竹香園 (桜の花)、宮崎県立 日南高等学校 (小村寿太郎の像、野中金右衛門 顕彰碑、日南高校、野球場、テニスコート、山方部隊駐留之地の石碑、竹香園 (日南第一公園))  (宮崎県 日南市 大字星倉)







<標高、位置>  竹香園 (ちっこうえん)は
標高 約50 m
 北緯31度37分33秒  東経131度21分48秒

<標高、位置>  宮崎県立 日南高等学校は
標高 約30 m
 北緯31度37分35秒  東経131度21分54秒


 「竹香園 (ちっこうえん)」は宮崎県 日南市 大字星倉 5556-2 にあります。
竹香園は約5 ha の広さがあり、春は約1000本の桜 (ソメイヨシノ)が見事です。
「竹香園 歴史・文化ゾーン案内」の説明板から、
 竹香園は、明治40年 (1907年)に飫肥出身の貴族議員 高橋源次郎 氏の所有していた別荘地や農地等を、昭和26年 (1951年)2月15日に、遺族 高橋憲一 氏より日南市に寄贈されました。 寄贈を受けた日南市は、隣接の丘陵部を取り込み、総合公園として昭和28年5月よりグランド整備等に着手、昭和32年10月20日に、総面積4.7 ha の総合公園「竹香園」として供用を開始しました。
 竹香園は、日南市を代表する桜の名所であり、昭和28年4月以降「竹香園桜まつり」が市民行事として開催されるなど、市民の憩 (いこ)いの場として広く利用されていますが、今後更 (さら)に、市民の休息、鑑賞、散歩、遊戯、運動等の総合的な利用を目的とし、歴史・文化風致的景観の向上を図り、市民の「うるおいと活力」を養 (やしな)う地域の拠点となる公園造りの指針として、竹香園基本計画が策定され、この計画において位置付けされている、歴史・文化ゾーンの整備に平成9年度より着手しました。
 このゾーンは、高橋 氏の別荘地があった場所で、当時 (明治40年)の別荘地の庭園は、5年の歳月を費 (つい)やした回遊式の純日本形式 (桃山式庭園)の庭園で、出島や橋、石灯籠 (いしどうろう)を取り込み、桜や楓 (かえで)等を植え込んでいた名園でありましたが、施設の老朽化や荒廃、雑木等の繁茂が進み、庭園に接する法面 (のりめん)が大雨等により崩壊し再度崩落の危険性が危惧 (きぐ)されていました。
 今回の整備により、当時の竹香園の復元と樹木空間の再整備、緑化法面保護等を行い、伝統文化・地域文化を体感できる空間、文化的遺産として後世へ引き継ぐ事ができる空間、市民の憩 (いこ)いと交流の施設として利用できる空間の整備を行いました。

 「野中金右衛門 翁 (おきな) 顕彰碑」が竹香園あります。
「野中金右衛門: 明和5年(1768年)に飫肥原ノ迫の徒士格の家に生まれました。 先輩の石那田実右衛門の後をついて29歳で植木方となり、以来 飫肥杉の造林拡大に精魂を傾け、実績は大いに上がり、藩財力の蓄積に貢献しました。 弘化3年(1846年)78歳で永眠しました。 明治5年東京山林会から表彰を受け、その業績をたたえた巨大な顕彰碑が竹香園に建立 (こんりゅう)されています。

 「小村寿太郎の銅像」が竹香園にあります。 小高いところにあります。
小村寿太郎は、日南市 飫肥 (おび)の出身です。 小村寿太郎は20世紀初頭、日英同盟を結び、日露戦争後の講和会議では全権大使としてポーツマス条約を結びました。 また、不平等条約を改正し、関税自主権を獲得(かくとく)しました。 その功績で日本は名実ともに独立主権国家となりました。

 「宮崎県立 日南高等学校」は宮崎県 日南市 大字星倉 5800 にあります。


写真A: 左に「竹香園 (ちっこうえん)」の門が見えます。 竹香園はJR 飫肥駅 (おびえき)の東約300 m にあります。 竹香園のすぐ東に日南高校があります。 「竹香園 (ちっこうえん)」は宮崎県 日南市 大字星倉 5556-2 にあります。



