護衛艦おおよど (海上自衛隊、艦船、JS OOYODO DE 231、宮崎港、護衛艦 おおよど の一般公開 (見学会))  (宮崎県 宮崎市 港)







<標高、位置>  「宮崎港」は
標高 数 m
 北緯31度54分50秒  東経131度27分33秒


 「護衛艦 おおよど」は海上自衛隊の艦船です。 1991年1月23日に就役しました。 主要兵装は62口径76ミリ速射砲、ハープーン対艦ミサイル、アスロック、3連装短魚雷発射管、高性能20ミリ機関砲、ソーナー、フェンススタビライザーなどです。 性能要目は基準排水量 2000 ton、全長 109 m、全幅 13.4 m、喫水(きっすい) 3.8 m、主機械 ガスタービン 2基 ディーゼル 2基、軸馬力 27000 SHP、軸数 2軸、速力 27 kt (約50 km/h)、乗員 約120名。 豆知識: 航続距離は日本からハワイまでを往復できます。 給食については、栄養摂取量は1人1日3200 kcal で、総員分の食事を4名の調理員が調理しています。 おおよどは「あぶくま」型護衛艦の3番艦として建造されました。 対潜水艦、対水上戦および対空戦の対処能力を備えています。 艦名の由来は、宮崎県 都城盆地周辺の山地に源を発し、霧島火山群や九州山地からの支流を合わせて宮崎市の中央部を流れ、日向灘に注 (そそ)ぐ「大淀川」に由来します。 初代は帝国海軍の軽巡洋艦「大淀」 (8170 ton)であり、昭和18年2月、呉海軍工廠において竣工しました。 昭和19年5月から9月までの間、最後の連合艦隊旗艦を勤めました。 昭和20年7月広島・江田島湾に在泊中、空襲により転覆着底、昭和22年に引き揚げ解体されました。 (パンフレットを参照しました。)

 「宮崎港フェリーターミナル」は宮崎県 宮崎市 港 3丁目14番地 にあります。

 「宮崎港」は宮崎市 港、港東、新別府町、阿波岐原町にまたがる港です。 大淀川の河口の北岸(左岸(下流を見て左。))の一ツ葉入江に位置する河口港です。 昭和44年(1969年)に開港し、宮崎県が港湾管理者です。 昭和12年(1937年)に赤江港から宮崎港に呼(よ)び名が変わりました。 それまでは赤江港と呼ばれていて重要な港でした。 鎌倉時代から赤江港は使われていました。 文明年間(1469年から1487年、戦国時代)は大陸交易の寄港地となりました。 文化年間(1804年から1818年、江戸時代後期)頃から、上方交易(大阪、神戸など。)が活発になりました。 当時は赤江港は大淀川の南岸(右岸(下流を見て右。))に位置して飫肥藩(おびはん)領の東北端の場所でした。 明治時代は大淀川を用いた内陸部(宮崎市 高岡町、国富町 本庄)と結ばれていました。 しかし、大正12年(1923年)に国鉄 日豊本線が開通し、また河口港によく見られる砂堆積(たいせき)によって航路の維持が困難になり、赤江港は衰退しました。 昭和33年(1958年)から改修工事が始まり、昭和44年(1969年)に一ツ葉入江に宮崎港が出来ました。 宮崎港には漁港、フェリーターミナル、国際コンテナターミナルなどがあります。
 宮崎港は港湾区域告示 昭和38年6月、港湾区域面積 1983 ha、南防波堤 2600 m、内防波堤 450 m、岸壁水深 9 m(50000トン級) 延長 300 m、航路・泊地水深 9 m。
 宮崎港ではチヌ、サヨリ、スズキ、コノシロ、アジコ、サビキなどが釣(つ)れます。

