宮崎市 城の駅 佐土原いろは館、宮崎市 佐土原地区交流センター、佐土原歴史年表 (巨田神楽 (こたかぐら)、久峰太鼓 (たいこ)、佐土原いろは館のオープン、佐土原かあちゃん食堂 (佐土原生姜麺 (しょうがめん)、いろは定食)、和紙人形作りクラブ、佐土原地区郷土史同好会、佐土原太極拳クラブ、うずら車、ブン車 (神代コマ)、佐土原人形、鯨 (くじら)ようかん、鯨 (くじら)のぼり、鶴松館、弁天山)  (宮崎県 宮崎市 佐土原町 上田島)







<標高、位置>  宮崎市 佐土原地区交流センターの敷地内にある宮崎市 城の駅 「佐土原いろは館」は
標高 約10 m
 北緯32度02分50秒  東経131度25分39秒

<標高、位置>  佐土原城本丸跡は
標高 約69 m
 北緯32度02分48秒  東経131度25分18秒

<標高、位置>  鶴松館 (かくしょうかん、二の丸跡)は
標高 約10 m
 北緯32度02分53秒  東経131度25分33秒

<標高、位置>  弁天山 (べんてんやま)は
標高 約50 m
 北緯32度03分00秒  東経131度25分38秒


 「宮崎市 佐土原地区交流センター」は宮崎県 宮崎市 佐土原町 上田島 1389 にあります。
宮崎市立公民館 佐土原地区交流センターは2013年11月18日にオープンしました。 地域の生涯学習、町作り活動の拠点になっています。 多目的ホール (定員 200人)、和室 (40人)、学習室 (洋室、60人)、料理実習室 (30人)、高齢者ふれあい室、遊戯室、図書室などがあります。

 「宮崎市 城の駅 佐土原いろは館」は宮崎県 宮崎市 佐土原町 上田島 1387-1 にあります。
佐土原地区交流センターの敷地内にあります。 佐土原歴史資料館 鶴松館 (かくしょうかん)の向 (む)かいにあります。 城の駅の愛称は佐土原いろは館です。 城の駅 佐土原いろは館には特産品販売コーナー、飲食コーナー、観光情報発信コーナーがあります。 2015年 (平成27年)2月1日にオープンしました。 城の駅の愛称を宮崎市が公募しました。 71人223点の応募の中から宮崎市 佐土原町 下那珂の井場典子さんと宮崎市 佐土原町 上田島の籾木雅子さんの作品が採用されました。 佐土原町に古くから伝わる「いろは口説 (くど)き」にちなんで作られました。 総工費は3億3400万円です。 延べ床面積 約280 平方メートルの木造平屋です。 「いろは口説 (くど)き」は佐土原町 上田島の松巌寺 (しょうがんじ)で仏の道に入った江戸時代の禅宗の中興の祖であり、全国的にもよく知られた古月禅師 (こげつぜんし)が作りました。 曲や踊りも付けられ、今でも佐土原町の祭りや学校で踊られています。 古月禅師は宮崎市 佐土原町 佐賀利で生まれました。 施設の運営はNPO法人の「ドンと佐土原まちおこし隊」が行っています。

 「古月禅師 (こげつぜんし)」は、佐賀利で金丸家の4男として生まれ、10歳で佐土原の松巌寺(しょうがんじ) 一道和尚のもとで出家しました。 21歳で一道和尚に随行して京都に行き、近畿内と九州を行脚しました。 その後も徳島県、東京都、宮城県にも行きました。 古月禅師が28歳で宮城県にいたとき、一道和尚が亡くなられたという知らせを受け、佐土原に帰郷し、松巌寺を監護しました。 38歳で大光寺に入りました。 41歳で佐土原藩主 惟久の命を受け大光寺の42世住職になりました。 この後、古月禅師は本山の出世の拝請が来ても固辞し、九州地方を中心に布教活動を行いました。 古月禅師の下には、東北地方の雲水(若い僧)も少なくありません。

 「鯨幟(くじらのぼり)」は平成時代になってから、佐土原で始まりました。 鯉(こい)のぼりと同じように使用されます。 「くじら」は江戸時代から始まった佐土原の鯨羊羹(くじらようかん)に因(ちな)んでいます。 鯨(くじら)が佐土原の町おこしのシンボルです。

 「島津入城410年記念」の武者行列が2014年2月11日に久峰総合公園から佐土原城跡 (鶴松館)まで行進しました。 子供武者行列、女武者行列も参加しました。 子供武者行列は手作りの鎧 (よろい)兜 (かぶと)を身にまといました。 その時の子供武者行列のカブトやヨロイを城の駅 佐土原いろは館に展示してあります。

 「佐土原人形」は宮崎県 宮崎市 佐土原町で江戸時代から作られている名物、伝統工芸品です。 400年以上の歴史を持つ佐土原町の伝統工芸です。 佐土原町 上田島にある「ますや」は約160年前に創業した老舗です。 ひな人形、節句人形など各種の佐土原人形を作っています。 昔からの手法は「手押し型」と呼(よ)ばれます。 粘土を棒で伸ばし型に押し付けて形を作ります。 水性絵の具を重ねて図柄、色を付けます。

 佐土原町の名物 「ぶんぐるま」。
佐土原町の「ぶんぐるま」は竹製の うなりごま(唸り独楽) です。 竹製の黒い胴と上下の赤く塗られた蓋(ふた)、回すための竹の棒で出来ています。 江戸時代からの伝統竹細工です。 江戸時代の参勤交代の時に、お土産に渡すと、喜ばれたそうです。 胴の部分には四角の穴が開いていて、回すとぶーんぶんと唸(うな)ります。 これが名前の由来です。 胴の黒い部分は、丸の十の字(島津家の家紋)の模様の和紙を水で貼り付けて、松の枝でいぶし焼きします。 竹の皮の油と松ヤニが混ざって、黒く仕上がります。 「神代ごま」とも呼ばれますが、これは近年、地方に売り出すための商品名です。

 「久峰うずら車」の佐土原町伝統工芸品保存会のパンフレットから、
うずら車は宮崎県指定伝統的工芸品です。 東北地方を代表する民芸品に「こけし」があり、これに対して九州地方だけに、うずら車のように「車」の付いた木製民芸品があります。 前者は静的であり、後者が動的であるのは気候風土の影響と考えられます。 これら九州地方の車玩具 (がんぐ)の発生についてはいろいろな説がありますが、久峰うずら車は、昔し百済 (くだら)から来た100歳の僧が、長生きの記念として奉納したのが始まりと言われています。 1400年前、新羅国 (しらぎこく)の高僧、日羅上人が開基したと伝えられる、佐土原町の久峰観音は、安産、無病、長寿の御利益があるといわれ、その縁起物としてまた子供のお土産 (みやげ)として、門前で売られていたものです。 この玩具は、前世紀初め頃には外国にも輸出され、玩具界の西の関取として注文に応じきれない程 (ほど)の名声を博した記録もあります。 制作にはタラの木を用い手斧 (ておの)で削 (けず)っただけで生地を生かし、絵柄も優しく女性的で、単純で素朴さがかえって親しみやすさを醸 (かも)し出しています。 久峰うずら車は雌雄一対が特徴になっています。

 「久峰うずら車」の説明書から、
久峰うずら車は、安産、開運、長寿等、久峰観音 (585年建立)の縁起物 (えんぎもの)として伝わっています。
 うずら車の発祥については、500年~800年の歴史を持つとも言われ、落人達が伝えた、木地師や木挽 (こびき)達が伝えた、帰化人が伝えた、久峰観音の開基に伴う百済の僧が伝えた等々、種々の説がありますが、最近では、郷土史研究家によると、熊本県湯前から西米良を経 (へ)て一ツ瀬川添 (ぞ)いに伝わり、久峰地区に住んでいた、木挽衆によって山から里への土産として持ち帰っていたものを名前もキジからウヅラに変化させて、伝説を生みながら久峰観音の縁日 (えんにち)に合わせてお守りとして売り出した、という説が一番史実に近いものと言われるようになりました。
 製作にはイヌダラ (カラスザンショウ)の木を使い、初期のころには手斧 (ておの)で削 (けず)っただけの素朴なもので、絵付けの材料も、自然の植物の花や実の汁 (しる)等を使っていました。 久峰うずら車は雄と雌 (めす)で一対 (いっつい)となっており、日向夫婦うずら車として6月と12月の縁日には、安産祈願のお守りとしてもてはやされていました。
 先の戦争を境に、現代玩具 (がんぐ)の氾濫 (はんらん)に追われるように衰退の一途 (いっと)をたどる中で、宮崎県認定工芸士 兵頭正一 氏が唯一の継承者として製法を受け継いでいます。

 「鯨羊羹 (くじらようかん)」は佐土原の伝統的な銘菓です。
鯨ようかんは米の粉を練 (ね)って、餡 (あん)をはさみ蒸 (む)したものです。 日持ちはあまりしません。 鯨ようかんの由来 (ゆらい)は、佐土原藩 4代藩主の島津忠高が26歳で亡くなりました。 その子の万吉丸はまだ1歳だったため、世継 (よつ)ぎ争いが起こりました (松木事件)。 その中で、万吉丸の母である松寿院が「息子 (むすこ)と藩が、鯨 (くじら)のように力強くたくましく育ってほしい。」と願って鯨に似たような羊羹 (ようかん)を作らせました。 その後、万吉丸は5代藩主 (6代とも言う。)島津惟久となり、名君と言われました。

 宮崎市のイメージ キャラクターは「ミッシ」です。 かわいい女の子の姿をしています。 佐土原城に来ていました。
「ミッシちゃん」は宮崎市の自然・神話・食から3つの「シ」をとって名付けられました。

