奈古神社、奈古山稜 (前方後円墳の形をした祭神ニニギノミコトの御陵と伝えられている)、奈古神社の神楽 (春神楽) (なご神社、なごさんりょう (山稜とは山と丘のこと。)、緑の保全地区に奈古神社は指定されている (スダジイ、イスノキなど)、郷土の銘木 スダジイ群落、郷土の銘木 イスノキ群落、明治時代には宮崎神宮の大祭の行列は奈古神社から宮崎神宮までを練 (ね)り歩きました。 南方保育園、南方町自治会、南方町ちびっこ広場、宮崎市消防団 大宮分団第4部、新別府川、池内橋、老人保健施設「むつみ苑」、金丸脳神経外科病院、県営住宅、池内団地、平和が丘団地、池内小学校、迫ノ山池)  (宮崎県 宮崎市 南方町 御供田)







<標高、位置>  奈古山稜にある「奈古神社 (なごじんじゃ)」は
標高 約20 m
 北緯31度57分42秒  東経131度25分07秒

<標高、位置>  「迫ノ山池」は
標高 約20 m
 北緯31度57分52秒  東経131度25分08秒


 「奈古神社 (なごじんじゃ)」は宮崎県 宮崎市 南方町 御供田 1192番地 にあります。
 「奈古神社」は旧村社 (明治4年指定)です。 南方、池内、上北方、下北方、花ヶ島、江平の産土神 (うぶすながみ、神道で、その人が生まれた土地の守護神のこと。 地縁による信仰です。)とされてきました。 伊東から尊崇され、江戸時代初期には10石を所有していました。 また内藤 (延岡藩)の祈願所でもありました。 明治時代には宮崎神宮の大祭のときに、奈古神社を出発した行列が宮崎神宮まで練 (ね)り歩きました。 境内 (けいだい)にある三千日垢離成就塔 (石碑 (せきひ))は、戦国時代の伝説があります。 これは都於郡城の城主 伊東から奈古神社の宮司に嫁に来た女性が、夫の死後神事を行いました。 海水で水垢離 (みずごり)を3000日行ったら、胸に毛が生 (は)えて男性の体のようになったという伝説によるものです。 前方後円墳の形をした奈古山稜は瓊瓊杵尊 (ににぎのみこと)の御陵と伝えられています。 奈古神社春神楽 (かぐら)が伝わっています。

「奈古神社」の説明板から、
創建
奈古神社の創建は古く、成務天皇 (記紀伝承上の天皇。 景行天皇の第4皇子。)の御代と伝えられる。
御祭神
アマツヒコホニニギノミコト、ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト、カムヤマトイワレヒコノミコト
由来
 奈古神社は古く権現と称され、その後 神武天皇を宇佐八幡と崇 (あが)めたことから奈古八幡宮の勅号 (ちょくごう)を得、また古来より吾田長屋という地名にちなんで長屋神社とも呼 (よ)ばれ、明治4年に奈古神社と改称されている。
 明治初期には、本殿のほかに末社8社が並存していた。
 昔から豊作、厄祓 (やくばら)い祈願、家内安全、願い成就の神様として尊崇されてきた。
奈古山稜と伝説
神社後方の丘は、前方後円(墳)の形とした祭神ニニギノミコトの御陵と伝えている。 境内には「3000日垢離成就塔」といわれる1基の石塔が現存し、それにまつわる伝説がある。

 「奈古神社の春神楽」のポスターから、
春神楽番付、神事 浦安の舞、1番 浦安の舞、2番 とこしこ、3番 豊栄舞、4番 岩とおし、5番 神和 かんなぎ、6番 一人とこしこの舞、7番 鬼神舞。 ご観覧の皆様へお願い 舞が終わりましたら、盛大な拍手をお願いいたします。 「おひねり」大歓迎 各番の舞の終了時にお願いいたします。 飛び入りの舞があるかも知れません。


写真A: 県道9号線と県道44号線の交差点にあるコンビニ店 (セブンイレブン)です。 左の丘が奈古山稜 (なごさんりょう)で、その中腹に奈古神社 (なごじんじゃ)があります。 山稜とは山と丘のことです。 送電線鉄塔も見えます。 南東を見たものです。