写真B: 竹香園の建物 (トイレ)、灯明 (とうみょう)、入り口などが見えます。 奥に森があります。



写真C: 竹香園のそばの車道です。 東を見たものです。 桜の名所に行くには先に進みます。 これから右の竹香園 (日南第一公園)に入ります。



写真D: 竹香園の車道の北に「飫肥カトリック幼稚園」があります。 建物や遊具、運動場が見えます。 飫肥カトリック幼稚園は宮崎県 日南市 大字 星倉 6583-3 にあります。 



写真E: 「竹香園 歴史・文化ゾーン案内」があります。
 竹香園は、明治40年 (1907年)に飫肥出身の貴族議員 高橋源次郎 氏の所有していた別荘地や農地等を、昭和26年 (1951年)2月15日に、遺族 高橋憲一 氏より日南市に寄贈されました。 寄贈を受けた日南市は、隣接の丘陵部を取り込み、総合公園として昭和28年5月よりグランド整備等に着手、昭和32年10月20日に、総面積4.7 ha の総合公園「竹香園」として供用を開始しました。
 竹香園は、日南市を代表する桜の名所であり、昭和28年4月以降「竹香園桜まつり」が市民行事として開催されるなど、市民の憩 (いこ)いの場として広く利用されていますが、今後更 (さら)に、市民の休息、鑑賞、散歩、遊戯、運動等の総合的な利用を目的とし、歴史・文化風致的景観の向上を図り、市民の「うるおいと活力」を養 (やしな)う地域の拠点となる公園造りの指針として、竹香園基本計画が策定され、この計画において位置付けされている、歴史・文化ゾーンの整備に平成9年度より着手しました。
 このゾーンは、高橋 氏の別荘地があった場所で、当時 (明治40年)の別荘地の庭園は、5年の歳月を費 (つい)やした回遊式の純日本形式 (桃山式庭園)の庭園で、出島や橋、石灯籠 (いしどうろう)を取り込み、桜や楓 (かえで)等を植え込んでいた名園でありましたが、施設の老朽化や荒廃、雑木等の繁茂が進み、庭園に接する法面 (のりめん)が大雨等により崩壊し再度崩落の危険性が危惧 (きぐ)されていました。
 今回の整備により、当時の竹香園の復元と樹木空間の再整備、緑化法面保護等を行い、伝統文化・地域文化を体感できる空間、文化的遺産として後世へ引き継ぐ事ができる空間、市民の憩 (いこ)いと交流の施設として利用できる空間の整備を行いました。
(竹香園内の地図もあります。)
と書かれています。



写真F: 「竹香園 歴史・文化ゾーン案内」の説明板です。
 竹香園は、明治40年 (1907年)に飫肥出身の貴族議員 高橋源次郎 氏の所有していた別荘地や農地等を、昭和26年 (1951年)2月15日に、遺族 高橋憲一 氏より日南市に寄贈されました。 寄贈を受けた日南市は、隣接の丘陵部を取り込み、総合公園として昭和28年5月よりグランド整備等に着手、昭和32年10月20日に、総面積4.7 ha の総合公園「竹香園」として供用を開始しました。
 竹香園は、日南市を代表する桜の名所であり、昭和28年4月以降「竹香園桜まつり」が市民行事として開催されるなど、市民の憩 (いこ)いの場として広く利用されていますが、今後更 (さら)に、市民の休息、鑑賞、散歩、遊戯、運動等の総合的な利用を目的とし、歴史・文化風致的景観の向上を図り、市民の「うるおいと活力」を養 (やしな)う地域の拠点となる公園造りの指針として、竹香園基本計画が策定され、この計画において位置付けされている、歴史・文化ゾーンの整備に平成9年度より着手しました。
 このゾーンは、高橋 氏の別荘地があった場所で、当時 (明治40年)の別荘地の庭園は、5年の歳月を費 (つい)やした回遊式の純日本形式 (桃山式庭園)の庭園で、出島や橋、石灯籠 (いしどうろう)を取り込み、桜や楓 (かえで)等を植え込んでいた名園でありましたが、施設の老朽化や荒廃、雑木等の繁茂が進み、庭園に接する法面 (のりめん)が大雨等により崩壊し再度崩落の危険性が危惧 (きぐ)されていました。
 今回の整備により、当時の竹香園の復元と樹木空間の再整備、緑化法面保護等を行い、伝統文化・地域文化を体感できる空間、文化的遺産として後世へ引き継ぐ事ができる空間、市民の憩 (いこ)いと交流の施設として利用できる空間の整備を行いました。
(竹香園内の地図もあります。)
と書かれています。