 「佐土原歴史年表、時代 年号 佐土原のできごと」から、
平安時代 1093年 田島荘開発 宇佐八幡宮神領、巨田八幡宮創建、鎌倉時代 1190年 工藤祐経が日向の地頭となる。 1250年 伊東祐明が田島へ下向、1335年 伊東祐持 都於郡 (とのこおり)へ下向、1335年 伊東祐聡が大光寺建立 (こんりゅう)、室町時代 1411年 田島伊東氏滅 (ほろ)び伊東祐賀が佐土原城に入る。 1448年 伊東祐賀が巨田八幡宮修造、1480年 伊藤祐国が佐土原を知行 (ちぎょう、治 (おさ)めることです。)する。 1536年 伊東祐清 (義祐)が佐土原城に入る、伊東氏全盛、1572年 木崎原合戦、伊東軍大敗する。 安土桃山時代 1577年 伊東義祐が米良越えして豊後 (ぶんご、大分県)へ。 1578年 島津軍が高城 (木城町)で大友軍を破る。 1579年 島津家久が佐土原城主となる。 1582年 伊藤満所ら少年使節としてローマへ、1600年 島津豊久が戦死 (関ヶ原の戦い)、江戸時代 1603年 島津以久 (ゆきひさ)が3万石を徳川家康から受ける。 1625年 佐土原城を山下 (二の丸)に移す。 1666年 日講上人が佐土原へ流刑 (るけい)。 1699年 佐土原藩主が城主列となる。 1704年 古月禅師が大光寺住職となる。 1751年 古月禅師が久留米福聚寺にて寂す (死亡)。 1769年 佐土原大火456戸焼失、1818年 野田泉光院が「日本九峰修業日記」を書く。 1825年 佐土原学習館設立。 近代 1868年 島津忠寛が明治天皇より「錦旗と御剣」を給 (たま)う。 1869年 広瀬へ城を移す。 1871年 佐土原藩を廃し、佐土原県となる。 1873年 宮崎県になる。 1876年 島津啓次郎が外字文黌(きょうぶんこう)設立。 1877年 西南の役 (えき)で薩軍が西郷札を製造。 1889年 町村制を施行する (広瀬、佐土原、那珂村発足)。 現代 1955年 佐土原町と那珂村が合併 (がっぺい)して佐土原町となる。 1958年 佐土原町と広瀬村が合併して佐土原町となる。 1965年 広瀬駅を佐土原駅に、佐土原駅を西佐土原駅にする。 1993年 佐土原城跡二の丸跡に鶴松館を造る。 2006年 宮崎市と佐土原町が合併 (がっぺい)して宮崎市となる。


写真A: 奥に鶴松館 (かくしょうかん)が見えます。 手前に宮崎市 佐土原地区交流センターがあり、その敷地内に宮崎市 城の駅 「佐土原いろは館」があります。 北西を見たものです。



写真B: 奥に弁天山 (標高 約50 m )が見えます。 「←佐土原城址歴史資料館 鶴松館」の標識があります。 佐土原いろは館と鶴松館は車道をはさんで向かいにあります。 右寄りにバス停が見えます。



写真C: 右手側の建物が宮崎市 城の駅 「佐土原いろは館」です。 その奥隣 (とな)りの建物は宮崎市 佐土原地区交流センターです。



写真D: 佐土原いろは館に「宮崎市城の駅 2月1日オープン 出荷者募集中」と書いてあります。 この写真は平成27年 (2015年)1月27日のものです。 オープンの5日前の写真です。



写真E: 「宮崎市 城の駅 佐土原いろは館、2月1日 (日)オープン」のポスターがあります。



写真F: 左端は弁天山 (標高 約50 m )、右端は城の駅 佐土原いろは館です。 先に進むと西都市、国道10号などに行きます。



写真G: 宮崎市 佐土原町 上田島にある城の駅 佐土原いろは館です。
「宮崎市 城の駅 佐土原いろは館」は宮崎県 宮崎市 佐土原町 上田島 1387-1 にあります。
佐土原地区交流センターの敷地内にあります。 佐土原歴史資料館 鶴松館 (かくしょうかん)の向 (む)かいにあります。 城の駅の愛称は佐土原いろは館です。 城の駅 佐土原いろは館には特産品販売コーナー、飲食コーナー、観光情報発信コーナーがあります。 2015年 (平成27年)2月1日にオープンしました。 城の駅の愛称を宮崎市が公募しました。 71人223点の応募の中から宮崎市 佐土原町 下那珂の井場典子さんと宮崎市 佐土原町 上田島の籾木雅子さんの作品が採用されました。 佐土原町に古くから伝わる「いろは口説 (くど)き」にちなんで作られました。 総工費は3億3400万円です。 延べ床面積 約280 平方メートルの木造平屋です。 「いろは口説 (くど)き」は佐土原町 上田島の松巌寺 (しょうがんじ)で仏の道に入った江戸時代の禅宗の中興の祖であり、全国的にもよく知られた古月禅師 (こげつぜんし)が作りました。 曲や踊りも付けられ、今でも佐土原町の祭りや学校で踊られています。 古月禅師は宮崎市 佐土原町 佐賀利で生まれました。 施設の運営はNPO法人の「ドンと佐土原まちおこし隊」が行っています。「宮崎市 城の駅 佐土原いろは館」は宮崎県 宮崎市 佐土原町 上田島 1387-1 にあります。

 「古月禅師 (こげつぜんし)」は、佐賀利で金丸家の4男として生まれ、10歳で佐土原の松巌寺(しょうがんじ) 一道和尚のもとで出家しました。 21歳で一道和尚に随行して京都に行き、近畿内と九州を行脚しました。 その後も徳島県、東京都、宮城県にも行きました。 古月禅師が28歳で宮城県にいたとき、一道和尚が亡くなられたという知らせを受け、佐土原に帰郷し、松巌寺を監護しました。 38歳で大光寺に入りました。 41歳で佐土原藩主 惟久の命を受け大光寺の42世住職になりました。 この後、古月禅師は本山の出世の拝請が来ても固辞し、九州地方を中心に布教活動を行いました。 古月禅師の下には、東北地方の雲水(若い僧)も少なくありません。



写真H: 門に「宮崎市佐土原地区交流センター」と書いてあります。 この敷地内に「いろは館」はあります。
「宮崎市 佐土原地区交流センター」は宮崎県 宮崎市 佐土原町 上田島 1389 にあります。



写真I: 山の上に携帯電話の基地局アンテナが見えます。



写真J: 先に進むと宮崎市 佐土原町 那珂 (なか)などに行きます。



写真K: 佐土原城跡のある山が見えます。



写真L: 右は鶴松館の駐車場です。



写真M: 弁天山 (標高 約50 m )、鶴松館の駐車場と塀 (へい)が見えます。



写真N: 城の駅 佐土原いろは館と佐土原地区交流センターの入り口です。



写真O: 佐土原町 上田島にある城の駅 佐土原いろは館です。 オープンする5日前です。



写真P: 駐車場、いろは館、その奥に佐土原地区交流センター、弁天山などが見えます。



写真Q: 左の佐土原いろは館と右と奥の佐土原地区交流センターです。



写真R: 佐土原地区交流センターのそばに広場があり、遊具も見えます。
「宮崎市 佐土原地区交流センター」は宮崎県 宮崎市 佐土原町 上田島 1389 にあります。



写真S: 左は駐車場です。



写真T: 農業用ビニールハウスがあります。 暖房の重油タンクも見えます。 山の上に携帯電話の基地局アンテナ、送電線鉄塔があります。



写真U: 右は車道です。 南西を見たものです。



写真V: いろは館の近くです。



写真W: 右は駐車場です。



写真X: 駐車場と山です。



写真Y: 北東を見たものです。



写真Z: 城の駅 佐土原いろは館、駐車場です。



写真AA: 左の佐土原いろは館と右の佐土原地区交流センターです。



写真AB: 佐土原いろは館の入り口です。



写真AC: 城の駅 佐土原いろは館の入り口です。 上に「宮崎市 城の駅 佐土原いろは館」と書いてあります。
「宮崎市 城の駅 佐土原いろは館」は宮崎県 宮崎市 佐土原町 上田島 1387-1 にあります。
佐土原地区交流センターの敷地内にあります。 佐土原歴史資料館 鶴松館 (かくしょうかん)の向 (む)かいにあります。 城の駅の愛称は佐土原いろは館です。 城の駅 佐土原いろは館には特産品販売コーナー、飲食コーナー、観光情報発信コーナーがあります。 2015年 (平成27年)2月1日にオープンしました。 城の駅の愛称を宮崎市が公募しました。 71人223点の応募の中から宮崎市 佐土原町 下那珂の井場典子さんと宮崎市 佐土原町 上田島の籾木雅子さんの作品が採用されました。 佐土原町に古くから伝わる「いろは口説 (くど)き」にちなんで作られました。 総工費は3億3400万円です。 延べ床面積 約280 平方メートルの木造平屋です。 「いろは口説 (くど)き」は佐土原町 上田島の松巌寺 (しょうがんじ)で仏の道に入った江戸時代の禅宗の中興の祖であり、全国的にもよく知られた古月禅師 (こげつぜんし)が作りました。 曲や踊りも付けられ、今でも佐土原町の祭りや学校で踊られています。 古月禅師は宮崎市 佐土原町 佐賀利で生まれました。 施設の運営はNPO法人の「ドンと佐土原まちおこし隊」が行っています。「宮崎市 城の駅 佐土原いろは館」は宮崎県 宮崎市 佐土原町 上田島 1387-1 にあります。

 「古月禅師 (こげつぜんし)」は、佐賀利で金丸家の4男として生まれ、10歳で佐土原の松巌寺(しょうがんじ) 一道和尚のもとで出家しました。 21歳で一道和尚に随行して京都に行き、近畿内と九州を行脚しました。 その後も徳島県、東京都、宮城県にも行きました。 古月禅師が28歳で宮城県にいたとき、一道和尚が亡くなられたという知らせを受け、佐土原に帰郷し、松巌寺を監護しました。 38歳で大光寺に入りました。 41歳で佐土原藩主 惟久の命を受け大光寺の42世住職になりました。 この後、古月禅師は本山の出世の拝請が来ても固辞し、九州地方を中心に布教活動を行いました。 古月禅師の下には、東北地方の雲水(若い僧)も少なくありません。



写真AD: 奥に広場、遊具もあります。



写真AE: 「宮崎市 城の駅 佐土原いろは館、2月1日 (日)オープン」のポスターです。



写真AF: 「宮崎市 城の駅 佐土原いろは館、2月1日 (日)オープン」のポスター。



写真AG: 「佐土原城下 古地図探検隊」のポスターです。



写真AH: 日向夏 (ひゅうがなつ、柑橘類 (かんきつるい)です。)があります。



写真AI: 宮崎市 城の駅 佐土原いろは館です。



写真AJ: 「宮崎市 城の駅 佐土原いろは館」と書いてあります。



写真AK: 「佐土原に宮崎市城の駅 佐土原いろは館がオープン!」のポスターです。



写真AL: オープン5日前の宮崎市城の駅 佐土原いろは館の中です。



写真AM: 棚 (たな)や容器が並 (なら)んでいます。 右上に鯨のぼり (くじらのぼり)があります。 左に鎧兜 (よろいかぶと)があります。



写真AN: 鯨幟 (くじらのぼり)が目立ちます。
「鯨幟(くじらのぼり)」は平成時代になってから、佐土原で始まりました。 鯉(こい)のぼりと同じように使用されます。 「くじら」は江戸時代から始まった佐土原の鯨羊羹(くじらようかん)に因(ちな)んでいます。 鯨(くじら)が佐土原の町おこしのシンボルです。