写真B: 東を見たものです。 十字路があります。 右端に奈古神社がある奈古山稜が見えます。 奥に行くと芳士、右に行くと宮崎神宮、左に進むと古賀病院、佐土原町 那珂 (なか)に行きます。 手前に進むと大淀川の相生橋 (あいおいはし)があります。



写真C: 奈古神社がある奈古山稜が見えます。 左右に送電線鉄塔があります。 手前は田んぼです。 県道44号線の自動車が見えます。



写真D: 西から見た奈古山稜です。 こんもりした独立峰の山です。 この奈古山稜は前方後円墳 (古墳)の形をしていることが登ってみると分かります。



写真E: 奈古山稜の近くに高い送電線鉄塔があります。 左は県道9号線です。 南東を見たものです。



写真F: 「うどん そば はちまん」と書いてあるうどん屋さんがあります。 ここを右折 (南)します。 左は県道9号線。 東を見たものです。



写真G: うどん屋「はちまん」の建物です。 左上は奈古山稜です。 右は田んぼです。 南を見たものです。



写真H: うどん屋の「はちまん」とその奥の奈古山稜です。



写真I: 来た道を振り返ったものです。 右端はうどん屋の「はちまん」です。 北を見たものです。



写真J: 田んぼの奥に県道9号線があります。 北を見たものです。 中央左寄りに上に送電線鉄塔がある「宮崎城跡」の山が見えます。



写真K: 中央に老人保健施設「むつみ苑」、左に県営住宅が見えます。 西を見たものです。



写真L: 右端は老人保健施設「むつみ苑」でその左は県営住宅です。 送電線鉄塔の左に金丸脳神経外科病院が見えます。 その左に平和が丘団地があります。 西を見たものです。



写真M: 南西を見たものです。 右寄りに平和が丘団地、左寄りに池内小学校が見えます。



写真N: 左上は奈古山稜 (なごさんりょう)です。



写真O: マンションがあります。 奥は奈古山稜、 右は水田です。



写真P: 奈古山稜の麓 (ふもと)に新しい墓があります。



写真Q: 左は奈古山稜です。



写真R: 左は「竣工記念碑」と書いてあります。 (竣工 (しゅんこう)とは完成することです。) 右は「南方 池内 地区ほ場整備記念碑 昭和21年」と書いてある記念碑です。 西を見たものです。



