蓮ケ池団地です。
「住吉南保育園」は宮崎県 宮崎市 大字芳士 2345-1 にあります。



写真NR: 左は蓮ケ池、右は住吉南保育園です。



写真NS: 溜池 (ためいけ)では一番西にある「蓮ケ池 (はすがいけ)」です。 蓮 (はす)の花が毎年6月頃 (ごろ)に咲きます。 中央奥にうなぎ屋の「千両」が見えます。 南西を見たものです。



写真NT: 蓮ケ池 (はすがいけ)です。 左に中池と蓮ケ池の間の堤防が見えます。 南を見たものです。



写真NU: 蓮ケ池の奥にうなぎ屋の「千両」が見えます。 その手前に旧国道10号が通っています。



写真NV: 蓮ケ池の南端に水門が見えます。



写真NW: 「住吉みなみ保育園」と書いてあります。



写真NX: 蓮ケ池と住吉南保育園の間の車道です。 奥に、左右に旧国道10号が通っています。



写真NY: 「住吉南保育園」は宮崎県 宮崎市 大字芳士 2345-1 にあります。



写真NZ: 蓮ケ池の北にある住吉南保育園です。



写真OA: 東を見たものです。 蓮ケ池史跡公園の山が見えます。 左は蓮ケ池団地です。



写真OB: 蓮ケ池と堤防が見えます。 堤防の奥は中池です。



写真OC: 蓮ケ池です。



写真OD: 右に旧国道10号が見えます。 左は蓮ケ池。 毎年6月頃 (ごろ)にハスの花が咲きます。 南西を見たものです。



写真OE: 西を見たものです。



写真OF: 右は住吉南保育園です。



写真OG: 「住吉南保育園」は宮崎県 宮崎市 大字芳士 2345-1 にあります。



写真OH: 旧国道10号の西に球形 (ドーム型)の黒い屋根が見えます。



写真OI: 蓮ケ池の北にある蓮ケ池団地です。



写真OJ: 「蓮ケ池団地 案内図」があります。
明るいあいさつで 今日も1日1善 楽しい1日を過ごしましょう。 蓮ケ池団地自治会
と書いてあります。



写真OK: 石垣 (いしがき)にこのような花が咲いていました。



写真OL: 蓮ケ池史跡公園の西門です。 車止めがあります。



写真OM: 蓮ケ池史跡公園の西の出入口です。



写真ON: 「みやざき歴史文化館 蓮ケ池史跡公園」と書いてあります。



写真OO: 「みやざき歴史文化館 案内」の掲示板があります。 西の出入口のそばです。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)