写真AO: テーブル、椅子 (いす)もあります。 佐土原いろは館です。



写真AP: 木製の建物です。 城の駅 佐土原いろは館です。



写真AQ: 「佐土原に宮崎市城の駅 佐土原いろは館がオープン」のポスターです。



写真AR: 「佐土原に宮崎市城の駅 佐土原いろは館がオープン」のポスター。



写真AS: 台があります。



写真AT: 左は佐土原いろは館、右は佐土原地区交流センターです。



写真AU: 佐土原地区交流センターの入り口です。 星の電飾 (でんしょく)があります。



写真AV: 広場、遊具、佐土原地区交流センターです。



写真AW: 「イベントのご案内」の掲示板があります。



写真AX: 佐土原地区交流センターから見た城の駅 佐土原いろは館です。



写真AY: 「宮崎市 佐土原地区交流センター」と書いてあります。
「宮崎市 佐土原地区交流センター」は宮崎県 宮崎市 佐土原町 上田島 1389 にあります。



写真AZ: 宮崎県 宮崎市 佐土原町 上田島にある佐土原地区交流センターです。 花も見えます。



写真BA: 「交流センター 事務室」と書いてあります。 佐土原地区交流センターです。



写真BB: 「宮崎市 佐土原地区交流センター」と入り口に書いてあります。
「宮崎市 佐土原地区交流センター」は宮崎県 宮崎市 佐土原町 上田島 1389 にあります。
宮崎市立公民館 佐土原地区交流センターは2013年11月18日にオープンしました。 地域の生涯学習、町作り活動の拠点になっています。 多目的ホール (定員 200人)、和室 (40人)、学習室 (洋室、60人)、料理実習室 (30人)、高齢者ふれあい室、遊戯室、図書室などがあります。



写真BC: 広場に遊具があります。



写真BD: 日章旗 (にっしょうき、日の丸)などが見えます。 佐土原地区交流センター。



写真BE: 国旗などと広場です。



写真BF: 佐土原地区交流センターの入り口から見た景色です。



写真BG: 駐車場などが見えます。



写真BH: 奥に佐土原いろは館があります。 手前にベンチもあります。



写真BI: 佐土原地区交流センターの入り口です。



写真BJ: 入り口です。



写真BK: 星の形の電飾 (でんしょく)があります。



写真BL: 宮崎市 佐土原町 上田島にある城の駅 佐土原いろは館です。



写真BM: 佐土原いろは館と駐車場です。



写真BN: 佐土原いろは館と佐土原地区交流センターです。



写真BO: 佐土原いろは館の柱が印象的です。



写真BP: 佐土原いろは館です。 屋根の中央部が高くなっています。



写真BQ: 佐土原いろは館の奥の建物も佐土原地区交流センターです。



写真BR: 佐土原いろは館のそばです。



写真BS: 宮崎市城の駅 佐土原いろは館の中です。 兜 (かぶと)が並んでいます。
「島津入城410年記念」の武者行列が2014年2月11日に久峰総合公園から佐土原城跡 (鶴松館)まで行進しました。 子供武者行列、女武者行列も参加しました。 子供武者行列は手作りの鎧 (よろい)兜 (かぶと)を身にまといました。 その時の子供武者行列のカブトやヨロイを城の駅 佐土原いろは館に展示してあります。



写真BT: 兜 (かぶと)を多く展示してあります。



写真BU: 佐土原いろは館の中の上部です。



写真BV: テーブル、椅子があります。



写真BW: 佐土原いろは館の内部です。



写真BX: 宮崎市 佐土原町 上田島にある佐土原いろは館の内部です。



写真BY: いろは館の中です。



写真BZ: 内側から見た入り口です。



写真CA: 宮崎市城の駅 佐土原いろは館です。



写真CB: 入り口の奥に駐車場が見えます。



写真CC: 部屋 (へや)の様子です。



写真CD: クジラのぼりを展示してあります。
「鯨幟(くじらのぼり)」は平成時代になってから、佐土原で始まりました。 鯉(こい)のぼりと同じように使用されます。 「くじら」は江戸時代から始まった佐土原の鯨羊羹(くじらようかん)に因(ちな)んでいます。 鯨(くじら)が佐土原の町おこしのシンボルです。



写真CE: 丸い壁時計があります。



写真CF: 鎧 (よろい)兜 (かぶと)を展示してあります。
「島津入城410年記念」の武者行列が2014年2月11日に久峰総合公園から佐土原城跡 (鶴松館)まで行進しました。 子供武者行列、女武者行列も参加しました。 子供武者行列は手作りの鎧 (よろい)兜 (かぶと)を身にまといました。 その時の子供武者行列のカブトやヨロイを城の駅 佐土原いろは館に展示してあります。



写真CG: いろは館の中です。



写真CH: 窓の奥には鶴松館があります。



写真CI: いろは館の入り口を内部から見たものです。



写真CJ: すでに商品を展示してある部分もあります。 宮崎市城の駅 佐土原いろは館です。



写真CK: 冷蔵棚 (たな)もあります。



写真CL: この入り口の奥は佐土原地区交流センターです。



写真CM: 冷蔵ボックスです。



写真CN: ところどころにすでに商品を並べてあります。



写真CO: 佐土原いろは館に2組のよろいかぶとがあります。



写真CP: ヨロイカブトです。
「島津入城410年記念」の武者行列が2014年2月11日に久峰総合公園から佐土原城跡 (鶴松館)まで行進しました。 子供武者行列、女武者行列も参加しました。 子供武者行列は手作りの鎧 (よろい)兜 (かぶと)を身にまといました。 その時の子供武者行列のカブトやヨロイを城の駅 佐土原いろは館に展示してあります。



写真CQ: この辺 (あた)りに商品がたくさん並 (なら)ぶことでしょう。



写真CR: 「パパイヤ茶」と書いてあります。



写真CS: 布製品を並 (なら)べてあります。



写真CT: トイレです。



写真CU: 木製品を並 (なら)べてあります。



写真CV: 下段にも木製品があります。



写真CW: 傘 (かさ)の手で握 (にぎ)る部分は鹿の角 (つの)で出来ています。 太鼓 (たいこ)、枹 (ばち、太鼓などを打ち鳴らす棒 (ぼう)です。)もあります。



写真CX: 工芸品を並べてあります。



写真CY: 野鳥の鴨 (かも)、オシドリを描 (えが)いてあります。



写真CZ: 室内と左は駐車場です。



写真DA: 近日中にいろいろな商品が並 (なら)びます。



写真DB: 左上はクジラのぼりです。



写真DC: 木工品を置いてあります。



写真DD: 駐車場から南西を見たものです。



写真DE: 2015年 (平成27年)2月1日の「佐土原いろは館」オープンの日です。 鶴松館の駐車場です。



写真DF: 鶴松館の入り口から見た宮崎市 城の駅 佐土原いろは館と左の佐土原地区交流センターの体育館です。 人が集まっています。



写真DG: 「宮崎市 城の駅 開館記念式典 駐車場 宮崎市」と書いてあります。



写真DH: 宮崎市 城の駅の入り口です。 佐土原人形の子供が饅頭 (まんじゅう)を半分に割ってる像があります。



写真DI: 宮崎市 城の駅 佐土原いろは館のシンボルです。



写真DJ: 「宮崎市城の駅 開館記念式典会場 宮崎市」と書いてあります。



写真DK: 今日の宮崎市城の駅「佐土原いろは館」開館記念式典の時刻と催 (もよお)し物を書いてあります。
武者行列、オープニングセレモニー、巨田神楽奉納 (巨田神楽保存会)、久峰太鼓 (たいこ)、ひょっとこ (佐土原幼稚園)、和太鼓 (梅野保育園)、だんじり紙相撲 (かみすもう)、広瀬中学校吹奏楽部、佐土原・那珂・広瀬音頭、みやざき犬・ミッシちゃん、いろは口説 (くど)き総踊り、せんぐまき。
うずら車 絵付け体験、佐土原人形 絵付け体験
と書いてあります。



写真DL: 武者行列、オープニングセレモニー、巨田神楽奉納 (巨田神楽保存会)、久峰太鼓 (たいこ)、ひょっとこ (佐土原幼稚園)、和太鼓 (梅野保育園)、だんじり紙相撲 (かみすもう)、広瀬中学校吹奏楽部、佐土原・那珂・広瀬音頭、みやざき犬・ミッシちゃん、いろは口説 (くど)き総踊り、せんぐまき。
うずら車 絵付け体験、佐土原人形 絵付け体験
と書いてあります。



写真DM: 宮崎市城の駅「佐土原いろは館」開館記念式典の時刻と催 (もよお)し物を書いてあります。 武者行列、オープニングセレモニー、巨田神楽奉納 (巨田神楽保存会)、久峰太鼓 (たいこ)、ひょっとこ (佐土原幼稚園)、和太鼓 (梅野保育園)、だんじり紙相撲 (かみすもう)、広瀬中学校吹奏楽部、佐土原・那珂・広瀬音頭、みやざき犬・ミッシちゃん、いろは口説 (くど)き総踊り、せんぐまき。
うずら車 絵付け体験、佐土原人形 絵付け体験
と書いてあります。