写真S: 「南方 池内 地区ほ場整備記念碑 昭和21年」と書いてある記念碑があります。



写真T: 遠くに老人保健施設「むつみ苑」が見えます。



写真U: 遠くに県営住宅が見えます。



写真V: 遠くに金丸脳神経外科病院と奥に池内団地が見えます。



写真W: 遠くに平和が丘団地が見えます。 手前に県道44号線が左右に通っています。



写真X: 平和が丘団地です。 奈古山稜のそばから見たものです。



写真Y: 左寄りに池内小学校が見えます。 右は平和が丘団地です。




写真Z: 右は池内小学校です。 奈古山稜のそばから見たものです。



写真AA: 送電線鉄塔と池内小学校が見えます。



写真AB: 南を見たものです。



写真AC: 左は奈古山稜です。



写真AD: 「ジャカランダの花」が咲いています。



写真AE: 左端は奈古山稜です。 ここを左折 (東)します。



写真AF: 奈古山稜の南側の道です。



写真AG: お堂があります。



写真AH: 奈古山稜の麓 (ふもと)にお堂があります。 これは奈古神社ではありません。



写真AI: お堂のそばの様子 (ようす)です。



写真AJ: お堂の中に「南無地蔵尊」と書いてあります。



写真AK: 手前はお堂の境内 (けいだい)です。



写真AL: お堂です。 しめ縄があります。



写真AM: 奈古山稜の麓 (ふもと)にあるお堂です。 しめ縄が見えます。



写真AN: 仏像が見えます。 シキミと思われる枝を供 (そな)えてあります。 鐘 (かね)もあります。



写真AO: 御手洗 (みたらい)があります。 左はアジサイの花です。



写真AP: 左は奈古山稜です。 奈古山稜の南の道です。



写真AQ: 南方保育園です。 左は奈古山稜です。



写真AR: 南方保育園。



写真AS: 南方保育園です。 「平成14年度卒園記念、ふしぎのくにのありす」と書いてある園児たちの大きな絵を飾ってあります。



写真AT: 左は奈古山稜です。



写真AU: 民家、携帯電話の基地局アンテナもあります。



写真AV: 奈古山稜の東側の道です。 南方保育園の入り口や奈古神社の鳥居 (とりい)が小さく見えます。 北を見たものです。



写真AW: 「みなみかたほいくえん」と書いてある看板 (かんばん)と「徐行 こどもとびだし注意!!」と書いてある看板があります。 右に奈古神社の鳥居 (とりい)があります。



写真AX: 来た道を振り返ったものです。 南を見たものです。



写真AY: 南方保育園の入り口です。 右は奈古山稜です。 南西を見たものです。



写真AZ: 東から見た奈古山稜です。



写真BA: 右端に「奈古神社」と書いてある石碑 (せきひ)があります。 南方保育園の入り口です。 西を見たものです。



写真BB: 奈古神社の鳥居 (とりい)です。 左に「奈古神社」と書いてある石碑 (せきひ)があります。 説明板も見えます。
「奈古神社 (なごじんじゃ)」は宮崎県 宮崎市 南方町 御供田 1192番地 にあります。



写真BC: 北を見たものです。 左に奈古神社の鳥居 (とりい)があります。 その奥に「南方町ちびっ子広場」があります。



写真BD: 東から奈古神社の鳥居 (とりい)の所まで参道があります。 北東を見たものです。



写真BE: 奈古神社の鳥居 (とりい)です。 左は南方保育園です。 右にミラーもあります。



写真BF: 鳥居 (とりい)の北に「南方町ちびっ子広場 南方町自治会」があります。 ビロウ樹を植えてあります。



写真BG: 「南方町ちびっ子広場」の奥 (西)に奈古神社の末社が2社見えています。 赤い鳥居 (とりい)もあります。



写真BH: 左は南方町ちびっ子広場です。



写真BI: 「南方町ちびっ子広場 南方町自治会」と書いてあります。 西を見たものです。



写真BJ: 「宮崎市消防団 大宮分団第4部」、「火の用心」と書いてあります。 奥は奈古山稜です。



写真BK: 奈古神社です。



写真BL: 国旗を揚 (あ)げてあります。



写真BM: 国旗掲揚ポールのそばに「奉納 平成10年1月吉日」と書いてあります。



写真BN: 鳥居 (とりい)のしめ縄が見えます。 鳥居の下部です。 石塔も見えます。



写真BO: 「奈古神社」と鳥居に書いてあります。 奥に石段が見えます。



写真BP: 「奉納者、宮司・・・池内町区長 南方町区長」と書いてある石碑 (せきひ)があります。 奥に鳥居が見えます。



写真BQ: 「奈古神社」の説明板があります。
創建
奈古神社の創建は古く、成務天皇 (記紀伝承上の天皇。 景行天皇の第4皇子。)の御代と伝えられる。
御祭神
アマツヒコホニニギノミコト、ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト、カムヤマトイワレヒコノミコト
由来
 奈古神社は古く権現と称され、その後 神武天皇を宇佐八幡と崇 (あが)めたことから奈古八幡宮の勅号 (ちょくごう)を得、また古来より吾田長屋という地名にちなんで長屋神社とも呼 (よ)ばれ、明治4年に奈古神社と改称されている。
 明治初期には、本殿のほかに末社8社が並存していた。
 昔から豊作、厄祓 (やくばら)い祈願、家内安全、願い成就の神様として尊崇されてきた。
奈古山稜と伝説
神社後方の丘は、前方後円(墳)の形をした祭神ニニギノミコトの御陵と伝えている。 境内には「3000日垢離成就塔」といわれる1基の石塔が現存し、それにまつわる伝説がある。
と書かれています。