写真G: 「竹香園 歴史・文化ゾーン案内」の説明板です。
 竹香園は、明治40年 (1907年)に飫肥出身の貴族議員 高橋源次郎 氏の所有していた別荘地や農地等を、昭和26年 (1951年)2月15日に、遺族 高橋憲一 氏より日南市に寄贈されました。 寄贈を受けた日南市は、隣接の丘陵部を取り込み、総合公園として昭和28年5月よりグランド整備等に着手、昭和32年10月20日に、総面積4.7 ha の総合公園「竹香園」として供用を開始しました。
 竹香園は、日南市を代表する桜の名所であり、昭和28年4月以降「竹香園桜まつり」が市民行事として開催されるなど、市民の憩 (いこ)いの場として広く利用されていますが、今後更 (さら)に、市民の休息、鑑賞、散歩、遊戯、運動等の総合的な利用を目的とし、歴史・文化風致的景観の向上を図り、市民の「うるおいと活力」を養 (やしな)う地域の拠点となる公園造りの指針として、竹香園基本計画が策定され、この計画において位置付けされている、歴史・文化ゾーンの整備に平成9年度より着手しました。
 このゾーンは、高橋 氏の別荘地があった場所で、当時 (明治40年)の別荘地の庭園は、5年の歳月を費 (つい)やした回遊式の純日本形式 (桃山式庭園)の庭園で、出島や橋、石灯籠 (いしどうろう)を取り込み、桜や楓 (かえで)等を植え込んでいた名園でありましたが、施設の老朽化や荒廃、雑木等の繁茂が進み、庭園に接する法面 (のりめん)が大雨等により崩壊し再度崩落の危険性が危惧 (きぐ)されていました。
 今回の整備により、当時の竹香園の復元と樹木空間の再整備、緑化法面保護等を行い、伝統文化・地域文化を体感できる空間、文化的遺産として後世へ引き継ぐ事ができる空間、市民の憩 (いこ)いと交流の施設として利用できる空間の整備を行いました。
(竹香園内の地図もあります。)
と書かれています。



写真H: 「竹香園 歴史・文化ゾーン案内」の説明板です。
 竹香園は、明治40年 (1907年)に飫肥出身の貴族議員 高橋源次郎 氏の所有していた別荘地や農地等を、昭和26年 (1951年)2月15日に、遺族 高橋憲一 氏より日南市に寄贈されました。 寄贈を受けた日南市は、隣接の丘陵部を取り込み、総合公園として昭和28年5月よりグランド整備等に着手、昭和32年10月20日に、総面積4.7 ha の総合公園「竹香園」として供用を開始しました。
 竹香園は、日南市を代表する桜の名所であり、昭和28年4月以降「竹香園桜まつり」が市民行事として開催されるなど、市民の憩 (いこ)いの場として広く利用されていますが、今後更 (さら)に、市民の休息、鑑賞、散歩、遊戯、運動等の総合的な利用を目的とし、歴史・文化風致的景観の向上を図り、市民の「うるおいと活力」を養 (やしな)う地域の拠点となる公園造りの指針として、竹香園基本計画が策定され、この計画において位置付けされている、歴史・文化ゾーンの整備に平成9年度より着手しました。
 このゾーンは、高橋 氏の別荘地があった場所で、当時 (明治40年)の別荘地の庭園は、5年の歳月を費 (つい)やした回遊式の純日本形式 (桃山式庭園)の庭園で、出島や橋、石灯籠 (いしどうろう)を取り込み、桜や楓 (かえで)等を植え込んでいた名園でありましたが、施設の老朽化や荒廃、雑木等の繁茂が進み、庭園に接する法面 (のりめん)が大雨等により崩壊し再度崩落の危険性が危惧 (きぐ)されていました。
 今回の整備により、当時の竹香園の復元と樹木空間の再整備、緑化法面保護等を行い、伝統文化・地域文化を体感できる空間、文化的遺産として後世へ引き継ぐ事ができる空間、市民の憩 (いこ)いと交流の施設として利用できる空間の整備を行いました。
(竹香園内の地図もあります。)
と書かれています。