写真DN: 花輪があります。 「佐土原かあちゃん食堂さん江」と書いてあります。



写真DO: 左に式典の折りたたみ椅子 (いす)があります。



写真DP: 「祝 宮崎市城の駅 (愛称: 佐土原いろは館) 開館記念式典」と書いてあります。 赤いテープカットのためのテープも見えます。



写真DQ: 佐土原いろは館の外側で花を販売しています。



写真DR: 佐土原地区交流センターです。



写真DS: 宮崎市 城の駅です。 紅白の幕 (まく)があります。



写真DT: 式典の会場は駐車場です。



写真DU: 奥に式典の舞台 (ぶたい)もあります。



写真DV: 奥の山に民家などがあります。



写真DW: 駐車場です。



写真DX: 左は佐土原地区交流センターです。



写真DY: 佐土原地区交流センターの入り口です。 「佐土原町伝統的工芸保存会」と書いてあります。
「宮崎市 佐土原地区交流センター」は宮崎県 宮崎市 佐土原町 上田島 1389 にあります。
宮崎市立公民館 佐土原地区交流センターは2013年11月18日にオープンしました。 地域の生涯学習、町作り活動の拠点になっています。 多目的ホール (定員 200人)、和室 (40人)、学習室 (洋室、60人)、料理実習室 (30人)、高齢者ふれあい室、遊戯室、図書室などがあります。



写真DZ: 「宮崎市 城の駅 開館記念 うずら車 絵付け体験、久峰ウズラ車 無料絵付コーナー」と書いてあります。



写真EA: 佐土原人形の絵のある照明があります。



写真EB: 駐輪場の近くに佐土原人形の絵のある照明があります。



写真EC: 宮崎市 佐土原町の巨田神社 (こたじんじゃ)の巨田神楽 (こたかぐら)が公演される場所です。 太鼓 (たいこ)、7本の竹なども見えます。



写真ED: 左は佐土原地区交流センターです。 右は広場になっています。 ベンチがあります。



写真EE: 佐土原地区交流センターと左に城の駅 佐土原いろは館が見えます。
「宮崎市 佐土原地区交流センター」は宮崎県 宮崎市 佐土原町 上田島 1389 にあります。
宮崎市立公民館 佐土原地区交流センターは2013年11月18日にオープンしました。 地域の生涯学習、町作り活動の拠点になっています。 多目的ホール (定員 200人)、和室 (40人)、学習室 (洋室、60人)、料理実習室 (30人)、高齢者ふれあい室、遊戯室、図書室などがあります。



写真EF: 中央に城の駅 佐土原いろは館が見えます。



写真EG: 奥に佐土原城跡がある山が見えます。



写真EH: 農業用ビニールハウスも見えます。



写真EI: かなり大きな建物があります。



写真EJ: 隣 (とな)りの広場です。



写真EK: 左は佐土原地区交流センター。



写真EL: 城の駅と佐土原地区交流センター、手前に巨田神楽の用意をしてあります。



写真EM: 芝生 (しばふ)に巨田神楽の準備をしてあります。



写真EN: 式典に用いられる舞台 (ぶたい)とテントです。



写真EO: 「ドンと 佐土原まちおこし隊」と書いてある幟 (のぼり)があります。



写真EP: 舞台を見るための椅子 (いす)です。



写真EQ: 駐車場に椅子 (いす)が多くあります。



写真ER: かなり広い駐車場です。



写真ES: 「ドンと 佐土原まちおこし隊」と書いてある幟 (のぼり)、花輪も見えます。



写真ET: 城の駅 佐土原いろは館の目印 (めじるし、シンボル)です。



写真EU: シンボルの下部です。



写真EV: 缶 (かん)の「おしるこ」を食べました。



写真EW: 飲料水の自動販売機です。 後ろは「いろは館」。



写真EX: 芝生 (しばふ)に滑り台 (すべりだい)があります。



写真EY: 「館内のご案内 佐土原地区交流センター」です。
配置図が載 (の)っています。



写真EZ: 久峰ウズラ車 無料絵付コーナーです。 佐土原地区交流センター。



写真FA: 佐土原地区交流センターのいろいろなクラブなどの作品コーナーです。
「宮崎市 佐土原地区交流センター」は宮崎県 宮崎市 佐土原町 上田島 1389 にあります。
宮崎市立公民館 佐土原地区交流センターは2013年11月18日にオープンしました。 地域の生涯学習、町作り活動の拠点になっています。 多目的ホール (定員 200人)、和室 (40人)、学習室 (洋室、60人)、料理実習室 (30人)、高齢者ふれあい室、遊戯室、図書室などがあります。



写真FB: うずら車です。 下の右はブン車 (神代ごま)、下の左は佐土原人形です。
「久峰うずら車」の佐土原町伝統工芸品保存会のパンフレットから、
うずら車は宮崎県指定伝統的工芸品です。 東北地方を代表する民芸品に「こけし」があり、これに対して九州地方だけに、うずら車のように「車」の付いた木製民芸品があります。 前者は静的であり、後者が動的であるのは気候風土の影響と考えられます。 これら九州地方の車玩具 (がんぐ)の発生についてはいろいろな説がありますが、久峰うずら車は、昔し百済 (くだら)から来た100歳の僧が、長生きの記念として奉納したのが始まりと言われています。 1400年前、新羅国 (しらぎこく)の高僧、日羅上人が開基したと伝えられる、佐土原町の久峰観音は、安産、無病、長寿の御利益があるといわれ、その縁起物としてまた子供のお土産 (みやげ)として、門前で売られていたものです。 この玩具は、前世紀初め頃には外国にも輸出され、玩具界の西の関取として注文に応じきれない程 (ほど)の名声を博した記録もあります。 制作にはタラの木を用い手斧 (ておの)で削 (けず)っただけで生地を生かし、絵柄も優しく女性的で、単純で素朴さがかえって親しみやすさを醸 (かも)し出しています。 久峰うずら車は雌雄一対が特徴になっています。

 「久峰うずら車」の説明書から、
久峰うずら車は、安産、開運、長寿等、久峰観音 (585年建立)の縁起物 (えんぎもの)として伝わっています。
 うずら車の発祥については、500年~800年の歴史を持つとも言われ、落人達が伝えた、木地師や木挽 (こびき)達が伝えた、帰化人が伝えた、久峰観音の開基に伴う百済の僧が伝えた等々、種々の説がありますが、最近では、郷土史研究家によると、熊本県湯前から西米良を経 (へ)て一ツ瀬川添 (ぞ)いに伝わり、久峰地区に住んでいた、木挽衆によって山から里への土産として持ち帰っていたものを名前もキジからウヅラに変化させて、伝説を生みながら久峰観音の縁日 (えんにち)に合わせてお守りとして売り出した、という説が一番史実に近いものと言われるようになりました。
 製作にはイヌダラ (カラスザンショウ)の木を使い、初期のころには手斧 (ておの)で削 (けず)っただけの素朴なもので、絵付けの材料も、自然の植物の花や実の汁 (しる)等を使っていました。 久峰うずら車は雄と雌 (めす)で一対 (いっつい)となっており、日向夫婦うずら車として6月と12月の縁日には、安産祈願のお守りとしてもてはやされていました。
 先の戦争を境に、現代玩具 (がんぐ)の氾濫 (はんらん)に追われるように衰退の一途 (いっと)をたどる中で、宮崎県認定工芸士 兵頭正一 氏が唯一の継承者として製法を受け継いでいます。



写真FC: ブン車 (神代ごま)と佐土原人形です。
佐土原町の名物 「ぶんぐるま」。
佐土原町の「ぶんぐるま」は竹製の うなりごま(唸り独楽) です。 竹製の黒い胴と上下の赤く塗られた蓋(ふた)、回すための竹の棒で出来ています。 江戸時代からの伝統竹細工です。 江戸時代の参勤交代の時に、お土産に渡すと、喜ばれたそうです。 胴の部分には四角の穴が開いていて、回すとぶーんぶんと唸(うな)ります。 これが名前の由来です。 胴の黒い部分は、丸の十の字(島津家の家紋)の模様の和紙を水で貼り付けて、松の枝でいぶし焼きします。 竹の皮の油と松ヤニが混ざって、黒く仕上がります。 「神代ごま」とも呼ばれますが、これは近年、地方に売り出すための商品名です。



写真FD: 佐土原人形です。 右上の人形の絵が城の駅の入り口にあります。
「佐土原人形」は宮崎県 宮崎市 佐土原町で江戸時代から作られている名物、伝統工芸品です。 400年以上の歴史を持つ佐土原町の伝統工芸です。 佐土原町 上田島にある「ますや」は約160年前に創業した老舗です。 ひな人形、節句人形など各種の佐土原人形を作っています。 昔からの手法は「手押し型」と呼(よ)ばれます。 粘土を棒で伸ばし型に押し付けて形を作ります。 水性絵の具を重ねて図柄、色を付けます。



写真FE: 佐土原歌舞伎 (かぶき)、馬に乗った軍人さんの佐土原人形です。



写真FF: 「自主グループの作品 和紙人形クラブ」と書いてあります。
紙製の手作りの人形です。



写真FG: 和紙人形の作品です。



写真FH: 佐土原交流センターで行われている和紙人形製作の作品です。



写真FI: 「和紙人形講座 講師 太田恵津子 作」と書いてあります。



写真FJ: 太田恵津子さんの作品です。 シャンシャン馬の和紙人形です。



写真FK: 織物 (おりもの)の作品です。



写真FL: 佐土原地区交流センターの作品展示コーナーです。



写真FM: 「後ろに展示してあります「よろい・かぶと」を作成します。 楽しいですよ!! 一緒 (いっしょ)に作成しませんか?」と書いてあります。



写真FN: 鎧 (よろい)・兜 (かぶと)の作品です。



写真FO: 出入口があります。



写真FP: ソファがあります。 奥は事務室です。



写真FQ: 子供さんたちの部屋 (遊戯室)です。



写真FR: 「和紙人形作り」のポスターです。 佐土原地区交流センター。



写真FS: 「佐土原太極拳 (たいきょくけん)クラブ」のポスターです。



写真FT: 「佐土原地区郷土史同好会」のポスターです。



写真FU: ソファ、テーブル、椅子 (いす)があります。 佐土原地区交流センター。



写真FV: 掲示板 (けいじばん)です。



写真FW: 外を見たものです。 宝塔山も見えます。



写真FX: 外の様子 (ようす)です。



写真FY: 和室もあります。



写真FZ: 料理実習室、学習室もあります。



写真GA: ご老人たちのふれあい室 (高齢者ふれあい室)です。



写真GB: 図書室です。 佐土原地区交流センター。



写真GC: 図書室のテーブル、椅子 (いす)などです。



写真GD: 図書室です。



写真GE: 出入り口から外を見たものです。 奥に佐土原小学校が見えます。



写真GF: 右は佐土原地区交流センターです。



写真GG: 中央に弁天山 (べんてんやま、標高 約50 m )が見えます。



写真GH: 左は佐土原地区交流センター。



写真GI: 「多目的ホール」です。 佐土原地区交流センター。



写真GJ: 佐土原地区交流センターの多目的ホール (体育館)です。 広瀬中学校の吹奏楽部が今日の式典の準備をしています。



写真GK: 多目的ホール (体育館)です。
「宮崎市 佐土原地区交流センター」は宮崎県 宮崎市 佐土原町 上田島 1389 にあります。
宮崎市立公民館 佐土原地区交流センターは2013年11月18日にオープンしました。 地域の生涯学習、町作り活動の拠点になっています。 多目的ホール (定員 200人)、和室 (40人)、学習室 (洋室、60人)、料理実習室 (30人)、高齢者ふれあい室、遊戯室、図書室などがあります。