写真BR: 「奈古神社」の説明板があります。
創建
奈古神社の創建は古く、成務天皇 (記紀伝承上の天皇。 景行天皇の第4皇子。)の御代と伝えられる。
御祭神
アマツヒコホニニギノミコト、ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト、カムヤマトイワレヒコノミコト
由来
 奈古神社は古く権現と称され、その後 神武天皇を宇佐八幡と崇 (あが)めたことから奈古八幡宮の勅号 (ちょくごう)を得、また古来より吾田長屋という地名にちなんで長屋神社とも呼 (よ)ばれ、明治4年に奈古神社と改称されている。
 明治初期には、本殿のほかに末社8社が並存していた。
 昔から豊作、厄祓 (やくばら)い祈願、家内安全、願い成就の神様として尊崇されてきた。
奈古山稜と伝説
神社後方の丘は、前方後円(墳)の形をした祭神ニニギノミコトの御陵と伝えている。 境内には「3000日垢離成就塔」といわれる1基の石塔が現存し、それにまつわる伝説がある。
と書かれています。



写真BS: 「奈古神社」の説明板。
創建
奈古神社の創建は古く、成務天皇 (記紀伝承上の天皇。 景行天皇の第4皇子。)の御代と伝えられる。
御祭神
アマツヒコホニニギノミコト、ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト、カムヤマトイワレヒコノミコト
由来
 奈古神社は古く権現と称され、その後 神武天皇を宇佐八幡と崇 (あが)めたことから奈古八幡宮の勅号 (ちょくごう)を得、また古来より吾田長屋という地名にちなんで長屋神社とも呼 (よ)ばれ、明治4年に奈古神社と改称されている。
 明治初期には、本殿のほかに末社8社が並存していた。
 昔から豊作、厄祓 (やくばら)い祈願、家内安全、願い成就の神様として尊崇されてきた。
奈古山稜と伝説
神社後方の丘は、前方後円(墳)の形をした祭神ニニギノミコトの御陵と伝えている。 境内には「3000日垢離成就塔」といわれる1基の石塔が現存し、それにまつわる伝説がある。
と書かれています。



写真BT: 「奈古神社」の説明板があります。
創建
奈古神社の創建は古く、成務天皇 (記紀伝承上の天皇。 景行天皇の第4皇子。)の御代と伝えられる。
御祭神
アマツヒコホニニギノミコト、ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト、カムヤマトイワレヒコノミコト
由来
 奈古神社は古く権現と称され、その後 神武天皇を宇佐八幡と崇 (あが)めたことから奈古八幡宮の勅号 (ちょくごう)を得、また古来より吾田長屋という地名にちなんで長屋神社とも呼 (よ)ばれ、明治4年に奈古神社と改称されている。
 明治初期には、本殿のほかに末社8社が並存していた。
 昔から豊作、厄祓 (やくばら)い祈願、家内安全、願い成就の神様として尊崇されてきた。
奈古山稜と伝説
神社後方の丘は、前方後円(墳)の形をした祭神ニニギノミコトの御陵と伝えている。 境内には「3000日垢離成就塔」といわれる1基の石塔が現存し、それにまつわる伝説がある。
と書かれています。



写真BU: 像が彫 (ほ)ってある石塔が1対 (つい)あります。



写真BV: もう1つの像が彫 (ほ)ってある石塔。 鳥居のそばです。



写真BW: 石塔に「享保 (1716年から1736年)18年」と彫 (ほ)ってあります。



写真BX: 「緑の保全地区」、「地区名 奈古神社、面積 9555平方メートル、樹種 スダジイ イスノキ等、指定番号 I-11、指定年月日 平成16年4月、宮崎市」と書いてあります。