写真I: 竹香園の東屋 (あずまや)です。 テーブルがあります。



写真J: 竹香園のトイレです。 右にベンチがあります。



写真K: 石碑 (せきひ)があります。 「野中金右衛門 翁 (おきな) 顕彰碑」です。 竹香園。



写真L: 「野中金右衛門 翁 (おきな) 顕彰碑」があります。
「野中金右衛門: 明和5年(1768年)に飫肥原ノ迫の徒士格の家に生まれました。 先輩の石那田実右衛門の後をついて29歳で植木方となり、以来 飫肥杉の造林拡大に精魂を傾け、実績は大いに上がり、藩財力の蓄積に貢献しました。 弘化3年(1846年)78歳で永眠しました。 明治5年東京山林会から表彰を受け、その業績をたたえた巨大な顕彰碑が竹香園に建立 (こんりゅう)されています。



写真M: 「野中金右衛門 翁 (おきな) 顕彰碑」の説明板があります。



写真N: 日南市の飫肥 (おび)にある竹香園の遊歩道です。



写真O: 竹香園の中です。 いろいろな木があります。



写真P: ベンチもあります。 若者たちが来ていました。



写真Q: 奥はトイレです。



写真R: 奥に小さく石碑 (せきひ)が見えます。 竹香園です。



写真S: 右奥は高くなっています。 右端は「野中金右衛門 翁 (おきな) 顕彰碑」です。



写真T: 2つ目の石碑 (せきひ)があります。 これには「竹香園の名前の由来」を書いてある石碑 (せきひ)です。 竹香園。



写真U: 宮崎県 日南市 大字星倉 5556-2 にある竹香園の石碑 (せきひ)です。



写真V: 「竹香園記の碑 (ひ)」の説明板があります。
これには竹香園の名前の由来を書いてある石碑 (せきひ)です。



写真W: これから竹香園の桜の名所に行きます。 すぐ近くにあります。 この車道を先 (東)に進みます。



写真X: 上方に少し桜の花が見えます。



写真Y: T字路にぶつかります。 ここを右折して「竹香園の桜の名所」に行きます。



写真Z: この坂道を登っていきます。 この坂道は喜望坂と呼 (よ)ばれています。 左奥は県立 日南高等学校です。



写真AA: 「喜望坂」と書いてあります。



写真AB: 坂道の下の方を振 (ふ)り返ったものです。 手前はT字路です。



写真AC: 野草の「キランソウの花」が咲いていました。



写真AD: 登ってきた坂道を振り返ったものです。 右に日南高校の校舎が見えます。



写真AE: 左が日南高校の校門です。 竹香園の桜の名所はここを右折します。 外灯も見えます。



写真AF: 右に進むと桜の名所に行きます。



写真AG: 宮崎県立 日南高等学校の正門です。 竹香園のそばにあります。 校舎、フェニックスの木、駐車場なども見えます。



写真AH: 日南高校の正門です。



写真AI: 門柱に「宮崎県立 日南高等学校」と書いてあります。 ソテツの木も見えます。



写真AJ: この坂道を登って「竹香園の桜の名所」に行きます。 左に「竹香園 小村寿太郎 侯 銅像、あと200 m
→」と書いてあります。 下に桜の花びらが落ちています。 奥に桜の花が多く咲いています。



写真AK: 右奥はテニスコートになっています。 左に桜の花が咲いています。



写真AL: 登ってきた喜望坂を振り返ったものです。



写真AM: 「竹香園 小村寿太郎 侯 銅像、あと200 m
→」と書いてある看板 (かんばん)です。



写真AN: 地面に桜の花びらが落ちていました。



写真AO: 先に進みます。



写真AP: テニスコートがあります。 まわりにも桜が咲いています。



写真AQ: テニスをしている人たちがいます。 まわりは桜です。 左に駐車場があります。
竹香園は約5 ha の広さがあり、春は約1000本の桜 (ソメイヨシノ)が見事です。



