阿波岐原森林公園 市民の森 (梅の花、花菖蒲 (はなしょうぶ)の花)、梅園 (あわきがはらしんりんこうえん、白梅、紅梅、花菖蒲 (しょうぶ)園、約160種 110万本の花ショウブ、藤棚 (ふじだな)、オーシャン45 高層ホテル、宮崎ガスの球状のガスタンク、池)  (宮崎県 宮崎市 阿波岐原町 産母)







<標高、位置>  阿波岐原森林公園 (あわきがはらしんりんこうえん)の「市民の森」は
標高 約10 m
 北緯31度57分43秒  東経131度27分48秒


 阿波岐原森林公園の「市民の森」は宮崎県 宮崎市 阿波岐原町 産母 にあります。
市民の森は明治100年記念事業の一環として昭和46年10月にオープンしました。 市民の森は阿波岐原森林公園の中にあります。 市民の森の広さは約29.3 ha です。 遊歩道、休憩所 (きゅうけいしょ)、花壇 (かだん)、運動場、展望台、売店、防潮林の松林、雑木林などがあります。 梅園には約220本 (その内、紅梅は約50本、一重と八重の花があります。)の梅、花菖蒲 (はなしょうぶ)園には160種 約20万本の花菖蒲 (はなしょうぶ)があります。 つばき園には340本の椿 (つばき)、あじさい園には約1000株 (かぶ)のあじさい、池には睡蓮 (すいれん)があります。

 「花菖蒲 (はなしょうぶ)の由来」の説明板から、
 花菖蒲の育種改良が盛んになったのは、今から約200年前、江戸時代の後期 寛政年間 (1790年~1800年)ごろからです。 特に精魂を傾けたのは花菖蒲の父といわれる幕府の旗本、松平左金吾 (菖翁)で、野外むきの群生美がすばらしい江戸系花菖蒲をつくり、わが国花菖蒲発展の基礎をつくりあげたのです。
 その後 天保年間 (1832年~1843年)に肥後藩主 細川斉護 候は、江戸参勤の折 (おり)、菖翁に花菖蒲の分譲を懇願 (こんがん)し、「花連」(のち満月会)に、室内で観賞する鉢 (はち)づくりとして品種改良させ門外不出の厳 (きび)しい掟 (おきて)のもとに秘蔵の肥後系花菖蒲をつくったのです。 これを広く一般に普及させたのは 昭和のはじめ横浜で象芳園を開業した西田信常 (満月会)などによるものです。
 同じ天保年間に伊勢松阪において紀州藩士 吉井完五郎も独自で品種改良を行い肥後系の男性的な花菖蒲とは対照的、優美な姿で女性的な伊勢系の花菖蒲をつくったのです。 このようにして江戸時代に武士階級において品種改良された花菖蒲はやがて私どもの間でも栽培されるようになったのです。
 このように日本の園芸文化の歴史を知るうえでたいへん貴重な存在といえる花菖蒲を市の花として昭和43年9月21日指定し、毎年5月下旬から6月上旬にかけて「はなしょうぶまつり」を開催 (かいさい)しております。 園内の4300平方メートルに江戸系を中心として約160種 110万本が植えられており心豊かに観賞することができます。

 「阿波岐原森林公園」は宮崎県 宮崎市 新別府町 上和田 1336-1 にあります。 広いので新別府町、山崎町、阿波岐原町にまたがっています。 昭和32年(1956年)2月4日に阿波岐原森林公園を広域公園に決定し、開設は昭和61年4月1日です。 都市計画公園区域 390.9 ha 。 主な施設(周辺施設を含む)はみやざき臨海公園(サンマリーナ宮崎、サンビーチ一ツ葉)、宮崎市フェニックス自然動物園、国際海浜エントランス、、フローランテ宮崎、市民の森、シーガイア、新別府公園、フェニックス カントリー クラブなどです。


写真A: 奥に都市ガスの大きな球状のガスタンクが見えます。 宮崎ガス株式会社のタンクです。 見えている車道を右 (西)に進むと宮崎市 大字芳士に行きます。 左 (東)に進むとフローランテ宮崎などに行きます。



写真B: 市民の森にある梅園の「白梅の花」です。



写真C: 長い雄しべ、雌しべと6枚の白い花びらがあります。 蕾 (つぼみ)も見えます。 右の花の萼 (がく)も見えています。



写真D: 市民の森の梅園にある紅梅です。 梅園にある遊歩道も見えます。 北を見たものです。



写真E: この辺 (あた)りは白梅です。



写真F: 市民の森の白梅です。



写真G: 満開になった市民の森の「梅の花」です。



写真H: 枝が空に向かって伸 (の)びています。 梅 (うめ)の木です。



写真I: 青空と白梅です。 市民の森にて。



写真J: 梅の花が盛 (も)り上がっています。



写真K: 2月上旬頃に市民の森の梅園は満開になります。



写真L: 左にベンチもあります。 北を見たものです。 遊歩道の両側に梅の花が咲いています。



写真M: 紅梅の花が見事 (みごと)です。



写真N: 青空と紅梅です。 市民の森。



写真O: この辺 (あた)りは紅梅が多く咲いています。
阿波岐原森林公園の「市民の森」は宮崎県 宮崎市 阿波岐原町 産母 にあります。
市民の森は明治100年記念事業の一環として昭和46年10月にオープンしました。 市民の森は阿波岐原森林公園の中にあります。 市民の森の広さは約29.3 ha です。 遊歩道、休憩所 (きゅうけいしょ)、花壇 (かだん)、運動場、展望台、売店、防潮林の松林、雑木林などがあります。 梅園には約220本 (その内、紅梅は約50本、一重と八重の花があります。)の梅、花菖蒲 (はなしょうぶ)園には160種 約20万本の花菖蒲 (はなしょうぶ)があります。 つばき園には340本の椿 (つばき)、あじさい園には約1000株 (かぶ)のあじさい、池には睡蓮 (すいれん)があります。