写真BY: 奈古神社の参道です。 石段が見えます。 西を見たものです。



写真BZ: 参道は茂 (しげ)った木のトンネルになっています。 上を見たものです。



写真CA: 参道の中央部は舗装 (ほそう)してあります。 奥に石段があります。 6月ですが、落ち葉が見えます。



写真CB: 振り返って見た鳥居、石塔などです。



写真CC: 境内 (けいだい)の苔 (こけ)に落ち葉が散っています。



写真CD: 2つの石段があります。 奥に拝殿が見えます。 石灯籠 (いしどうろう)、右に孟宗竹林 (もうそうちくりん)があります。
「奈古神社 (なごじんじゃ)」は宮崎県 宮崎市 南方町 御供田 1192番地 にあります。
 「奈古神社」は旧村社 (明治4年指定)です。 南方、池内、上北方、下北方、花ヶ島、江平の産土神 (うぶすながみ、神道で、その人が生まれた土地の守護神のこと。 地縁による信仰です。)とされてきました。 伊東から尊崇され、江戸時代初期には10石を所有していました。 また内藤 (延岡藩)の祈願所でもありました。 明治時代には宮崎神宮の大祭のときに、奈古神社を出発した行列が宮崎神宮まで練 (ね)り歩きました。 境内 (けいだい)にある三千日垢離成就塔 (石碑 (せきひ))は、戦国時代の伝説があります。 これは都於郡城の城主 伊東から奈古神社の宮司に嫁に来た女性が、夫の死後神事を行いました。 海水で水垢離 (みずごり)を3000日行ったら、胸に毛が生 (は)えて男性の体のようになったという伝説によるものです。 前方後円墳の形をした奈古山稜は瓊瓊杵尊 (ににぎのみこと)の御陵と伝えられています。 奈古神社春神楽 (かぐら)が伝わっています。



写真CE: 右手に末社 (まっしゃ)が見えます。



写真CF: 奈古神社の石灯籠 (いしどうろう)です。 「献燈 (けんとう)」と彫 (ほ)ってあります。



写真CG: 石灯籠 (いしどうろう)に「平成2年」と彫ってあります。



写真CH: 末社が見えます。 この奥にももう1つの末社があります。 北を見たものです。



写真CI: 右の木の左にもう1つの末社の赤い鳥居 (とりい)が見えます。



写真CJ: 末社のそばに孟宗竹 (もうそうだけ)があります。



写真CK: 1対の石灯籠 (いしどうろう)の左のものです。



写真CL: 石段の上部と拝殿が見えます。 石段には手すりがあります。



写真CM: 石段と拝殿です。



写真CN: 石段を登り切ったところに石灯籠 (いしどうろう)の割れたもの、三角形の御手洗 (みたらい)があります。 奈古神社です。



写真CO: 登ってきた石段を振り返ったものです。 1対 (つい)の石灯籠 (いしどうろう)、左に末社があります。



写真CP: 石段にもうっすらと苔 (こけ)が生 (は)えています。



写真CQ: 2つの御手洗 (みたらい)と水道の蛇口 (じゃぐち)、左に石段の上部があります。



写真CR: 御手洗 (みたらい)に「文政 (1818年から1830年)11年」と彫 (ほ)ってあります。 柄杓 (ひしゃく)、水道の蛇口 (じゃぐち)も見えます。



写真CS: 「奈古神社」と拝殿の横木に書いてあります。 しめ縄があります。 奥に鈴、手前に電灯も見えます。



写真CT: 奈古神社の拝殿です。 格子 (こうし)があります。 右に「平成26年度 御奉拝者御芳名簿 奈古神社」、左に「春神楽 (かぐら)」のポスターがあります。



写真CU: 拝殿の下部です。 木の階段、鈴の紐 (ひも)が見えます。



写真CV: 拝殿の上部です。



写真CW: 上から見下 (お)ろした石段、参道です。 左に末社が見えます。



写真CX: 三角の御手洗 (みたらい)、右端に末社が見えます。



写真CY: 北を見たものです。 この奥に下に降りる道があります。



写真CZ: 拝殿の右の部分です。



写真DA: 拝殿の下部です。



写真DB: 拝殿の上部です。 上に奈古山稜の木が見えます。



写真DC: 拝殿の中部です。



写真DD: 拝殿の下部です。



写真DE: 拝殿の左の部分です。 3段の階段が見えます。 ポスターが2枚見えます。



写真DF: 南を見たものです。 右端は拝殿です。 左に御神籤 (おみくじ)をしばりつける所、奥に自動車があります。 奥に右に上がる石段があります。 それを登ると奈古山稜の上に登ることができます。