写真AR: 左の階段を上ると野球場があります。 右はテニスコートです。 右奥には駐車場があります。



写真AS: 日南市にある竹香園の桜の花です。



写真AT: 桜の花が満開でした。 右奥には野球場があります。



写真AU: 登ってきた坂道を振 (ふ)り返ったものです。



写真AV: 駐車場近くの桜の花です。



写真AW: 竹香園の駐車場です。 バスも来ています。



写真AX: 右に自転車も止 (と)めてあります。 右端はテニスコートです。



写真AY: 桜の木とテニスコートが見えます。



写真AZ: 「郷土の名木」の看板 (かんばん)があります。
竹香園 樹林、樹林面積 10000平方メートル、樹木の種類 クスノキ等、本数 3本、指定年月日 平成9年2月28日、指定番号 第2号、日南市
と書いてあります。



写真BA: 楠 (くすのき)と郷土の名木の看板 (かんばん)です。



写真BB: 竹香園のクスノキの中部です。



写真BC: 楠 (くすのき)の上部です。



写真BD: クスノキの上部。



写真BE: 奥にトイレがあります。 左に行く道があります。 そこに野球場、小村寿太郎の像、丘の桜の花などがあります。 左奥にも多くの桜の花が見えます。



写真BF: 左に観客たちが見えます。 手前に若い桜の木も植えてあります。 柵 (さく)、トイレなどがあります。



写真BG: 日南市にある「竹香園の桜」です。 丘の斜面に多くの桜が咲いています。 小村寿太郎の像は右寄りの奥にあります。
竹香園は約5 ha の広さがあり、春は約1000本の桜 (ソメイヨシノ)が見事です。



写真BH: 桜の丘の左に、野球の選手たちが見えます。 ここは野球、サッカーなどが行われます。



写真BI: 野球場のまわりの土手 (どて)に桜の花が満開でした。 観客たちも見えます。 竹香園。



写真BJ: 広い範囲に桜の花が咲いています。



写真BK: 花見客のブルーシートも見えます。 竹香園の桜見物です。



写真BL: 桜の花です。



写真BM: 竹香園の丘の桜です。 斜面に遊歩道があります。



写真BN: これが日南市にある「竹香園の桜の花」です。 見事に咲いています。



写真BO: 満開の竹香園の桜です。 丘の斜面に多くの桜の木があります。 遊歩道も見えています。



写真BP: 奥は自然林が茂 (しげ)っています。



写真BQ: この階段を上ると「小村寿太郎の像」があります。



写真BR: 「日本の20世紀への扉 (とびら)を開く、世界の外交官 小村寿太郎」の説明板があります。 小村寿太郎の像の近くです。



写真BS: 「飫肥 (おび)の地図」も載 (の)っています。 飫肥藩 伊東家 5万1千石の城下町 石垣と緑に囲まれた武家屋敷。
と書いてあります。



写真BT: 小村寿太郎の功績、小村寿太郎の生 (お)い立ち、国際交流センター 小村記念館、飫肥重要伝統的建造物群保存地区などについて書かれています。



写真BU: 階段を登ります。 奥にも桜の花が見えます。



写真BV: 日南市の竹香園にある「小村寿太郎の銅像」です。 小高いところにあります。
小村寿太郎は、日南市 飫肥 (おび)の出身です。 小村寿太郎は20世紀初頭、日英同盟を結び、日露戦争後の講和会議では全権大使としてポーツマス条約を結びました。 また、不平等条約を改正し、関税自主権を獲得(かくとく)しました。 その功績で日本は名実ともに独立主権国家となりました。