写真P: 宮崎市 阿波岐原町 産母にある「市民の森」です。



写真Q: 木の間にオーシャン45の高層ホテルが見えています。 手前には市民の森の東屋 (あずまや)と白梅が見えます。



写真R: 大伴家持の和歌、うめ 和名ウメ バラ科と書いてあります。 市民の森の梅園。
大伴家持 (おおとものやかもち、717年 (?)~785年))は奈良時代の歌人です。 36歌仙の1人で、中央・地方諸官を歴任しました。 万葉集の中の歌数が最も多い人です。 繊細 (せんさい)で感傷的な歌風です。



写真S: 枝に野鳥のメジロがとまっています。



写真T: 水飲み場、ベンチもあります。 奥は梅園の梅です。



写真U: 東屋 (あずまや)とその中にベンチもあります。 この辺 (あた)りは白梅が咲いています。



写真V: トイレです。



写真W: 市民の森から見たオーシャン45の高層ホテルです。 東に見えます。



写真X: 市民の森の池と東屋 (あずまや)、ベンチ、看板 (かんばん)、芝生 (しばふ)です。



写真Y: 「市民の森」の広場です。 屋根付きの休憩所 (きゅうけいしょ)や大きな木もあります。
「阿波岐原森林公園」は宮崎県 宮崎市 新別府町 上和田 1336-1 にあります。 広いので新別府町、山崎町、阿波岐原町にまたがっています。 昭和32年(1956年)2月4日に阿波岐原森林公園を広域公園に決定し、開設は昭和61年4月1日です。 都市計画公園区域 390.9 ha 。 主な施設(周辺施設を含む)はみやざき臨海公園(サンマリーナ宮崎、サンビーチ一ツ葉)、宮崎市フェニックス自然動物園、国際海浜エントランス、、フローランテ宮崎、市民の森、シーガイア、新別府公園、フェニックス カントリー クラブなどです。



写真Z: まわりの森には昔からの樹木が茂 (しげ)っています。



写真AA: かなり広い芝生 (しばふ)です。 市民の森。



写真AB: 人間が立っている像があります。 奥は市民の森の建物です。



写真AC: 市民の森の建物と立像です。



写真AD: 「市民の森」の大きな屋根の建物です。 この中には売店もあります。 手前に花を植えてあります。 北西を見たものです。 右手に県道11号線 (宮崎 島之内線)が南北に通っています。



写真AE: 「市民の森」の駐車場、奥に管理事務所、左に大きな屋根の建物、植えられた花などが見えます。 北を見たものです。 右手に県道11号線 (宮崎 島之内線)が南北に通っています。



写真AF: 市民の森の駐車場の近くです。 南西を見たものです。



写真AG: 宮崎市 阿波岐原町にある「市民の森」の花菖蒲 (花しょうぶ)のある所です。 梅の花が咲いている時期はこのように何も植えてありません。 東屋 (あずまや)も見えます。



写真AH: 「市民の森」の広場です。 左に藤棚 (ふじだな)があります。 奥に休憩所 (きゅうけいしょ)、遠くにオーシャン45の高層ホテルが見えます。



写真AI: 市民の森の売店などがある建物です。



写真AJ: 大きな屋根の建物です。



写真AK: 「花菖蒲 (はなしょうぶ)の由来」の説明板です。
 花菖蒲の育種改良が盛んになったのは、今から約200年前、江戸時代の後期 寛政年間 (1790年~1800年)ごろからです。 特に精魂を傾けたのは花菖蒲の父といわれる幕府の旗本、松平左金吾 (菖翁)で、野外むきの群生美がすばらしい江戸系花菖蒲をつくり、わが国花菖蒲発展の基礎をつくりあげたのです。
 その後 天保年間 (1832年~1843年)に肥後藩主 細川斉護 候は、江戸参勤の折 (おり)、菖翁に花菖蒲の分譲を懇願 (こんがん)し、「花連」(のち満月会)に、室内で観賞する鉢 (はち)づくりとして品種改良させ門外不出の厳 (きび)しい掟 (おきて)のもとに秘蔵の肥後系花菖蒲をつくったのです。 これを広く一般に普及させたのは 昭和のはじめ横浜で象芳園を開業した西田信常 (満月会)などによるものです。
 同じ天保年間に伊勢松阪において紀州藩士 吉井完五郎も独自で品種改良を行い肥後系の男性的な花菖蒲とは対照的、優美な姿で女性的な伊勢系の花菖蒲をつくったのです。 このようにして江戸時代に武士階級において品種改良された花菖蒲はやがて私どもの間でも栽培されるようになったのです。
 このように日本の園芸文化の歴史を知るうえでたいへん貴重な存在といえる花菖蒲を市の花として昭和43年9月21日指定し、毎年5月下旬から6月上旬にかけて「はなしょうぶまつり」を開催 (かいさい)しております。 園内の4300平方メートルに江戸系を中心として約160種 110万本が植えられており心豊かに観賞することができます。
と書かれています。



写真AL: 市民の森にある花菖蒲園 (はなしょうぶえん)です。



写真AM: 花ショウブ園です。



写真AN: 木製の橋が花ショウブ園にあります。 花ショウブの花が見えます。



写真AO: 看板 (かんばん)もあります。 花ショウブの花が咲いています。



写真AP: 休憩所 (きゅうけいしょ)もあります。



写真AQ: 宮崎市の市民の森にある「花ショウブ園」です。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)