写真GL: 外に出てきました。



写真GM: かなり人が増えてきました。



写真GN: 式典開始が近づいてきました。



写真GO: 式典の武者行列です。 「丸に十の字の島津の家紋 (かもん)、佐土原」と書いてある幟 (のぼり)も見えます。



写真GP: 子供武者行列の人たちです。 大人の武者も見えます。



写真GQ: 式典の子供武者たちです。



写真GR: これから子供武者行列の出発です。



写真GS: 城の駅 佐土原いろは館のオープン式典の子供武者行列です。



写真GT: 市長さんが開館記念式典の挨拶 (あいさつ)をされています。



写真GU: 太鼓 (たいこ)も見えます。



写真GV: 奥の山が佐土原城跡です。



写真GW: 多くの人達が城の駅 佐土原いろは館 開館記念式典に集まりました。 良い天気に恵 (めぐ)まれました。



写真GX: 駐車場が式典会場になっています。



写真GY: 子供さんたちも来ていました。



写真GZ: 家族連 (づ)れも多く来ています。



写真HA: 丸に十の字の島津の家紋 (かもん)の旗を持った子供さんが見えます。 駐輪場に自転車が多くあります。



写真HB: スピーカーもあります。



写真HC: 係の人たちと思われます。



写真HD: アナウンサー役の女性も見えます。



写真HE: 「佐土原いろは館」の名前 (愛称)を考えて応募した2人の女性が市長さんから表彰されています。



写真HF: いろいろなグループ(ドンと 佐土原まちおこし隊)の人達がマイクロフォンの前で話しています。 後ろにテープカット用の赤いテープが見えます。



写真HG: 子供武者行列が帰ってきました。



写真HH: 武者行列の人達が並 (なら)んでいます。 後ろはいろは館です。



写真HI: 整列した武者行列の人達です。 これからテープカットが行われます。



写真HJ: 左に宮崎市のイメージ キャラクターの「ミッシちゃん」、太鼓 (たいこ)、赤いテープ、武者行列などが見えます。
宮崎市のイメージ キャラクターは「ミッシ」です。 かわいい女の子の姿をしています。 佐土原城に来ていました。
「ミッシちゃん」は宮崎市の自然・神話・食から3つの「シ」をとって名付けられました。



写真HK: テープカットの人達です。



写真HL: もうすぐテープカットが行われます。



写真HM: 武者行列の人達です。



写真HN: 丸に十の字の島津の家紋 (かもん)の幟 (のぼり)を手に持っています。



写真HO: 宮崎市のイメージ キャラクターの「ミッシちゃん」、法螺貝 (ほらがい)を手に持った人、太鼓 (たいこ)の枹 (ばち)も見えます。
宮崎市のイメージ キャラクターは「ミッシ」です。 かわいい女の子の姿をしています。 佐土原城に来ていました。
「ミッシちゃん」は宮崎市の自然・神話・食から3つの「シ」をとって名付けられました。



写真HP: 高らかに法螺貝 (ほらがい)を吹き鳴らします。



写真HQ: 武者行列の人達が並 (なら)んでいます。



写真HR: 太鼓 (たいこ)の音とともにテープカットが行われました。



写真HS: カメラを構 (かま)えている人たちもいます。



写真HT: 芝生 (しばふ)で巨田神楽 (こたかぐら)が始まります。



写真HU: 子供さんも神楽 (かぐら)の衣装を着ています。



写真HV: 巨田神楽 (こたかぐら)が舞 (ま)われています。



写真HW: 日の丸の扇子 (せんす)を踊っている人たちが持っています。



写真HX: 宮崎市 城の駅 佐土原いろは館の開館記念式典での巨田神楽 (こたかぐら)です。



写真HY: 「佐土原いろは館」という愛称を考えた2人の女性が表彰状と副賞を持っていらっしゃいます。



写真HZ: 佐土原いろは館がいよいよ開店しました。



写真IA: 開店したばかりの「城の駅 佐土原いろは館」の中です。 佐土原名物のクジラのぼりを飾ってあります。



写真IB: 天井 (てんじょう)に蛍光灯があります。



写真IC: いろは館の入り口です。 中から見たものです。



写真ID: 多くの客が城の駅 佐土原いろは館に入っています。 オープンしたばかりの店内です。



写真IE: 赤色のクジラのぼりもあります。



写真IF: 花も販売しています。



写真IG: 城の駅 いろは館のレジの所です。



写真IH: 佐土原にある「とんぼ窯 (かま)」の陶器を販売しています。



写真II: 赤色と黄色のミニトマトも売っています。



写真IJ: 棚 (たな)にいろいろなものを置いてあります。



写真IK: 太鼓 (たいこ)、枹 (ばち)、クルミ、鹿の角 (つの)の傘 (かさ)を持つ所、置物、椅子 (いす)などが見えます。



写真IL: ミカンも見えます。



写真IM: 黒と赤のクジラのぼりがあります。



写真IN: 「火鉢工房 (ひばちこうぼう)」の銅板と木の火鉢 (ひばち)です。



写真IO: いろは館の中に多くの客たちが来ています。



写真IP: 乳製品です。



写真IQ: 冷蔵庫の中の商品です。



写真IR: 冷蔵棚 (たな)にも多くの商品が並 (なら)んでいます。



写真IS: 棚 (たな)にいろいろなものがあります



写真IT: 店内の多くの客たちです。



写真IU: 棚 (たな)の中の商品です。



写真IV: 洋服も販売しています。



写真IW: 鎧 (よろい)と兜 (かぶと)があります。



写真IX: 花も売っています。 奥の壁 (かべ)にクジラのぼりが見えます。



写真IY: 蜂蜜 (はちみつ)と思われるビンも見えます。



写真IZ: 店内で「佐土原城下町の散歩マップ」を配布していました。



写真JA: 天井 (てんじょう)の様子 (ようす)です。 蛍光灯があります。



写真JB: 店内にある「かあちゃん食堂」です。 テーブル、椅子 (いす)があります。



写真JC: 「佐土原ダンジリ組」と書いてあります。



写真JD: 壁 (かべ)にもクジラのぼりがあります。



写真JE: 青と赤のダンジリの模型 (もけい)です。



写真JF: 左にいろいろな佐土原人形、右上にウズラ車、右下に今は置いてありませんが、神代ゴマが置かれます。
「佐土原人形」は宮崎県 宮崎市 佐土原町で江戸時代から作られている名物、伝統工芸品です。 400年以上の歴史を持つ佐土原町の伝統工芸です。 佐土原町 上田島にある「ますや」は約160年前に創業した老舗です。 ひな人形、節句人形など各種の佐土原人形を作っています。 昔からの手法は「手押し型」と呼(よ)ばれます。 粘土を棒で伸ばし型に押し付けて形を作ります。 水性絵の具を重ねて図柄、色を付けます。



写真JG: ウズラ車、今は置いてありませんが神代ゴマ (ブンごま)を置く場所です。
「久峰うずら車」の佐土原町伝統工芸品保存会のパンフレットから、
うずら車は宮崎県指定伝統的工芸品です。 東北地方を代表する民芸品に「こけし」があり、これに対して九州地方だけに、うずら車のように「車」の付いた木製民芸品があります。 前者は静的であり、後者が動的であるのは気候風土の影響と考えられます。 これら九州地方の車玩具 (がんぐ)の発生についてはいろいろな説がありますが、久峰うずら車は、昔し百済 (くだら)から来た100歳の僧が、長生きの記念として奉納したのが始まりと言われています。 1400年前、新羅国 (しらぎこく)の高僧、日羅上人が開基したと伝えられる、佐土原町の久峰観音は、安産、無病、長寿の御利益があるといわれ、その縁起物としてまた子供のお土産 (みやげ)として、門前で売られていたものです。 この玩具は、前世紀初め頃には外国にも輸出され、玩具界の西の関取として注文に応じきれない程 (ほど)の名声を博した記録もあります。 制作にはタラの木を用い手斧 (ておの)で削 (けず)っただけで生地を生かし、絵柄も優しく女性的で、単純で素朴さがかえって親しみやすさを醸 (かも)し出しています。 久峰うずら車は雌雄一対が特徴になっています。

 「久峰うずら車」の説明書から、
久峰うずら車は、安産、開運、長寿等、久峰観音 (585年建立)の縁起物 (えんぎもの)として伝わっています。
 うずら車の発祥については、500年~800年の歴史を持つとも言われ、落人達が伝えた、木地師や木挽 (こびき)達が伝えた、帰化人が伝えた、久峰観音の開基に伴う百済の僧が伝えた等々、種々の説がありますが、最近では、郷土史研究家によると、熊本県湯前から西米良を経 (へ)て一ツ瀬川添 (ぞ)いに伝わり、久峰地区に住んでいた、木挽衆によって山から里への土産として持ち帰っていたものを名前もキジからウヅラに変化させて、伝説を生みながら久峰観音の縁日 (えんにち)に合わせてお守りとして売り出した、という説が一番史実に近いものと言われるようになりました。
 製作にはイヌダラ (カラスザンショウ)の木を使い、初期のころには手斧 (ておの)で削 (けず)っただけの素朴なもので、絵付けの材料も、自然の植物の花や実の汁 (しる)等を使っていました。 久峰うずら車は雄と雌 (めす)で一対 (いっつい)となっており、日向夫婦うずら車として6月と12月の縁日には、安産祈願のお守りとしてもてはやされていました。
 先の戦争を境に、現代玩具 (がんぐ)の氾濫 (はんらん)に追われるように衰退の一途 (いっと)をたどる中で、宮崎県認定工芸士 兵頭正一 氏が唯一の継承者として製法を受け継いでいます。