 「新別府川(しんびゅうがわ)」は全長約13 kmで河口近くの地名、新別府町(しんべっぷちょう)から名付けられました。 新別府川 (しんびゅうがわ)の源流は池内の古賀病院の北の方です。 新別府川は宮崎港の北側で太平洋に注(そそ)ぎます。 別府はもともと「べっぷ、びゅう、べふ」と発音し、平安時代末期から戦国時代に出来た土地制度です。 新別府川は昔は大島川、前川、南川、竹下溝などと呼ばれていました。 「新別府川をめぐる百姓一揆(いっき)」が明治26年(1893年)に起こりました。 宮崎でもその夏は約60日間雨が降りませんでした。 大島村(現 宮崎市 大島町)の農民は新別府川に井堰(いせき)を造り田畑に水を引きました。 そのため下流の吉村村(現 宮崎市 吉村町)は川の水が不足しました。 吉村村の数100人の農民が大島村の井堰を破壊して吉村村に水を流しました。 大島と吉村は大争い(水争い)をしました。 結局、両村の長老が話し合いました。 その結果、西田川が新別府川に合流する地点より下流には井堰を造らない事になりました。 吉村村には西田川の水が来ることになったのです。 これで新別府川をめぐる百姓一揆 (水争い)は終結したそうです。


写真A: フェニックス ロベレニーの並木 (なみき)が見えます。 奥 (東)は宮崎港です。 左はトイレです。



写真B: 宮崎港の入り口です。 フェニックス ロベレニーの木を植えてあります。



写真C: 宮崎港に停泊 (ていはく)している海上自衛隊の護衛艦 「おおよど」が見えます。 手前に見学者などの自動車が止まっています。



写真D: 来た道を振 (ふ)り返ったものです。 西を見たものです。



写真E: 南西を見たものです。



写真F: 北を見たものです。 宮崎港に注 (そそ)いでいる新別府川の河口が見えます。
「新別府川(しんびゅうがわ)」は全長約13 kmで河口近くの地名、新別府町(しんべっぷちょう)から名付けられました。 新別府川 (しんびゅうがわ)の源流は池内の古賀病院の北の方です。 新別府川は宮崎港の北側で太平洋に注(そそ)ぎます。 別府はもともと「べっぷ、びゅう、べふ」と発音し、平安時代末期から戦国時代に出来た土地制度です。 新別府川は昔は大島川、前川、南川、竹下溝などと呼ばれていました。 「新別府川をめぐる百姓一揆(いっき)」が明治26年(1893年)に起こりました。 宮崎でもその夏は約60日間雨が降りませんでした。 大島村(現 宮崎市 大島町)の農民は新別府川に井堰(いせき)を造り田畑に水を引きました。 そのため下流の吉村村(現 宮崎市 吉村町)は川の水が不足しました。 吉村村の数100人の農民が大島村の井堰を破壊して吉村村に水を流しました。 大島と吉村は大争い(水争い)をしました。 結局、両村の長老が話し合いました。 その結果、西田川が新別府川に合流する地点より下流には井堰を造らない事になりました。 吉村村には西田川の水が来ることになったのです。 これで新別府川をめぐる百姓一揆 (水争い)は終結したそうです。



写真G: 北東を見たものです。 遠くに宮崎港の防波堤が見えます。 手前に外灯があります。
「宮崎港」は宮崎市 港、港東、新別府町、阿波岐原町にまたがる港です。 大淀川の河口の北岸(左岸(下流を見て左。))の一ツ葉入江に位置する河口港です。 昭和44年(1969年)に開港し、宮崎県が港湾管理者です。 昭和12年(1937年)に赤江港から宮崎港に呼(よ)び名が変わりました。 それまでは赤江港と呼ばれていて重要な港でした。 鎌倉時代から赤江港は使われていました。 文明年間(1469年から1487年、戦国時代)は大陸交易の寄港地となりました。 文化年間(1804年から1818年、江戸時代後期)頃から、上方交易(大阪、神戸など。)が活発になりました。 当時は赤江港は大淀川の南岸(右岸(下流を見て右。))に位置して飫肥藩(おびはん)領の東北端の場所でした。 明治時代は大淀川を用いた内陸部(宮崎市 高岡町、国富町 本庄)と結ばれていました。 しかし、大正12年(1923年)に国鉄 日豊本線が開通し、また河口港によく見られる砂堆積(たいせき)によって航路の維持が困難になり、赤江港は衰退しました。 昭和33年(1958年)から改修工事が始まり、昭和44年(1969年)に一ツ葉入江に宮崎港が出来ました。 宮崎港には漁港、フェリーターミナル、国際コンテナターミナルなどがあります。
 宮崎港は港湾区域告示 昭和38年6月、港湾区域面積 1983 ha、南防波堤 2600 m、内防波堤 450 m、岸壁水深 9 m(50000トン級) 延長 300 m、航路・泊地水深 9 m。
 宮崎港ではチヌ、サヨリ、スズキ、コノシロ、アジコ、サビキなどが釣(つ)れます。