写真DG: 御手洗 (みたらい)があります。 その右に御神籤 (おみくじ)をしばりつける所が見えます。



写真DH: 御神籤 (おみくじ)をしばりつける所です。 左は石段を登り切ったところです。 東を見たものです。



写真DI: 御神籤 (おみくじ)をしばりつける所です。



写真DJ: 北を見たものです。 左は拝殿の側面です。



写真DK: 左は奈古神社の本殿、中央は拝殿です。



写真DL: 左から末社、本殿、拝殿が見えます。 奈古神社です。



写真DM: 「郷土の銘木 スダジイ群落」、「郷土の銘木 イスノキ群落」の標識が左にあります。 右は末社です。



写真DN: 「郷土の銘木 イスノキ群落」の標識があります。



写真DO: 石段があります。 登ると奈古山稜の上にある末社に行くことが出来ます。



写真DP: 奈古神社の本殿の上部です。 千木 (ちぎ)は外切りの千木で、鰹木 (かつおぎ)は3本です。 「千木」は斜め上に伸びている屋根の上のものです。 「鰹木」は屋根の上の横木です。



写真DQ: 奈古神社の本殿の下部です。



写真DR: 南を見たものです。 下に降りる道があります。



写真DS: 奈古山稜の上にある末社に登る石段があります。 これから登ります。



写真DT: かなり古くからある石段と思われます。



写真DU: 登ってきた石段を見下 (お)ろしたものです。



写真DV: 奈古山稜の上にある末社です。 しめ縄があります。 瓦 (かわら)の屋根には落ち葉が積 (つ)もっています。



写真DW: 奈古山稜の上にある末社の中です。



写真DX: 奈古山稜の上はこのようになっています。 確かに前方後円墳の形を奈古山稜はしています。



写真DY: 奈古山稜の上を歩いてみました。



写真DZ: 奈古山稜の上にある末社の左です。



写真EA: 奈古山稜の上にある末社のそばの様子 (ようす)です。



写真EB: 先ほど登ってきた石段を下 (くだ)ります。



写真EC: 拝殿、本殿、末社が見えます。 奈古神社。
「奈古神社 (なごじんじゃ)」は宮崎県 宮崎市 南方町 御供田 1192番地 にあります。
 「奈古神社」は旧村社 (明治4年指定)です。 南方、池内、上北方、下北方、花ヶ島、江平の産土神 (うぶすながみ、神道で、その人が生まれた土地の守護神のこと。 地縁による信仰です。)とされてきました。 伊東から尊崇され、江戸時代初期には10石を所有していました。 また内藤 (延岡藩)の祈願所でもありました。 明治時代には宮崎神宮の大祭のときに、奈古神社を出発した行列が宮崎神宮まで練 (ね)り歩きました。 境内 (けいだい)にある三千日垢離成就塔 (石碑 (せきひ))は、戦国時代の伝説があります。 これは都於郡城の城主 伊東から奈古神社の宮司に嫁に来た女性が、夫の死後神事を行いました。 海水で水垢離 (みずごり)を3000日行ったら、胸に毛が生 (は)えて男性の体のようになったという伝説によるものです。 前方後円墳の形をした奈古山稜は瓊瓊杵尊 (ににぎのみこと)の御陵と伝えられています。 奈古神社春神楽 (かぐら)が伝わっています。