佐土原町の名物 「ぶんぐるま」。
佐土原町の「ぶんぐるま」は竹製の うなりごま(唸り独楽) です。 竹製の黒い胴と上下の赤く塗られた蓋(ふた)、回すための竹の棒で出来ています。 江戸時代からの伝統竹細工です。 江戸時代の参勤交代の時に、お土産に渡すと、喜ばれたそうです。 胴の部分には四角の穴が開いていて、回すとぶーんぶんと唸(うな)ります。 これが名前の由来です。 胴の黒い部分は、丸の十の字(島津家の家紋)の模様の和紙を水で貼り付けて、松の枝でいぶし焼きします。 竹の皮の油と松ヤニが混ざって、黒く仕上がります。 「神代ごま」とも呼ばれますが、これは近年、地方に売り出すための商品名です。



写真JH: 「赤団 必勝」と書いてあります。 ダンジリです。



写真JI: ダンジリの写真もあります。



写真JJ: ダンジリの太鼓 (たいこ)を叩 (たた)く枹 (ばち)、提灯 (ちょうちん)、ダンジリ組み立てキット、写真などがあります。



写真JK: 上にダンジリの絵、「祭」と書いた青い大きなウチワ、提灯 (ちょうちん)、青のダンジリを担 (かつ)ぐときの青い衣服も展示してあります。



写真JL: 佐土原のダンジリ喧嘩 (けんか)の絵です。



写真JM: ダンジリの青団の写真、「愛宕神社 (あたごじんじゃ)奉賛 佐土原夏祭り」のポスター、工具を展示してあります。



写真JN: 佐土原の名物であるダンジリ喧嘩 (けんか)について展示してあります。



写真JO: ダンジリ喧嘩 (けんか)のカレンダー付きのポスターです。



写真JP: 「赤だんじり」と書いてあるウチワ、写真などがあります。



写真JQ: 下にダンジリの模型 (もけい)もあります。



写真JR: 「佐土原」と書いてあります。 纏 (まとい)です。



写真JS: いろは館にある「佐土原かあちゃん食堂」です。



写真JT: いろは館の店内です。



写真JU: いろは館のオープン日の店内。



写真JV: 店の上部です。



写真JW: 佐土原かあちゃん食堂のテーブル、椅子 (いす)です。



写真JX: 食券機です。 佐土原かあちゃん食堂です。



写真JY: 「佐土原城跡 第六次発掘調査」の写真と説明があります。 かあちゃん食堂の上の壁です。 「佐土原かあちゃん食堂」と書いてあります。



写真JZ: 佐土原かあちゃん食堂です。



写真KA: かあちゃん食堂の調理場です。



写真KB: かあちゃん食堂です。



写真KC: 手拭 (ふ)き、調味料などがあります。



写真KD: 「祝開店」のコチョウランの花です。



写真KE: かあちゃん食堂です。



写真KF: いろは館の中です。 手前はかあちゃん食堂。



写真KG: かあちゃん食堂です。



写真KH: 「佐土原かあちゃん食堂」と書いてあります。



写真KI: 「佐土原生姜 (しょうが)めん」の説明があります。 佐土原かあちゃん食堂。
佐土原はショウガの主力産地です。 町の特産品をめざして生まれたのが、「佐土原ショウガめん」です。 うどん生地をベースに全体の2割にすりおろしのショウガを練り込 (こ)み仕上げました。



写真KJ: 乳製品のポスターです。



写真KK: 佐土原かあちゃん食堂の「いろは定食」です。



写真KL: いろは定食 (¥600)です。 鳥の唐揚 (からあ)げ、呉汁 (ごじる)などです。



写真KM: 食器などの返却口です。



写真KN: お菓子 (かし)なども販売しています。



写真KO: 佐土原名物の鯨ようかん (くじらようかん)です。
「鯨羊羹 (くじらようかん)」は佐土原の伝統的な銘菓です。
鯨ようかんは米の粉を練 (ね)って、餡 (あん)をはさみ蒸 (む)したものです。 日持ちはあまりしません。 鯨ようかんの由来 (ゆらい)は、佐土原藩 4代藩主の島津忠高が26歳で亡くなりました。 その子の万吉丸はまだ1歳だったため、世継 (よつ)ぎ争いが起こりました (松木事件)。 その中で、万吉丸の母である松寿院が「息子 (むすこ)と藩が、鯨 (くじら)のように力強くたくましく育ってほしい。」と願って鯨に似たような羊羹 (ようかん)を作らせました。 その後、万吉丸は5代藩主 (6代とも言う。)島津惟久となり、名君と言われました。



写真KP: 細長いクジラようかんも販売しています。



写真KQ: 金柑 (きんかん)の「宮崎たまたま」を販売しています。



写真KR: 人参 (にんじん)などの野菜も売っています。



写真KS: 「宮崎県佐土原産 鰻 (うなぎ) 備長炭焼」です。



写真KT: 冷蔵庫の中の商品です。



写真KU: オープンの日の店内です。



写真KV: 左奥にレジがあります。 手前もレジへの行列です。



写真KW: 手籠 (てかご)にいろいろな買い物が入っています。



写真KX: 「鶴松館 (かくしょうかん)」のポスターです。 写真が載 (の)っています。



写真KY: オープン式典の舞台 (ぶたい)で太鼓 (たいこ)の演技が行われています。



写真KZ: 「佐土原 久峰太鼓 (ひさみねたいこ)」の演技です。 太鼓が多くあります。



写真LA: 女性の太鼓 (たいこ)を打つ人もいらっしゃいます。



写真LB: アルコールの試飲を行っていました。



写真LC: 車道の奥は鶴松館です。



写真LD: 鶴松館の塀 (へい)が見えます。 手前は駐車場です。



写真LE: 奥に佐土原地区交流センターの多目的ホール (体育館)とその右に佐土原いろは館が見えます。



写真LF: 佐土原いろは館がオープンしてから1週間後です。



写真LG: かあちゃん食堂です。



写真LH: 佐土原いろは館の中です。



写真LI: 佐土原産のショウガも販売しています。



写真LJ: 佐土原せいべいです。



写真LK: バードカービングです。 野鳥とそっくりに作られた手彫 (てぼり)の模型 (もけい)です。



写真LL: 「みやざき犬」の絵を書いてあります。



写真LM: 埴輪 (はにわ)も販売しています。



写真LN: 蜂蜜 (はちみつ)です。



写真LO: 日向夏のドレッシングです。



写真LP: 「佐土原 生姜 (しょうが)倶楽部 (くらぶ)」と書いてあります。



写真LQ: 左は古月禅師 (ごげんぜんし)誕生地です。 宮崎市 佐土原町 佐賀利にあります。 右は古月禅師が7歳の時に書いた書です。



写真LR: 「古月禅師 7歳時の書」の説明です。



写真LS: 佐土原いろは館に大型テレビ、テーブル、椅子 (いす)もあります。



写真LT: 佐土原ダンジリ組の展示です。



写真LU: かあちゃん食堂です。 いろは定食です。



写真LV: かあちゃん食堂から見た鶴松館です。



写真LW: 「てげヘルランチ、いろはランチ、佐土原SAPバーガー、手作りおにぎり、生姜 (しょうが)うどん (¥350)、かけうどん、天かすトッピング」などのメニューを書いてあります。



写真LX: 「てげヘルランチ、いろはランチ、佐土原SAPバーガー、手作りおにぎり、生姜 (しょうが)うどん (¥350)、かけうどん、天かすトッピング」などのメニュー。



写真LY: 「てげヘルランチ、いろはランチ、佐土原SAPバーガー、手作りおにぎり、生姜 (しょうが)うどん (¥350)、かけうどん、天かすトッピング」などのメニューを書いてあります。



写真LZ: 生姜 (しょうが)うどん (¥350)です。
「佐土原生姜 (しょうが)めん」の説明書きから、
佐土原はショウガの主力産地です。 町の特産品をめざして生まれたのが、「佐土原ショウガめん」です。 うどん生地をベースに全体の2割にすりおろしのショウガを練り込 (こ)み仕上げました。



写真MA: 生姜 (しょうが)うどん (¥350)。 麺 (めん)は真っ白ではなく少し色が付いています。 ショウガを20 %練 (ね)りこんであるあるからでしょう。



写真MB: 「佐土原の生姜 (しょうが)」の説明です。
 宮崎県一の生産量を誇 (ほこ)る佐土原のショウガ。 その生産量は年間約808 トンにも及 (およ)びます。
と書いてあります。



写真MC: かあちゃん食堂のソフトクリームです。



写真MD: 「麺 (めん) 生姜 (しょうが)うどん、佐土原生姜倶楽部」をパックにして販売しています (¥370)。 佐土原いろは館。
「佐土原生姜 (しょうが)めん」の説明書きから、
佐土原はショウガの主力産地です。 町の特産品をめざして生まれたのが、「佐土原ショウガめん」です。 うどん生地をベースに全体の2割にすりおろしのショウガを練り込 (こ)み仕上げました。



写真ME: 民放のMRTテレビカメラが撮影していました。 佐土原いろは館。



写真MF: 背中に「佐土原いろは館」と書いてあります。



写真MG: 江戸時代の、全国的に有名な佐土原町 佐賀利出身で佐土原町 上田島の松巌寺で仏の道に入った僧の古月禅師 (こげつぜんし)が作った「いろは口説 (くどき)」が壁にあります。 これがここの佐土原いろは館の由来です。