写真H: 東を見たものです。 右に護衛艦 あおしま の前部が見えます。 大砲 (速射砲)も見えています。



写真I: 右にフェリーが停泊 (ていはく)しています。 宮崎港です。



写真J: 「宮崎港フェリーターミナル」は宮崎県 宮崎市 港 3丁目14番地 にあります。 フェリーが見えます。 南を見たものです。



写真K: 東屋 (あずまや)があります。 南西を見たものです。



写真L: 西を見たものです。 自動車が入って来ました。



写真M: 護衛艦 おおよど です。 側面に「231」と書いてあります。 先端部分に日章旗 (にっしょうき、日の丸)が見えます。
「護衛艦 おおよど」は海上自衛隊の艦船です。 1991年1月23日に就役しました。 主要兵装は62口径76ミリ速射砲、ハープーン対艦ミサイル、アスロック、3連装短魚雷発射管、高性能20ミリ機関砲、ソーナー、フェンススタビライザーなどです。 性能要目は基準排水量 2000 ton、全長 109 m、全幅 13.4 m、喫水(きっすい) 3.8 m、主機械 ガスタービン 2基 ディーゼル 2基、軸馬力 27000 SHP、軸数 2軸、速力 27 kt (約50 km/h)、乗員 約120名。 豆知識: 航続距離は日本からハワイまでを往復できます。 給食については、栄養摂取量は1人1日3200 kcal で、総員分の食事を4名の調理員が調理しています。 おおよどは「あぶくま」型護衛艦の3番艦として建造されました。 対潜水艦、対水上戦および対空戦の対処能力を備えています。 艦名の由来は、宮崎県 都城盆地周辺の山地に源を発し、霧島火山群や九州山地からの支流を合わせて宮崎市の中央部を流れ、日向灘に注 (そそ)ぐ「大淀川」に由来します。 初代は帝国海軍の軽巡洋艦「大淀」 (8170 ton)であり、昭和18年2月、呉海軍工廠において竣工しました。 昭和19年5月から9月までの間、最後の連合艦隊旗艦を勤めました。 昭和20年7月広島・江田島湾に在泊中、空襲により転覆着底、昭和22年に引き揚げ解体されました。 (パンフレットを参照しました。)



写真N: 護衛艦 「あおしま」の前部です。 宮崎港。



写真O: 護衛艦 あおしま です。



写真P: 護衛艦 あおしま の中部です。



写真Q: 護衛艦 あおしま の上部です。 宮崎港。



写真R: 護衛艦 あおしま の後部です。 一番後ろに旭日旗 (きょくじつき、朝日を描いた旗。 もと日本の軍旗・軍艦旗など。)が見えます。 タラップ (乗船するためのはしごです。)が見えます。 タラップに「護衛艦 おおよど」と書いてあります。



写真S: 南を見たものです。 手前にテントがあります。



写真T: テントに見学者たちもいます。



写真U: これからタラップを登ります。 乗組員たちが見えます。



写真V: おおよどの艦上です。



写真W: 護衛艦 おおよど。



写真X: おおよどの上部です。



写真Y: 船首の様子 (ようす)です。



写真Z: 「62口径76 mm 速射砲」の説明板があります。
性能要目
最大射程 16300 m、発射速度 80発/分、初速 925 m/秒、旋回 無制限、俯仰角 (ふぎょうかく) -15 度~+85 度。
と書いてあります。