写真ED: 奈古神社の本殿です。



写真EE: 本殿の下部です。



写真EF: 本殿と拝殿を結ぶところです。



写真EG: 本殿と拝殿の間のところです。 左は本殿の階段です。 右は拝殿です。



写真EH: 本殿の階段です。



写真EI: 奈古神社 (なごじんじゃ)の本殿です。 いろいろな彫刻を施 (ほどこ)してあります。



写真EJ: 本殿の裏のところです。



写真EK: 苔 (こけ)が美しい。 右は本殿です。



写真EL: 本殿です。 左下は拝殿。



写真EM: 手前は本殿、奥は拝殿です。 東を見たものです。



写真EN: 右は拝殿、左は末社です。 東を見たものです。



写真EO: 奈古神社の境内 (けいだい)にある末社です。 しめ縄をしてあります。



写真EP: 奈古神社の境内 (けいだい)の木です。



写真EQ: 竹林も見えます。



写真ER: モウソウダケが生 (は)えています。



写真ES: モウソウダケの奥に民家が見えます。



写真ET: 北から見た奈古神社です。



写真EU: 奈古神社の拝殿です。



写真EV: 「神社修復浄財奉納者名」が書いてあります。 拝殿です。



写真EW: 「平成26年度 御奉拝者御芳名簿 奈古神社」があります。



写真EX: 「春神楽 (かぐら) とき平成26年 4月6日 (日) ところ奈古神社神楽所 (宮崎市南方町) 雨天時は拝殿にて」と書いてあるポスターが拝殿にありました。



写真EY: 右は拝殿です。



写真EZ: 「平成26年 春神楽番付、神事 浦安の舞、1番 浦安の舞、2番 とこしこ、3番 豊栄舞、4番 岩とおし、5番 神和 かんなぎ、6番 一人とこしこの舞、7番 鬼神舞。 ご観覧の皆様へお願い 舞が終わりましたら、盛大な拍手をお願いいたします。 「おひねり」大歓迎 各番の舞の終了時にお願いいたします。 飛び入りの舞があるかも知れません、ご期待を。
と書かれています。



写真FA: 奈古神社の拝殿の中です。



写真FB: 北から見た奈古神社です。



写真FC: 下に降りる歩道があります。



写真FD: この道を下 (くだ)ります。



写真FE: 下に下 (くだ)る道です。



写真FF: かなり降りてきました。



写真FG: 奈古神社から降りてきました。



写真FH: 奈古山稜の下部です。



写真FI: いろいろな野草が生 (は)えています。



写真FJ: 奈古山稜の下の集落に降りてきました。 右にアジサイの花が咲いています。



写真FK: 奈古山稜の麓 (ふもと)です。



写真FL: 「ヒオウギスイセンの花」が咲いていました。



写真FM: 「あじさいの花」です。



写真FN: 「ノウゼンカズラの花」が咲いていました。



写真FO: 右は水田です。 北を見たものです。



写真FP: 南を見たものです。 右奥に奈古神社があります。



写真FQ: 奥の山が奈古山稜で、そこに奈古神社があります。



写真FR: 県道9号です。



写真FS: 右は県道9号です。 左に「ダスキン 宮崎」と書いてあります。



写真FT: 中央奥に「迫ノ山池」の堤防が見えます。



写真FU: 奥に奈古山稜が見えます。



写真FV: 右は迫ノ山池の堤防 (ていぼう)です。



写真FW: 迫ノ山池の堤防。 下に道も見えています。



写真FX: 左は迫ノ山池の堤防です。 東を見たものです。



写真FY: 南を見たものです。 奈古山稜が見えます。



写真FZ: 交通標識があります。



写真GA: 左端は奈古山稜です。 うどん屋「はちまん」が見えます。 この「はちまん」は奈古神社が昔に奈古八幡宮と呼ばれていたことと関係があるのでしょう。



写真GB: うどん店の「はちまん」です。



写真GC: 奥に奈古山稜が見えます。 手前はうどん屋の「はちまん」です。 南東を見たものです。



写真GD: 「いけうちはし」と書いてあります。 川は新別府川です。



写真GE: 「平成10年3月竣工」と池内橋に書いてあります。



写真GF: 新別府川の上流方向です。 北を見たものです。 左に上に送電線鉄塔がある山が見えます。 その山は「宮崎城跡」です。 関ヶ原の戦いの直後、その宮崎城 (稲津の軍)が佐土原城の軍 (島津)に攻撃されたときに、奈古山稜の上に稲津の軍が幟旗 (のぼりばた)を上げました。 島津軍は退路を絶 (た)たれると思い引き下がりました。



写真GG: 新別府川の下流方向です。 左端は奈古山稜です。 南を見たものです。



写真GH: 「新別府川」と書いてあります。



写真GI: 「池内橋」と書いてあります。 右端に池内小学校が見えます。



写真GJ: 池内橋から見た奈古山稜です。



写真GK: 帽子 (ぼうし)です。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)