写真MH: 佐土原町 佐賀利出身で佐土原町 上田島の松巌寺で仏の道に入った僧の古月禅師 (こげつぜんし)が作った「いろは口説 (くどき)」。



写真MI: 佐土原町 佐賀利出身で佐土原町 上田島の松巌寺で仏の道に入った僧の古月禅師 (こげつぜんし)が作った「いろは口説 (くどき)」が壁にあります。



写真MJ: 佐土原町 佐賀利出身で佐土原町 上田島の松巌寺で仏の道に入った僧の古月禅師 (こげつぜんし)が作った「いろは口説 (くどき)」



写真MK: 佐土原町 佐賀利出身で佐土原町 上田島の松巌寺で仏の道に入った僧の古月禅師 (こげつぜんし)が作った「いろは口説 (くどき)」が壁にあります。



写真ML: 佐土原いろは館がオープンしてから15日後の店内です。 左の観葉植物などが増えています。



写真MM: 佐土原いろは館の店内です。



写真MN: 佐土原かあちゃん食堂です。



写真MO: 「てげヘルランチ (¥600)」です。 豆腐 (とうふ)ハンバーグもあります。



写真MP: 佐土原かあちゃん食堂のてげヘルランチです。 ヘルシーなメニューです。



写真MQ: 佐土原町の石川工業の酢 (す)の商品が並 (なら)んでいます。



写真MR: お菓子のよしだ家の佐土原銘菓 「城下まんじゅう」です。



写真MS: 子供さんの鎧 (よろい)兜 (かぶと)の数が増えました。



写真MT: 花や野菜の種、造花も販売しています。



写真MU: 生花も販売しています。



写真MV: 商家資料館 旧阪本家での「ひな人形展」のポスターです。



写真MW: 「佐土原城跡 第六次発掘調査」の説明ポスターがあります。
「宮崎市 城の駅 いろは館」のあるこの場所では、その建設に伴 (ともな)い発掘調査が行われました。
この場所は三ノ丸の一部にあたります。 たくさんある丸い跡は、江戸時代の武家屋敷の柱の穴の痕跡 (こんせき)です。 発掘調査では、江戸時代の屋敷跡が発見され、溝 (みぞ)状遺構 (渋谷家と郡司家との境界線)・井戸・池・ゴミ穴・厠 (かわや、トイレのことです。)跡などが確認されています。 陶器 (とうき)なども出土しました。



写真MX: 「佐土原城跡 第六次発掘調査」の説明ポスター。
「宮崎市 城の駅 いろは館」のあるこの場所では、その建設に伴 (ともな)い発掘調査が行われました。
この場所は三ノ丸の一部にあたります。 たくさんある丸い跡は、江戸時代の武家屋敷の柱の穴の痕跡 (こんせき)です。 発掘調査では、江戸時代の屋敷跡が発見され、溝 (みぞ)状遺構 (渋谷家と郡司家との境界線)・井戸・池・ゴミ穴・厠 (かわや、トイレのことです。)跡などが確認されています。 陶器 (とうき)なども出土しました。



写真MY: 「佐土原城跡 第六次発掘調査」の説明ポスターがあります。
「宮崎市 城の駅 いろは館」のあるこの場所では、その建設に伴 (ともな)い発掘調査が行われました。
この場所は三ノ丸の一部にあたります。 たくさんある丸い跡は、江戸時代の武家屋敷の柱の穴の痕跡 (こんせき)です。 発掘調査では、江戸時代の屋敷跡が発見され、溝 (みぞ)状遺構 (渋谷家と郡司家との境界線)・井戸・池・ゴミ穴・厠 (かわや、トイレのことです。)跡などが確認されています。 陶器 (とうき)なども出土しました。



写真MZ: 木工品を販売しています。 左はそば打ちの時に使うものです。



写真NA: 「イーゼル (絵を描くときカンバスや画板を立てかける台のことです。)も販売しています。



写真NB: 引き出しが多くあるものなどの木工製品も販売しています。



写真NC: ブドー液を販売しています。
「ブドー液の飲み方、そのままでもおいしく飲めます。 濃いと思われる方は氷を入れると薄まっておいしいです。 炭酸水で割るのも良いですよ! 焼酎 (しょうちゅう)で割って酎ハイにするのも実はおいしい! かき氷のシロップとしてかけるのもお勧めです。」
と書いてあります。



写真ND: 「佐土原歴史年表」が壁 (かべ)にあります。 左にコチョウランの白い花があります。



写真NE: 「佐土原歴史年表、時代 年号 佐土原のできごと」から、
平安時代 1093年 田島荘開発 宇佐八幡宮神領、巨田八幡宮創建、鎌倉時代 1190年 工藤祐経が日向の地頭となる。 1250年 伊東祐明が田島へ下向、1335年 伊東祐持 都於郡 (とのこおり)へ下向、1335年 伊東祐聡が大光寺建立 (こんりゅう)、室町時代 1411年 田島伊東氏滅 (ほろ)び伊東祐賀が佐土原城に入る。 1448年 伊東祐賀が巨田八幡宮修造、1480年 伊藤祐国が佐土原を知行 (ちぎょう、治 (おさ)めることです。)する。 1536年 伊東祐清 (義祐)が佐土原城に入る、伊東氏全盛、1572年 木崎原合戦、伊東軍大敗する。 安土桃山時代 1577年 伊東義祐が米良越えして豊後 (ぶんご、大分県)へ。 1578年 島津軍が高城 (木城町)で大友軍を破る。 1579年 島津家久が佐土原城主となる。 1582年 伊藤満所ら少年使節としてローマへ、1600年 島津豊久が戦死 (関ヶ原の戦い)、江戸時代 1603年 島津以久 (ゆきひさ)が3万石を徳川家康から受ける。 1625年 佐土原城を山下 (二の丸)に移す。 1666年 日講上人が佐土原へ流刑 (るけい)。 1699年 佐土原藩主が城主列となる。 1704年 古月禅師が大光寺住職となる。 1751年 古月禅師が久留米福聚寺にて寂す (死亡)。 1769年 佐土原大火456戸焼失、1818年 野田泉光院が「日本九峰修業日記」を書く。 1825年 佐土原学習館設立。 近代 1868年 島津忠寛が明治天皇より「錦旗と御剣」を給 (たま)う。 1869年 広瀬へ城を移す。 1871年 佐土原藩を廃し、佐土原県となる。 1873年 宮崎県になる。 1876年 島津啓次郎が外字文黌(きょうぶんこう)設立。 1877年 西南の役 (えき)で薩軍が西郷札を製造。 1889年 町村制を施行する (広瀬、佐土原、那珂村発足)。 現代 1955年 佐土原町と那珂村が合併 (がっぺい)して佐土原町となる。 1958年 佐土原町と広瀬村が合併して佐土原町となる。 1965年 広瀬駅を佐土原駅に、佐土原駅を西佐土原駅にする。 1993年 佐土原城跡二の丸跡に鶴松館を造る。 2006年 宮崎市と佐土原町が合併 (がっぺい)して宮崎市となる。



写真NF: 「佐土原歴史年表、時代 年号 佐土原のできごと」から、
平安時代 1093年 田島荘開発 宇佐八幡宮神領、巨田八幡宮創建、鎌倉時代 1190年 工藤祐経が日向の地頭となる。 1250年 伊東祐明が田島へ下向、1335年 伊東祐持 都於郡 (とのこおり)へ下向、1335年 伊東祐聡が大光寺建立 (こんりゅう)、室町時代 1411年 田島伊東氏滅 (ほろ)び伊東祐賀が佐土原城に入る。 1448年 伊東祐賀が巨田八幡宮修造、1480年 伊藤祐国が佐土原を知行 (ちぎょう、治 (おさ)めることです。)する。 1536年 伊東祐清 (義祐)が佐土原城に入る、伊東氏全盛、1572年 木崎原合戦、伊東軍大敗する。 安土桃山時代 1577年 伊東義祐が米良越えして豊後 (ぶんご、大分県)へ。 1578年 島津軍が高城 (木城町)で大友軍を破る。 1579年 島津家久が佐土原城主となる。 1582年 伊藤満所ら少年使節としてローマへ、1600年 島津豊久が戦死 (関ヶ原の戦い)、江戸時代 1603年 島津以久 (ゆきひさ)が3万石を徳川家康から受ける。 1625年 佐土原城を山下 (二の丸)に移す。 1666年 日講上人が佐土原へ流刑 (るけい)。 1699年 佐土原藩主が城主列となる。 1704年 古月禅師が大光寺住職となる。 1751年 古月禅師が久留米福聚寺にて寂す (死亡)。 1769年 佐土原大火456戸焼失、1818年 野田泉光院が「日本九峰修業日記」を書く。 1825年 佐土原学習館設立。 近代 1868年 島津忠寛が明治天皇より「錦旗と御剣」を給 (たま)う。 1869年 広瀬へ城を移す。 1871年 佐土原藩を廃し、佐土原県となる。 1873年 宮崎県になる。 1876年 島津啓次郎が外字文黌(きょうぶんこう)設立。 1877年 西南の役 (えき)で薩軍が西郷札を製造。 1889年 町村制を施行する (広瀬、佐土原、那珂村発足)。 現代 1955年 佐土原町と那珂村が合併 (がっぺい)して佐土原町となる。 1958年 佐土原町と広瀬村が合併して佐土原町となる。 1965年 広瀬駅を佐土原駅に、佐土原駅を西佐土原駅にする。 1993年 佐土原城跡二の丸跡に鶴松館を造る。 2006年 宮崎市と佐土原町が合併 (がっぺい)して宮崎市となる。



写真NG: 「佐土原歴史年表、時代 年号 佐土原のできごと」から、
平安時代 1093年 田島荘開発 宇佐八幡宮神領、巨田八幡宮創建、鎌倉時代 1190年 工藤祐経が日向の地頭となる。 1250年 伊東祐明が田島へ下向、1335年 伊東祐持 都於郡 (とのこおり)へ下向、1335年 伊東祐聡が大光寺建立 (こんりゅう)、室町時代 1411年 田島伊東氏滅 (ほろ)び伊東祐賀が佐土原城に入る。 1448年 伊東祐賀が巨田八幡宮修造、1480年 伊藤祐国が佐土原を知行 (ちぎょう、治 (おさ)めることです。)する。 1536年 伊東祐清 (義祐)が佐土原城に入る、伊東氏全盛、1572年 木崎原合戦、伊東軍大敗する。 安土桃山時代 1577年 伊東義祐が米良越えして豊後 (ぶんご、大分県)へ。 1578年 島津軍が高城 (木城町)で大友軍を破る。 1579年 島津家久が佐土原城主となる。 1582年 伊藤満所ら少年使節としてローマへ、1600年 島津豊久が戦死 (関ヶ原の戦い)、江戸時代 1603年 島津以久 (ゆきひさ)が3万石を徳川家康から受ける。 1625年 佐土原城を山下 (二の丸)に移す。 1666年 日講上人が佐土原へ流刑 (るけい)。 1699年 佐土原藩主が城主列となる。 1704年 古月禅師が大光寺住職となる。 1751年 古月禅師が久留米福聚寺にて寂す (死亡)。 1769年 佐土原大火456戸焼失、1818年 野田泉光院が「日本九峰修業日記」を書く。 1825年 佐土原学習館設立。 近代 1868年 島津忠寛が明治天皇より「錦旗と御剣」を給 (たま)う。 1869年 広瀬へ城を移す。 1871年 佐土原藩を廃し、佐土原県となる。 1873年 宮崎県になる。 1876年 島津啓次郎が外字文黌(きょうぶんこう)設立。 1877年 西南の役 (えき)で薩軍が西郷札を製造。 1889年 町村制を施行する (広瀬、佐土原、那珂村発足)。 現代 1955年 佐土原町と那珂村が合併 (がっぺい)して佐土原町となる。 1958年 佐土原町と広瀬村が合併して佐土原町となる。 1965年 広瀬駅を佐土原駅に、佐土原駅を西佐土原駅にする。 1993年 佐土原城跡二の丸跡に鶴松館を造る。 2006年 宮崎市と佐土原町が合併 (がっぺい)して宮崎市となる。