写真AA: 速射砲の後部です。



写真AB: 速射砲の下部です。 説明板が見えます。



写真AC: 護衛艦 おおよど の船首です。 日章旗 (にっしょうき、日の丸)が見えます。 北を見たものです。



写真AD: 速射砲です。



写真AE: 速射砲の中部です。



写真AF: 速射砲の下部です。



写真AG: 速射砲の側面です。



写真AH: 北西を見たものです。 左は速射砲。



写真AI: 船首です。



写真AJ: 護衛艦 おおよど の上部です。 南を見たものです。



写真AK: おおよどの上部です。



写真AL: おおよどの甲板 (かんぱん)です。



写真AM: 護衛艦 おおよどの甲板 (かんぱん)。



写真AN: アスロックランチャー (アンチ サブマリン ロケット)です。 おおよどです。



写真AO: 「アスロックランチャー (アンチ サブマリン ロケット)」の説明板があります。
諸元
発射機 重量 約23 t、全長 約5.2 m、高さ 約3.6 m、全幅 4 m。 弾体 使用魚雷 Mk46魚雷、重量 約450 kg、全長 約5 m、直径 約30 cm、有効射程 約9 km、速度 マッハ1 (時速1225 km)。 この大きい箱型のものは、「アスロック」といい、8連装になっています。 その1つ1つの箱の中に、ロケットと一体の潜水艦攻撃用魚雷を装備しています。 発射されるとロケットにより、空中を飛翔し目標海面の上空でパラシュートが開き着水し、水中に入ってから普通のホーミング (追尾)魚雷として行動します。
と書いてあります。



写真AP: 護衛艦 おおよどの艦上です。



写真AQ: 水上発射管です。



写真AR: 「水上発射管 (HOS-301(C))」の説明板があります。
 この発射管は、水上艦艇の甲板 (かんぱん)から魚雷を高圧空気で発射する装置で潜水艦攻撃用武器です。 使用魚雷 Mk46魚雷。 短魚雷は約100 kg/平方センチメートルの空気圧力により発射され着水と同時にエンジンにより水中で航行し、潜水艦のスクリュー音によりホーミング (追尾)して目標に命中します。
と書いてあります。



写真AS: 護衛艦 おおよどです。



写真AT: 「SSM (艦対艦ミサイル)」の説明板があります。
概要
長さ 4.6 m、重量 680 kg、射程 100 km以上、速さ マッハ0.8 以上。 特徴は1 長射程、2 全天候性能、3 アクティブ・ホーミング (追尾)、4 高撃破率、5 多種発射装置 (水上艦艇、潜水艦、航空機)。
と書いてあります。



写真AU: 機関砲です。



写真AV: 機関砲。



写真AW: 機関砲の下部です。



写真AX: 「CIWS (高性能20 mm機関砲)」の説明板があります。
対艦攻撃用ミサイルに対しての最終防御の役割を果 (は)たす。 センサーと攻撃武器の両方を統合した独立のシステムである。 捜索から攻撃まで完全自動の操作が可能であり、リアクションタイムが短い。 目標と弾丸の両方を自動追尾し、弾道修正するクローズド ループ ストッピング機能を有する。 6本の砲身を有するバルカン砲を装備し、発射速度は毎分 3000発である。 弾丸はAPDS弾と言われるサポット (装弾筒)付であり、弾芯に比重の大きい重金属を用いて貫通力を増加させ、阻止力を高めている。
と書いてあります。



写真AY: 護衛艦 おおよどの艦尾です。 旭日旗 (きょくじつき、朝日を描いた旗。 もと日本の軍旗・軍艦旗など。)があります。 奥にフェリーが見えます。 南を見たものです。



写真AZ: おおよどの艦尾です。



写真BA: 北を見たものです。



写真BB: 護衛艦 おおよどの甲板 (かんぱん)です。



写真BC: 左にタラップが見えます。



写真BD: チャフ・ロケット発射機です。



写真BE: 「チャフ・ロケット発射機」の説明板があります。
電波を反射するアルミ箔 (はく)を詰 (つ)めたロケットを装填 (そうてん)します。 空中に雲のようにアルミ箔 (はく)が拡 (ひろ)がり、ミサイルのレーダーを混乱させて回避します。
と書いてあります。



写真BF: 双眼鏡を観客が見ています。



写真BG: 宮崎港に降りてきました。 護衛艦 「おおよど」 一般公開予定が書いてあります。 右はタラップです。



写真BH: タラップに「旭日旗 (きょくじつき)、護衛艦 おおよど」と書いてあります。 右奥にフェリーが見えます。



写真BI: タラップに「旭日旗、DE-231-OOYODO」と書いてあります。 見学者たち、乗組員が見えます。



写真BJ: 宮崎港に停泊 (ていはく)している海上自衛隊の護衛艦 おおよど です。 南を見たものです。



写真BK: 護衛艦 おおよどの上部です。 日章旗 (にっしょうき、日の丸)が見えます。 宮崎港。



写真BL: 護衛艦 おおよどの中部です。



写真BM: 護衛艦 おおよどの下部です。



写真BN: 「宮崎港フェリーターミナル」は宮崎県 宮崎市 港 3丁目14番地 にあります。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)