写真BW: 小村寿太郎の銅像です。



写真BX: 小村寿太郎の像の下部です。



写真BY: 小村寿太郎の像から見た景色です。 桜の花、右に野球場、左寄りに白いトイレも見えます。 遠くの山も見えます。



写真BZ: 説明板の屋根も見えます。 奥は野球場です。 桜の花も見えます。



写真CA: 小村寿太郎の像の近くの様子 (ようす)です。  右奥は桜の丘です。 左奥は野球場です。



写真CB: 小村寿太郎の像の下部です。 奥は桜の花です。



写真CC: 見上げた小村寿太郎の銅像です。 側面から見たもの。



写真CD: 小村寿太郎の像の台座です。



写真CE: 竹香園にある桜の丘です。 桜見の人たちと宴会用 (えんかいよう)のブルーシートが見えます。



写真CF: 竹香園の丘の桜と野球場の選手たちが見えます。 遠くの山も見えます。 桜見のお客さん達もいます。 地面に桜の花びらが落ちています。



写真CG: 下にサッカーのゴールが見えます。 右端は花見客です。



写真CH: 左は桜の丘の遊歩道です。 テニスコートの近くの桜の花も見えています。 割りと近くの山も見えます。



写真CI: 竹香園の桜の丘です。 地面に桜の花びらが落ちています。



写真CJ: 手前はまだ若い桜の木です。



写真CK: 花の絨毯 (じゅうたん)です。



写真CL: 桜の丘の遊歩道です。



写真CM: 竹香園の桜です。



写真CN: 階段状に土を削 (けず)ってあります。 遊歩道です。



写真CO: 桜の花の観客たちとブルーシートが見えます。 竹香園。



写真CP: 花見客が増えてきました。 遠くの山や近くの山が見えます。 右寄りに日南高校の建物が見えます。



写真CQ: 桜の丘の遊歩道です。 斜面に桜の木があります。



写真CR: 丘の桜、日南高校の校舎、山々などが見えます。 花見客のブルーシートも見えます。



写真CS: 左に日南高等学校の建物が見えています。



写真CT: 丘の中腹です。



写真CU: ここを登っていきます。



写真CV: このような道があります。



写真CW: 桜の丘です。



写真CX: 登ってきた道を振 (ふ)り返ったものです。 地面は一面の桜の花びらです。



写真CY: 竹香園の桜の丘です。



写真CZ: 桜の幹 (みき)です。



写真DA: 3本の遊歩道が見えます。



写真DB: 若い桜の木です。



写真DC: 竹香園の桜の丘です。



写真DD: 丘はこのようになっています。



写真DE: 丘の道です。



写真DF: 竹香園のソメイヨシノ (桜)の花です。



写真DG: 丘の端 (はし)の方には自然林もあります。



写真DH: 桜の丘の一番高いところに着 (つ)きました。 ここが峠 (とうげ)になっています。



写真DI: 峠 (とうげ)の奥はこのようになっています。 遠くに飫肥杉の山 (おびすぎのやま)があります。



写真DJ: 峠 (とうげ)の奥は谷になっています。 その先はまた山になっています。



写真DK: 峠 (とうげ)の奥です。 先の山に竹林があります。



写真DL: 割りと近いところにも竹があります。 手前は峠 (とうげ)です。



写真DM: ここが桜の丘の尾根 (おね)になっています。 一番高いところです。



写真DN: 桜の丘の上部です。



写真DO: 尾根になっています。



写真DP: 左手前に小さな桜の木を植えてあります。



写真DQ: 桜の丘の尾根 (おね)に石碑 (せきひ)があります。 桜の花も咲いています。 竹香園です。



写真DR: 石碑 (せきひ)と桜の花です。



写真DS: 見上 (あ)げた桜の花です。



写真DT: 右は石碑 (せきひ)です。



写真DU: 石碑 (せきひ)の右に2つのベンチがあります。 桜の丘の上部です。



写真DV: 「山方部隊駐留之地」と書いてある石碑 (せきひ)です。 竹香園です。



写真DW: 「山方部隊駐留之地」と書いてあります。



写真DX: 石碑の裏に「昭和20年」と書いてあります。



写真DY: 石碑 (せきひ)のそばにあるベンチです。



写真DZ: 桜の丘の上部から見下ろしたものです。 左はベンチです。



写真EA: 桜の丘の上部です。



写真EB: 丘の尾根 (おね)です。



写真EC: 右は石碑の下部です。



写真ED: 桜の丘の下にある野球場です。 選手たちが練習をしていました。 奥にも桜の花が見えます。



写真EE: 竹香園の駐車場に戻 (もど)ってきました。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)