写真NH: 「佐土原歴史年表、時代 年号 佐土原のできごと」から、
平安時代 1093年 田島荘開発 宇佐八幡宮神領、巨田八幡宮創建、鎌倉時代 1190年 工藤祐経が日向の地頭となる。 1250年 伊東祐明が田島へ下向、1335年 伊東祐持 都於郡 (とのこおり)へ下向、1335年 伊東祐聡が大光寺建立 (こんりゅう)、室町時代 1411年 田島伊東氏滅 (ほろ)び伊東祐賀が佐土原城に入る。 1448年 伊東祐賀が巨田八幡宮修造、1480年 伊藤祐国が佐土原を知行 (ちぎょう、治 (おさ)めることです。)する。 1536年 伊東祐清 (義祐)が佐土原城に入る、伊東氏全盛、1572年 木崎原合戦、伊東軍大敗する。 安土桃山時代 1577年 伊東義祐が米良越えして豊後 (ぶんご、大分県)へ。 1578年 島津軍が高城 (木城町)で大友軍を破る。 1579年 島津家久が佐土原城主となる。 1582年 伊藤満所ら少年使節としてローマへ、1600年 島津豊久が戦死 (関ヶ原の戦い)、江戸時代 1603年 島津以久 (ゆきひさ)が3万石を徳川家康から受ける。 1625年 佐土原城を山下 (二の丸)に移す。 1666年 日講上人が佐土原へ流刑 (るけい)。 1699年 佐土原藩主が城主列となる。 1704年 古月禅師が大光寺住職となる。 1751年 古月禅師が久留米福聚寺にて寂す (死亡)。 1769年 佐土原大火456戸焼失、1818年 野田泉光院が「日本九峰修業日記」を書く。 1825年 佐土原学習館設立。 近代 1868年 島津忠寛が明治天皇より「錦旗と御剣」を給 (たま)う。 1869年 広瀬へ城を移す。 1871年 佐土原藩を廃し、佐土原県となる。 1873年 宮崎県になる。 1876年 島津啓次郎が外字文黌(きょうぶんこう)設立。 1877年 西南の役 (えき)で薩軍が西郷札を製造。 1889年 町村制を施行する (広瀬、佐土原、那珂村発足)。 現代 1955年 佐土原町と那珂村が合併 (がっぺい)して佐土原町となる。 1958年 佐土原町と広瀬村が合併して佐土原町となる。 1965年 広瀬駅を佐土原駅に、佐土原駅を西佐土原駅にする。 1993年 佐土原城跡二の丸跡に鶴松館を造る。 2006年 宮崎市と佐土原町が合併 (がっぺい)して宮崎市となる。



写真NI: 「佐土原歴史年表、時代 年号 佐土原のできごと」から、
平安時代 1093年 田島荘開発 宇佐八幡宮神領、巨田八幡宮創建、鎌倉時代 1190年 工藤祐経が日向の地頭となる。 1250年 伊東祐明が田島へ下向、1335年 伊東祐持 都於郡 (とのこおり)へ下向、1335年 伊東祐聡が大光寺建立 (こんりゅう)、室町時代 1411年 田島伊東氏滅 (ほろ)び伊東祐賀が佐土原城に入る。 1448年 伊東祐賀が巨田八幡宮修造、1480年 伊藤祐国が佐土原を知行 (ちぎょう、治 (おさ)めることです。)する。 1536年 伊東祐清 (義祐)が佐土原城に入る、伊東氏全盛、1572年 木崎原合戦、伊東軍大敗する。 安土桃山時代 1577年 伊東義祐が米良越えして豊後 (ぶんご、大分県)へ。 1578年 島津軍が高城 (木城町)で大友軍を破る。 1579年 島津家久が佐土原城主となる。 1582年 伊藤満所ら少年使節としてローマへ、1600年 島津豊久が戦死 (関ヶ原の戦い)、江戸時代 1603年 島津以久 (ゆきひさ)が3万石を徳川家康から受ける。 1625年 佐土原城を山下 (二の丸)に移す。 1666年 日講上人が佐土原へ流刑 (るけい)。 1699年 佐土原藩主が城主列となる。 1704年 古月禅師が大光寺住職となる。 1751年 古月禅師が久留米福聚寺にて寂す (死亡)。 1769年 佐土原大火456戸焼失、1818年 野田泉光院が「日本九峰修業日記」を書く。 1825年 佐土原学習館設立。 近代 1868年 島津忠寛が明治天皇より「錦旗と御剣」を給 (たま)う。 1869年 広瀬へ城を移す。 1871年 佐土原藩を廃し、佐土原県となる。 1873年 宮崎県になる。 1876年 島津啓次郎が外字文黌(きょうぶんこう)設立。 1877年 西南の役 (えき)で薩軍が西郷札を製造。 1889年 町村制を施行する (広瀬、佐土原、那珂村発足)。 現代 1955年 佐土原町と那珂村が合併 (がっぺい)して佐土原町となる。 1958年 佐土原町と広瀬村が合併して佐土原町となる。 1965年 広瀬駅を佐土原駅に、佐土原駅を西佐土原駅にする。 1993年 佐土原城跡二の丸跡に鶴松館を造る。 2006年 宮崎市と佐土原町が合併 (がっぺい)して宮崎市となる。



写真NJ: 囲炉裏 (いろり)の鍋 (なべ)などを吊 (つ)るす物です。 魚の形をしたものも見えます。



写真NK: 神代ゴマです。
島津の家紋 (かもん)の「丸に十の字」が側面に見えます。
神代ゴマ 大型、神代ゴマ 中型、神代ゴマ 小型、県認定 佐土原町伝統的工芸品と書いてあります。 いろは館です。



写真NL: 「佐土原城下町の散歩マップ」の看板 (かんばん)です。



写真NM: 「佐土原城下町の散歩マップ」の看板 (かんばん)。 編集: 佐土原小学校区地域づくり協議会 (佐土原地区交流センター内)。



写真NN: 「佐土原城下町の散歩マップ」の看板 (かんばん)です。



写真NO: 「佐土原城下町の散歩マップ」。



写真NP: 「佐土原城下町の散歩マップ」の看板 (かんばん)です。



写真NQ: 鯨 (くじら)の絵の看板 (かんばん)です。 「Mの国 くじらの町 さどわら 企画・プロデュース 佐土原くじら会」と書いてあります。



写真NR: 佐土原銘菓セットです。 城下まんじゅう、塩饅頭(しおまんじゅう)、ぶどう液も見えます。



写真NS: 佐土原ふるさとセットです。 冷や汁、しょうゆなどが入っています。



写真NT: メダカが販売されていました。



写真NU: いろは館の「しょうがソフト」です。 ソフトクリームに砂糖煮にされた生姜 (しょうが)とミントの葉が載 (の)っています。



写真NV: 「竹酒の元祖 かっぽ酒のおもてなし」、「おすすめ「かっぽ酒」用青竹セット」、「川野工作所」と書いてあります。
かっぽ酒用の青竹セットを販売しています。



写真NW: 鹿の皮で作ったナイフ入れ、のこぎり入れ、鹿の角 (つの)の傘 (かさ)を握 (にぎ)る所などを販売しています。



写真NX: 「くじらのぼり、ピノキオエンタープライズ」と書いてあります。 上に「くじらのぼり」があります。



写真NY: 翻 (ひるがえ)っている「鯨幟 (くじらのぼり)」です。
鯨幟(くじらのぼり)。 鯨のぼりは平成時代になってから、佐土原で始まりました。 鯉(こい)のぼりと同じように使用されます。 「くじら」は江戸時代から始まった佐土原の鯨羊羹(くじらようかん)に因(ちな)んでいます。 鯨(くじら)が佐土原の町おこしのシンボルです。



写真NZ: 「宮崎市城の駅 佐土原いろは館 祝2周年記念大感謝祭」と書いてあります。 小雨の中で開かれました。 いろは館の隣 (とな)りの佐土原地区交流センターの入り口です。 2017年2月5日に開かれました。



写真OA: 芝生 (しばふ)の広場ではテントの出店が多くあります。



写真OB: 佐土原いろは館 2周年記念大感謝祭で、ぜんざいの振る舞い (無料)がありました。



写真OC: ぜんざいの大きな鍋 (なべ)とカップに入れたぜんざいです。



写真OD: 佐土原いろは館と佐土原地区交流センターの敷地から発掘 (はっくつ)された佐土原人形です。 土の中に長年埋 (う)もれていたので色は消えています。 歌舞伎 (かぶき)の女形の人形だそうです。 江戸時代のものです。



写真OE: 戦国時代の前島津 (島津家久、島津豊久)のときは佐土原いろは館と佐土原地区交流センターの敷地は佐土原城の三の丸でした。 その頃 (ころ)の出土品です。



写真OF: 戦国時代の前島津 (島津家久、島津豊久)のときは佐土原いろは館と佐土原地区交流センターの敷地は佐土原城の三の丸でした。 その頃 (ころ)の出土品。



写真OG: 戦国時代の前島津 (島津家久、島津豊久)のときは佐土原いろは館と佐土原地区交流センターの敷地は佐土原城の三の丸でした。 その頃 (ころ)の出土品です。



写真OH: 佐土原藩分限帳 (江戸時代の安政4年作成)の展示もありました。



写真OI: 地元の子供たちのダンスも披露 (ひろう)されました。 皆 (みんな)、がんばって踊 (おど)りました。



写真OJ: わんわんカーも「宮崎市城の駅 佐土原いろは館 祝2周年記念大感謝祭」の会場に来ていました。



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閲覧者数 (’15年2月05日から)



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)